城郭探訪

yamaziro

嶬峨城 近江国(甲賀・水口)

2014年05月28日 | 平山城

 

所在地:滋賀県甲賀市水口町嶬峨字山屋敷

遺 構:曲輪、土塁、井戸

区 分:山城

築城者:儀俄俊光

築城期:室町期(元久年間)

訪城日2014.7.27

 

嶬峨の集落南にある城山(小高い丘)の山麓に玉泉寺があり、寺の一段上に稲荷神社がある。

   嶬峨城は、この稲荷神社の左手奥。     
  甲賀の居館によく見られる方形単郭の縄張りで、約50m四方、高さ約3m(内郭部)の土塁が廻り、その周囲には空堀が廻らされている。 ブッシュが内郭部を覆っているが、土塁と空堀はなかなか見応えがある。

 この城は「山屋敷」と呼ばれているところで、嶬峨には他に備後城・堀田陣屋がある。 
                                     

歴 史

 嶬峨城は、元久年間に儀俄俊光によって築かれた。 儀俄氏は、蒲生氏の分流で嶬峨庄の地頭職を代々であった。

 儀俄氏は、室町時代には近江守護六角氏の被官で、長享元年には鈎の陣では戦功をたて、甲賀53家(甲賀忍者)に数えられている。

 永禄11年、儀俄氏の主家観音寺城を、織田信長に攻められ、六角義賢・義弼父子は敗れて六角氏は滅亡するが、蒲生氏は信長に通じていたため、儀俄氏も本領安堵された。

 しかし、天正13年に甲賀破儀のため城は破却、領地没収となり儀俄氏は滅亡した。 

 

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)、淡海の城

 

本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!




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