城郭探訪

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探訪【近江水の宝】龍神の里をゆく—御澤神社・龍王寺—

2014年12月20日 | 探訪「近江水の宝」
龍王寺(県史跡 雪野寺跡)
 
その昔、美男として名高い小野時兼(おののときかね)の妻が実は平木沢の大蛇で、妻から形見としてもらった箱を開けると出てきたのがこの梵鐘であるというものです。
大蛇の住む平木沢は、東近江市上平木の御澤神社の白水池で、境内から湧き出る名水を汲みに訪れる人が今も後を絶えません。
木造十二神将立像(甲冑姿)・・・ご住職の好意で本堂の立像を拝見(写真は×)
興福寺の木造十二神将立像(甲冑姿)http://www.kohfukuji.com/property/cultural/098.html
 
妻から形見としてもらった箱を開けると出てきたのがこの梵鐘=重要文化財(川守・龍王寺)
上帯・下帯に文様の鋳出がなく、乳は五列四段で簡素につくり、懸垂装置の竜頭は二頭の竜首がたてがみを立てています。
銘記はありませんが、奈良時代に鋳造されたと推定されています。
また、小野時兼という侍と大蛇の姿になった美しい女性の“妹背”にまつわる悲しい説話が残っています。
 
 
大蛇の姿絵(川守・龍王寺)
 
龍王寺の梵鐘に残る悲しい伝説
 
雪野山の山麓にある龍王寺の梵鐘には、妹背にまつわる悲しい伝説が残っています。
小野時兼(おののときかね)という侍のもとへ、有る日、美しい女性が妻にしてくれと現れます。
二人はとても幸せに暮らしていましたが、その三年後「私は平木(八日市)の沢の主です。あなたに恋い焦がれてここまでやってきましたが、やはり帰らなくてはなりません。私に会いたければ百日後に平木の池に来て下さい」と言い、形見に玉手箱を渡して姿を消してしまいます。

 時兼(ときかね)は寂しさに耐えかねて九十九日目に会いに行くと、妻は大きな蛇の姿になって現れました。彼が驚いて家に帰り、玉手箱を開けると、そこから大きな鐘が出てきました。時兼はこの鐘を龍王寺に寄進したということです。この鐘にまつわる歌は数多く、代表的なものとして
暮れにきと 告ぐるぞ待たで 降りはるる 雪野の寺の 入相いの鐘 和泉式部
鐘暗き 野寺の松の 木陰より 山ほととぎす 声ど落ちくる 柿本人麻呂
昨日観し 花のあたりに 夜は更けて 野寺の鐘の 声ぞ聞こゆる 藤原定家
 
 
 
 
暮れにきと 告ぐるぞ待たで 降りはるる 雪野の寺の 入相いの鐘 和泉式部
 赤穂浪士墓
 
後藤館跡(県指定史跡)    map:http://yahoo.jp/01KJAM
 

後藤館跡(滋賀県東近江市中羽田町)は、近江守護・佐々木六角氏の重臣・後藤氏の在地居館跡である。

 後藤氏の名は室町時代前期にあらわれ、六角氏の家老の位置にあった。

十六世紀中頃、後藤但馬守賢豊は六角義賢の信望を受けて権勢をふるったが、永禄六年(1563)義賢の子・義弼に謀殺された。
これが観音寺騒動の発端となり、六角氏は家臣団の信望を失い、やがて織田信長に滅ぼされる
(『現地案内板』)。

 後藤氏館跡は、周囲に基底幅約11m、高さ約3mの土塁を築き、その外に堀を穿った単郭構造の館跡で、東西幅、東辺の長さ約100m、西辺の長さ約120mの変形四辺形プランを呈し、西辺土塁の中央部に正門が存した(『現地案内板』)。

 当時の在地領主の館は、非常時に備えて土塁、板塀などの防御施設が設けられ、敷地内には主屋、納屋、蔵、厩などの建物が存した。当館跡の建物配置は定かでないが、昭和五十六年の発掘調査で井戸跡、厠跡、柵跡などが検出され、その位置から主要な建物は敷地内北部中央付近に存したと推定される(『現地案内板』)。

