小野こまち会館
小野の集落に入って行く。集落に入ると「小野こまち会館」があり、右手に「安立寺」がある。
道路わきには地蔵堂とお手洗いが目に付き、道路わきの流れいた。
歴 史
小野こまち会館の南の道を東に抜け、名神高速「彦根20」のトンネルを抜けると小野城が残る
~~~「佐々木南北所氏帳」~~~
小野城
佐々木随兵千田源氏嫡流大和守頼信是流他 小野大善。同 草野大善~~の名が残る。
【城郭の概要】
所在地:彦根市小野町
築 城:
初城主:小野氏
区 分:居館
遺 構 :横堀・曲輪・土塁・堀・
現 状:森林
訪城日2014.5.13
丸山砦(城)
丸山砦(遠望)
丸山砦登り口
丸山砦(遠望)
小野小町塚概要: 伝承によると、小野小町の父親とされる小野美実(好実)が都から出羽へ赴任する途中に小野宿(滋賀県彦根市)で宿泊した際、宿所にいた赤ん坊があまりにも可愛かった為、養女として迎えたと伝えられています。この養女が出羽の国で成長し小野小町となったとされ、その後、小町が病気で薬師如来から授かった霊薬の製法を伝えたのが、同町の旧家池上家だったそうです。池上家では江戸時代初期まで小町から伝授された霊薬(赤玉の丸薬)を「小町丸」として販売していたそうです。当地には15世紀後半に小町地蔵が建立され小町塚として信仰されてきました。
小野町の説明では、(鎌倉時代、弘安二年(1279)に歌人阿仏尼が、京都から鎌倉に向う途中、小野宿に宿泊したと「十六夜日記」にある。
中世、小野の地は、東山道の駅家として機能していました。また、藤原定家の「明月記」などに記される庄園「小野庄」は、
当地域が想定されている。地元に伝わる郷土芸能「小野町太鼓踊り」の中には、小野小町が謡われており、この地を誕生と伝承が残っている。
『出羽郡小野美実(好美)は、奥州に下る途中に、小野に一夜の宿を求め、ここで生後間もない女児に出会った。
美実はこの女児を養女にもらい受け、出羽国へ連れて行った。この女児が小町という。』
――中略――
小町塚には、『小町地蔵』として親しまれてきた石仏(十五世紀後半の造仏)がある。
自然石を利用して、阿弥陀如来坐像が浮彫りにされている。正面だけでなく、両側面にも彫りこまれており、類例がなく貴重なものである。)(小野町)とある。
小野小町といえば有名な歌人で、百人一首にも選ばれている歌がある。
・ 花のいろは 移りにけりな いたずらに
わが身世にふる ながめせし間に
である。
この歌がなければ、小野小町なんて知らなかったに違いない。(花の色は移りにけりな)とは、桜の花は満開になったがという意味だと教わって、花の色といえば日本では(桜)であると、はじめて知ったので記憶に残っている。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、佐々木南北所氏帳
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