「寒川辰清邸阯」の碑
お城のデータ
所在地:大津市中庄一丁目
築城期:江戸期
築城者:寒川氏
寒川辰清邸阯の碑が、京阪電車石山坂本線・中ノ庄駅の西側に建てられています。
寒川辰清(1697~1739)は、
康命〔やすのぶ〕・康敏〔やすかず〕藩主二代の学問師範(侍講〔じこう〕)として、200石の禄〔ろく〕を拝し、『近江與地志略』の編纂をはじめ、『武射必用』〔むしゃひつよう〕など多くの書物を著しました。
しかし、晩年の元文3年(1738)、当時の弊害をなげき、主君をいさめる文書(諫書=かんしょ)を提出したことで藩主・康敏の怒りにふれて、膳所藩を追放となり、翌年大坂にて病死しました。
江戸時代に記された『近江輿地志略(おうみよちしりゃく)』という地誌。
この『近江輿地志略』という本は、江戸時代の享保8年(1723)に、膳所藩士であった寒川辰清(さんがわ とききよ)が、ときの藩主本多安敏の命をうけて編纂に取りかかり、享保19年(1734)に完成した近江国の地誌。
101巻100冊から構成されており、その内容は近江国の概観からはじまって、12郡の村ごとに名所・旧跡や寺社等を紹介し、最後に「人物」や「土産」(その土地の名産品)が詳細に記されています。記述には,歴史書や古記録から関係する史料が縦横に引用されるとともに、地元の言い伝えも示されています。この本には、江戸時代(18世紀頃)における近江国の村々の情報がぎっしりと詰めこまれている。
今となっては記された内容がすべて正確な史実であるとはいいがたい部分もあります。しかし、少なくとも18世紀頃の人々が名所・旧跡や寺社等―今でいう文化財にいだいていた認識を知る手がかりになりますし、遺跡にかんする情報をそこからくみ出すこともできるのです。
滋賀県には,江戸時代以来このような地誌・地域史が編纂・蓄積されており、それらが現在でもわれわれの遺跡の基礎をつくってくれています。偉大な先達の恩恵に感謝せざるをえません。
ちなみに,滋賀県立琵琶湖文化館には寒川辰清の自筆本が所蔵されており、滋賀県における基本的地誌の原本資料として本県の文化史・科学史・地理学史上極めて貴重な存在であることから、重要文化財に指定されています。
この自筆本は容易に閲覧できるものではありませんが、
幸いに『近江輿地志略』は大正年間に活字本として刊行され、戦後にも校訂本が再刊されており,滋賀県の図書館等で閲覧することができます。
さらに蛇足ですが,寒川辰清の邸宅は膳所城下町にありました。京阪石坂線中ノ庄駅を下車し,膳所小学校(山側)へむけて徒歩2分程の道路際に邸宅跡の石碑が立てられています。
参考資料:滋賀県公益法人文化財保護協会 (地域の歴史の宝庫―『近江輿地志略』)