六角重臣の居館跡ということだが、水田にぽつんと石垣と土塁が残るのみである。しかし、大規模な遺構で、観音寺城と類似する貴重な史跡である。

 
 
 
 
御澤神社
 
 
東近江市上平木の御澤神社の白水池
 
東近江市上平木の御澤神社の白水池
 
横山 時兼、仁平3年(1153年) - 建暦3年5月4日(1213年5月25日))は、平安時代末期、鎌倉時代前期の横山氏の武将。横山氏は元は小野姓だったため、小野 時兼とも言う。

略歴

武蔵国多摩郡(現東京都八王子市)横山荘を中心に、勢力を持っていた武蔵七党のひとつ横山党の嫡男として生まれる。父は時広。

石橋山の合戦の頃から頼朝に仕えていた。寿永元年(1182年)8月、頼朝の誕生日を祝して梶原景時や畠山重忠と共に御護刀を頼朝に献上した有力御家人七名に名を連ねており、「吾妻鏡」ではこの記述が時兼の初見とされる。

父の後を受け、正治2年(1200年)より淡路国の守護となる。叔母が鎌倉幕府侍所別当の和田義盛の妻であり、時兼の妹が義盛の長男常盛の妻であった。

 このように和田氏一族とつながりが深かったため、建暦3年(1213年)に義盛と執権北条義時との対立による和田合戦では、和田氏側に荷担した。

乱は将軍源実朝を擁する義時側の勝利に終わり、時兼は和田常盛や甲斐国都留郡の武士古郡氏とともに都留郡波加利荘へ落ち延びたが、その地で常盛ともども自殺して果てた。享年61。時兼の首は固瀬河辺に晒されたという。所領の横山荘も没収され、横山一族は凋落した。

 
   本日も訪問、ありがとうございました!!感謝!!
 
12/13( 土)探訪【近江水の宝】龍神の里をゆく—御澤神社・龍王寺—
◇問い合わせ先:
滋賀県教育委員会事務局文化財保護課記念物担当
TEL:077-528-4674
FAX:077-528-4956
E-mail:outan@pref.shiga.lg.jp
◆日時:平成26年12月13日(土)13時45分 〜 16時頃

◆集合:近江鉄道バス八幡竜王線 川守バス停 13時45分
※近江八幡駅南口バス停13時20分発→川守バス停13時34分着でご来場ください。
(乗車時間14分、運賃450円)
※バスは1時間に1本です。指定のバスは混雑する可能性もありますので、早めに来ていただき、1km西に離れた「苗村神社(竜王町綾戸467)」をご見学いただくのもおススメです。

◆解散:近江鉄道 平田駅 16時頃
※集合場所と解散場所が異なりますので、公共交通機関でご来場ください。

◆距離:約8.2km(標高差約70m・途中で丘陵越えあり)

◆持物:健康保険証(コピー推奨)、ウォーキングできる服装等、水筒

◆行程:
近江鉄道バス八幡竜王線
川守バス停
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龍王寺(県史跡 雪野寺跡)
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女坂(丘陵越えです)
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赤穂浪士墓
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県史跡 後藤館跡
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御澤神社
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近江鉄道平田駅(東近江市平田町)

◆定員:40名

◆費用:500円(拝観料等)

◆その他:
1.悪天候により中止する場合は、平成26年12月12日(金)17時までに参加申込者あて連絡します。
2.当日の気象条件等により、コース・時間等を変更する場合があります。

◆詳細:

竜王町川守の龍王寺の梵鐘(重要文化財)には、次のような説話が伝わります。
その昔、美男として名高い小野時兼(おののときかね)の妻が実は平木沢の大蛇で、妻から形見としてもらった箱を開けると出てきたのがこの梵鐘であるというものです。大蛇の住む平木沢は、東近江市上平木の御澤神社の白水池で、境内から湧き出る名水を汲みに訪れる人が今も後を絶えません。
今回の探訪は、東近江市観光ボランティアガイドと県の文化財専門職員が同行案内し、龍神伝説にまつわる龍王寺から御澤神社周辺の文化財を詳しく訪ねます。

 



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