城郭探訪

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黒部館     近江国(浅井)

2016年06月05日 | 居館

黒部館

 

お城のデータ
所在地:長浜市(旧:東浅井郡浅井町)黒部町    map:http://yahoo.jp/BhiBfI
現 状:神社・山林・宅地
区 分:居館
築城期:
築城者:
遺 構:郭・堀・土橋 
目標地:黒部公会堂・大己来神社
駐車場:黒部公会堂に駐車、又は児童公園に駐車
訪城日:2016.5.14・2016.6.3
お城の概要
 浅井町田根地区北東部に位置する大字黒部は、三方が山に囲まれた馬蹄地形の微高地。
  現在は、住居区は継っているが、大己来神社参道を境として、およそ東西2地区に分かれる。
大己来神社の背後も林の中に山麓館跡が残存する。
・東地区はゆるやかな平坦地に近い地形で、背後は畑地と林となっているが、この境に大規模な土塁が残る。
西地区は、aとbが最高所でabを含むA区画は切岸」と道路によりB区画と区分されている。
・A区画は、西と北は山により囲まれる防御の形状。
・B区画は、A区画の全面に控え、南下に水路、西と北は山で守られている。特に防御施設持ったA・B地区が黒田館。
・黒部館の西の、舌状尾根の2ヶ所の平削地と共に、土橋・横堀・竪堀・曲廓が残存する。
・Ⅽ・Ⅾ・Eは西の竜安寺城の遺構を考えられる(特にⅭについては、古墳と思われる高まり(比高1.5m)に平削を加え小廓を形成するとともに、背後の堀切の中程に低い土橋を設け、次のⅮ廓へと継ぐ。Ⅾ廓の背後には、E廓が存在するが、切岸は上方へ行くと地山の溶け込む。この遺構は西側の竜安寺集落には、「竜安寺城」が知られている

・Fについては、竪掘(堀切)土橋を伴なったもので、低削平地が存在するが、先端には「見張り台のような小郭二つ」とその背後に堀切と土橋が存在し、詰め城のを兼ねていたか。更に登ると郭を三つ配し、堀切を持つ遺構があるⅭ・Ⅾ・Eは西の竜安寺城の遺構を考えられるが、黒部館の共用していたとも考えられる。
お城の歴史
黒田館の歴史は不詳。
大己来神社の由緒
 口伝に、武蔵国足利郡大宮より勧請したという。永禄十一年足利義昭越前から尾張へ向う途中の鷹狩の際参拝し定紋付の什物を寄進したので足利氏の紋を神紋としている。

黒部館へ
        

東側の大己来神社の背後も林の中に山麓館跡が残存する。
         
大己来神社の背後も林の中に山麓館跡が残存する                
東地区はゆるやかな平坦地に近い地形で、背後は畑地と林となっている。
この境に大規模な土塁が残る。    
西地区は、aとbが最高所でabを含むA区画は切岸」と道路によりB区画と区分されている。・A区画は、東と南が切岸により遮断され、西と北は山により囲まれる防御の形状。

西の山城(詰め城?見張り廓)へ
  
 登り口        集落(黒部館)の西側の尾根上
   堀切?竪堀?          
  
 Fは、背後の尾根から堀切・竪堀(土橋はあるが)で遮断。

 

 参考資料:滋賀県中世城郭分布調査7(伊香郡・東浅井郡の城)、遺跡ウォーカー

本日の訪問ありがとうございす!! 


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