東迎山城 ・ 西迎山城 甲賀郡水口町下山
両城とも伴氏の城と伝える。どちらの城も四方土塁型で周囲に空堀や水堀がある。
西迎山の方は丘陵が斜面であり、南背後土塁のは切り込み式で高い。
・所在地:甲賀市水口町下山小字迎山 Map:http://yahoo.jp/PBTnwh
旧:甲賀郡水口町下山
・別 名:迎山城東丸
・目標地:迎山集会所、水口(テクノパーク)さつきが丘工業団地
・区 分:丘城
・比 高:30m
・現 況:竹林・雑木林
・遺 構:堀・土塁
・築城期:室町期
・城 主:伴伝佐衛門 伴又左衛門
・主郭までの時間:路上駐車より5分
・訪城日:2014.2.20、2014.3.9
迎山城 大字下山字迎山 津田氏作業場東30mの所の南山道路より約100mの高所にあり土盛り高平均3m内面積600㎡東の丸は傍田氏宅の東にあり城跡または物見台。城主は、伴伝佐衛門 伴又左衛門
東側虎口への城道
北側土塁から
虎口外側には堀も確認できますが茂みになっていた。横堀の東の平削地は「しいたけ栽培場」になっていますが単郭を取り巻く土塁は残ります。
東側横堀・・・虎口に進めず引き換えし!
「甲賀の城」によりますと、横堀は内側深さ5m・城外側は2m。東側の虎口には水堀の一部が残る。南北の4~5mの土塁を確認できる。が主郭内は竹林で確認は出来ないが、竹の隙間から土塁を望める。
主郭は東西60m×南北50m、南側は切岸があったが工場用地に改変されている、西側は道路で切岸の様である
主郭内は竹林が単郭を取り巻く土塁は残ります。
主郭内は竹林が単郭を取り巻く土塁は残ります。
主郭内は竹林が単郭を取り巻く土塁は残ります。
平側土塁を西方面
北側の土塁より城址に入りました。
北側土塁から
東迎山城(遠景)・・・西から
歴史
この城は伴谷地域をその勢力化においた土豪伴氏の城跡です。
伴氏は延慶年間(1308~1310年)に櫟野(いちいの)<=旧甲賀町>から移り住んだと伝えられ、近隣である柏木の山中氏、水口の美濃部氏と拮抗したり協力したりして領地を支配しました。
伴氏は俗に言う甲賀武士であり、戦国末期の甲賀群中惣の一員。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市史(甲賀の城)
本日も訪問、ありがとうございました