お城のデータ
別 名:池田城
現 状:集落内の畑地・竹林
区 分:平城
築城期:室町期
築城者:池田太郎定信。
城 主:池田太郎定信。池田庄三郎亘輝。
遺 構:曲輪・土塁・堀切
目標地:湖南池田コミセン:中野倉庫バス停
駐車場:中野倉庫前に駐車場
訪城日:2014.10.9
西端にも小さな池が残存する(石燈籠の左)。
お城の概要
杣川左岸の甲南町池田の南方丘陵沿いに城館がまとまって残存する。その最西端に位置する。
中野城は北に向かって伸びる舌状台地の西端部で、集落内に土塁2m程の高さで曲郭部(東西40m・南北45m)は開墾され畑地。
廻りの土塁は改削され宅地化・道路化
南側の丘陵続きを堀切で遮断。北側残存土塁は4mを図り、上には愛宕社の祠が。祠のした池(堀切)のが残存する。
西端にも小さな池が残存するが堀切の可能性も。
北側にも駐車可
歴 史
室町期築城
『佐々木南北諸士帳』に、池田城主 佐々木随兵清和源氏 池田太郎定信。
池田城主 後に信長随兵トナル 池田庄三郎亘輝。
池田城主 其後備前北方住国主トナル 青木筑前。の名が見える。
鈎の陣夜襲 長享元年(1487)9月、足利義尚六角攻めのため近江に進発。湖南湖東で高頼軍と合戦。義尚、同年10月1日鈎の安養寺へ陣を移す。その日の夜、甲賀武士が攻撃する。(第1回)同年12月20日の攻撃で義尚負傷。(第2回 これも疑問) 延徳元年(1489)3月26日、義尚(義煕)25歳で病死。(手傷が死因とする説があるが、間違いであろう。
甲賀21家の1つ、池田家 池田大和守
大原源三 望月出雲守 和田伊予守 美濃部源吾 池田大和守 山中十郎 鵜飼源八 服部藤太夫 芥川左京亮 神保平内 佐治河内守 上野主膳正 伴播磨守 高嶺蔵人 大河原源太 隠岐左近 多喜勘八 頓宮四方介 内記伊賀守 岩室大學介 大野宮内
堀・堀切愛宕社へ、正面は堀・堀切
目標地;バス停駐車位置
目標地 甲賀市甲南町池田コミニティセンター
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、日本城郭大系 、 佐々木南北諸士帳
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