城郭探訪

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沖島頭山城 近江国(近江八幡)

2013年04月23日 | 平山城

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お城のデータ

所在地:近江八幡市沖島町 map:http://yahoo.jp/wTlKvE

現 状:山林

区 分:平山城

築城期:室町期

築城者:島民

遺 構:削平地・土塁・見張り台

標 高:130m  比高差:75m

目標地:堀切新港より定期船で沖島港へ・奥津島神社

駐車場:堀切新港の周辺空き地に路上駐車(桟橋周辺は沖島住民の駐車場で駐車禁止)

訪城日:2013.4.19

 

お城の概要

沖島頭山城は近江八幡市沖島の西端、標高130mの頭山一帯に築かれた城で、いわゆる海賊城である。


 南北朝時代には戦いに敗れた南朝軍の一部が越前―新田義貞との連絡網を確保し食料と軍備を建て直すために頭山一帯に城を構えたとされ(蒲生郡史)

 頭山の南から東斜面は崖状地形で、南斜面の奥津嶋神社への階段を利用し、奥津嶋神社から山頂の曲廓に出る。この間に斜面は階段状の小さな削平地の連続。階段状削平地の切岸には土留めの石積みが見られるが、石積みのない曲輪と差別化が図られている様子はない。山頂はまともな広さをもった曲輪であるが、雑木で確認出来ず。
 北斜面、および東斜面も南斜面と同様に階段状に削平地がつくられているが、両斜面は斜度が緩やかなこともあって面積も確保され、曲廓らしい体裁を保っている。この頭山城は曲廓をつくることが目的ではなく、切岸を造り出すことに主眼が置かれている。

 沖島は、(おきしま・おきのしま・沖ノ島)などと呼ばれ、琵琶湖のほぼ中央、近江八幡市の沖合約1.5kmに浮かぶ琵琶湖最大、約350人が居住する有人島である。島の沿岸周囲は約6.8km、面積は約1.5平米を誇るが、ほとんどが山林に覆われ、南西沿岸のわずかな平地に集落が営まれている。
集落西側には半島状突出部に独立丘がある。これを頭山と呼び、のどかな島の風景とは相反して一歩入山すると山全体が城塞化している。
 尾山城と同様に雛壇状の阻塞群が斜面を埋めつくしている。本土では水茎岡山城や円山城に類似遺構が存在するが、緩傾斜面に切岸的機能を多用することにより防御性を強化する縄張だと考えられる。雛壇は合計140にもおよび、段違いと行き止まりの連続で、個性がないため迷路のようである。
尾山城や坊谷城とは異なり、頂部に明らかに主郭だと比定できる削平地がある。北東隅には土塁が築かれ、北直下の帯曲輪には見事な石積みが見られる。南斜面の雛壇は高い所では4~5mの切岸となり行く手を阻む。西側3分の1は石の採掘により遺構が破壊されていると思われる。

北斜面の雛壇状縄張南斜面の大岩の間を埋める石積み

お城の歴史

 沖島頭山城は、延元3年(1338)に南朝方が越前と新田義貞軍の中継基地として頭山一帯に城を構えたとされている。現在の遺構がその時のものなのかなど詳細は判っていない。縄張の手法も鎌倉期から戦国期まで中世全域でみられるものである。
沖島は、沖合から縄文土器や和同開珎が発見され、古くから人々の往来はあったようだが、

本格的に人が住むようになったのは、保元・平治の乱(1156-1159)による源氏の落武者7人が山裾を切り開き漁業を生業とし居住したことに始まると言われ、彼ら(南源吾秀元、小川光成、西居清観入道、北兵部、久田源之丞、中村磐徳、茶谷重右衛門)が現在の島民の祖先とされている。室町8代将軍足利義政は湯谷ヶ谷(番所山)に島民に湖上を行き交う船の監視と取締りを命じたとされる。
また応仁2年(1468)には比叡山延暦寺に敗れた堅田衆4千人が、約2年間沖島に避難生活をしたとされる。

戦国時代に入っても関所が設置され、琵琶湖水運の重要拠点として機能した。

当初は近江守護六角氏の影響下にあったが、後に本願寺系自治区堅田の保護を受け、更に織田信長の近江平定に従って関所の存続が許され、少なくとも豊臣政権下の天正13年(1585)頃までは存在していた。そんな背景の中、沖島は戦乱の世に重用され続けた。

 

近江八幡の城

 近江の国は、古より人々や物資の往来が盛んで様々なものが行き交いました。近江の国を舞台にした戦いが数多くあることを示すものとして「近江を制するものは天下を制する」という言葉も残されています。
戦に欠かす事の出来ない「城」は、滋賀県内に1300を越える数に及びます。この数は、都道府県別では全国で4番目の多さで、分布密度で見れば全国で最も高くなります。
 近江八幡市が属する東近江地域は鎌倉時代より活躍した近江守護の佐々木氏やその家臣が築いた城が多く、その築城技術の高さは一見の価値があります。今回はその中から代表的なお城を紹介いたします。

 

 

 

織田 信長織田 信長豊臣 秀次豊臣 秀次

また、沖島資料館には、「織田信長や羽柴秀吉の安堵状・感謝状」が大切に保存されおり、入館料(閉館していれば、沖島コミセンにお願すれば開錠して頂ける)が必要だが拝見できる。

沖島資料館の古文書

近江八幡の城マップ 

 

 近江八幡市内の主な城跡

1八幡山城宮内町 12久郷屋敷西宿町 23馬渕城 馬渕町
2浅小井城浅小井町 13倉橋部城 倉橋部町 24牧村城牧町
3宇津呂館 中村町 14小森城中小森町 25円山城円山町
4岡山城(水茎館)牧町 15金剛寺城(金田館)金剛寺町 26安土城下豊浦
5沖島尾山城沖島町 16田中江城 田中江町 27観音寺城(佐々木城)石寺、宮津
6沖島頭山城沖島町 17谷氏館(友定城) 友定町 28香庄館香庄
7沖島坊谷城沖島町 18 長光寺(瓶割城)長光寺町 29金剛寺城 慈恩寺
8長田城長田町 19西宿城 西宿町 30常楽寺城(木村城)常楽寺
9小田城(高畠氏館)小田町 20野村城野村町 31平井館下豊浦
10北津田城北津田町 21船木城 船木町  
11北之庄城北之庄 22本郷城(久里城) 金剛寺町

  参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、近江八幡の城

   今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました。


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