城郭探訪

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朽木和泉守陣屋跡   近江国(近江八幡)

2016年08月21日 | 陣屋

お城のデータ

所在地:近江八幡市北ノ庄町 map:http://yahoo.jp/qRyzCC

区 分:陣屋跡

現 状:山林・山腹

築城期:江戸期

築城者:朽木和泉守

遺 構:石垣・・・

目標地:近江兄弟社霊園(近江八幡市北之庄町613)

駐車場:大江観音堂の前駐車場

訪城日:2016.6.18

 

お城の概要

朽木和泉守陣屋跡は、近江兄弟社霊園の山腹が、遺跡ウォーカーの比定地。

    近江八幡市北ノ庄町 map:http://yahoo.jp/qRyzCC

福知山藩・朽木氏庶流の代官所で 天保年間、朽木綱常に築城。

 朽木氏に与えられていた代官地が天領となったことによる代替のため、同郡内の木村および下小房村に新たな代官地が与えられた。 以降、明治維新まで朽木氏の領地となる。

北之庄村の山腹・山麓に代官所が構えられたとされる。

お城の歴史

 朽木氏は、旗本として江戸芝の西久保に屋敷を構えていたので、陣屋では代官が政務を司っていた。文政8年(1825)綱弘の子綱常の時に陣屋のあった八幡の中心地は天領となり、その代償として郡内木村及び下小房村を与えられ、旧陣屋(朽木主膳の陣屋)は信楽代官所に引き渡された。

 宝永五年から文教九年まで全市が朽木領となった。朽木綱常は天保年間(1830-43)、同じ八幡町内の北ノ庄村に新たに朽木和泉守陣屋を築き、陣屋に代官を配置し明治に至った。

 

『蒲生郡郡志 巻八』三一一頁 朽木陣屋跡 

 「朽木和泉守の陣屋跡は同(宇津呂)村北ノ庄の北郊外に在り、元禄十二年より朽木氏の領する所となりしが、始め陣屋は南津田村に在りしに天保二年に此地に移し明治二年まで継続せり、今畑地となれども石垣等現存する。」記すが、比定地は山林・山腹のようです。

 

近江兄弟社霊園

参考資料:遺跡ウォーカー、蒲生郡志、滋賀県中世城郭分布調査、

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