下丹生から見学会開始 谷筋を尾根まで直登です。
やっと尾根まで!
此処から【枝折城】の城域
滋賀県中世城郭分布調査【枝折城】
お城のデータ
所在地:米原市(旧坂田郡米原町)枝折町 map:http://yahoo.jp/dpAd_x
別 名:土肥城
現 状:山林
区 分:山城
築城期:室町期
築城者:土肥氏
城 主:土肥六郎左衛門実勝・土肥次郎
遺 構:土塁・櫓台・長土橋・堀切・竪土塁・竪堀、
標 高:263.8m 比高差:130m
城 域:150m×50m
訪城日:2017.12.2・2017.12.10
https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/962522943910281
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お城の概要
南東尾根から見学会の資料を手に尾根上部から、尾根を削り取り、幅1m弱、長さ25m程の長土橋が残る(尾根筋に厳重な防御)。
城外に大きな堀切2つ・小さな堀切1つ。標高263.8m・比高130mの尾根先端に位置する。
主郭の規模は45m×15mで南と東側に土塁を、南端は一段高く櫓台。主郭の西側及び南東側は尾根続きで、堀切で切断。
主郭の北側は削平地を巨大な堀切で切断。この堀切より北側は自然地形が30m程続いて、2段の削平地。下段の削平地は土塁で囲む。
城跡の立地が集落の背後の山に立地し、構造が極めて小規模山城で、典型的な在地領主の詰城か?。小規模な城郭であるが、防御機能の強い城。
お城の歴史
土肥六郎左衛門実勝の居城。
源頼朝の家臣土肥次郎実遠の末葉で、足利尊氏の世に近江・美濃の野武士を平定して功があり、
箕浦庄の地頭として下向した御家人とされ、番場・多和田・醒井に分住し、箕浦庄の三土肥と称した。
このうち醒井殿と称する系統が枝折に住しており、枝折城の城主であったとか。
『淡海国木間攫』には、「坂田郡 枝折村 往古土肥次郎居城セシ事有ト云、其譜代ノ臣池田氏・江龍氏・能勢氏ノ姓名ノコレリト聞、」と記す。
滋賀県中世城郭分布調査・【枝折城】鳥瞰図:作図:長谷川博美氏
長谷川博美氏作図
最初の堀切(50cmの堆積)紅白の鉄筋で測っかて!
櫓台東下の堀切(30㎝の堆積)南下を西側に回り
主郭部へ登り
土塁
櫓台です
5段曲輪が
東側に土塁
虎口(炭釜に使用され壊されていますが)
2月10日再訪
虎口
参考資料:『滋賀県中世城郭分布調査6 旧坂田郡の城』、『見学会資料(城歩会:長谷川博美氏作成)』、遺跡ウォーカー(枝折城/土肥城)、『淡海国木間攫』
本日の訪問ありがとうございす!!