城郭探訪

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近江商人・小泉家住宅に古思う 滋賀・東近江、ゆかりの地巡る

2016年11月06日 | ウォーキング

近江商人・小泉家住宅に古思う 滋賀・東近江、ゆかりの地巡る

近江商人小泉家の屋敷を見学する参加者たち+(東近江市五個荘山本町)近江商人小泉家の屋敷を見学する参加者たち+(東近江市五個荘山本町)

 滋賀県東近江市出身の近江商人小泉家ゆかりの地を巡るウオーキングが5日、同市五個荘山本町などで開かれた。参加者16人が歴史に思いをはせながら約7キロを歩いた。

 市近江商人博物館(同市五個荘竜田町)で27日まで開かれている「小泉重助展」に合わせ同館が企画。小泉家は1716年に麻布商を始め現在も続くアパレルなどの小泉グループに成長した。

 ウオーキングでは同館学芸員の案内で旧家が立ち並ぶ旧中山道沿いなどの町並みを散策。国の登録有形文化財「小泉家住宅」内部も特別に公開され、江戸末期から整備を重ねてきた趣ある座敷や土間を見学した。

 小泉家が戦国大名佐々木氏にゆかりがあると伝わることから、同氏の城があった標高325メートルの箕作(みつくり)山の登山もあり、色づき始めた秋の里山の景色を楽しんだ。

京都新聞【 2016年11月06日 13時15分


生津(なまづ)城 近江国(伊香立)

2016年11月06日 | 丘陵城

長谷川博美氏の踏査図を現地で拝見(Blog公開許可済)

お城のデータ

所在地:大津市伊香立下在地町  map:http://yahoo.jp/Z0UPns

区 分:丘陵城

標 高:170m 比高:約30m

現 状:森林・竹林・小学校のグランド

遺 構:土塁・櫓台・堀切・蔵・曲輪・基壇・切岸

築城期:織豊期

初城主:林宗林坊

城 域:150m×50m

目標地:伊香立小学校

訪城日:2016.11.6


生津城遺跡現地説明会(2016.11.06)配布資料

 

 


 
 公益財団法人滋賀県文化財保護協会では、伊香立浜大津線補助道路整備工事に伴う生津城(なまづじょう)遺跡の発掘調査を平成28年7月から実施しています。
発掘調査では、礎石建物や石積みを伴う櫓台(やぐらだい)、土塁(どるい)や堀切(ほりきり)などの遺構や、戦国時代の土器などの遺物がみつかりました。特に、これまで詳細が明らかではなかった、大津市伊香立地域の中世城郭および京都大原方面に続く旧道の伊香立越えの重要性を考えるうえで、貴重な遺跡であることが明らかになりました。
 2016.11.06に開催された現地説明会を下記からダウンロードできます。

生津城遺跡現地説明会(2016.11.06)配布資料(約2M)

 

お城の概要 

生津城は、近江と京と繋ぐ途中越の起点である途中から坂本へ抜ける街道沿い、伊屋ヶ谷の通称城山といわれる小丘上に築かれている。

城跡は、伊香立小学校の立つ丘陵の台地の両側に「伊屋が谷」の小字名が残り、地元では「城山」を称さてる小丘だある。

乗馬川に突き出た半島状の先端に南北に2段の郭を連ね、乗馬川を堀に見立てる地形である。

上段の曲輪(竹藪)は小学校のグランドも一部城域と考えられる。下段の曲輪は広さは30m×40mほどで削平状で、乗馬川は、切岸状に落ち込み堀の地形である。極めて防御性に良い。民家側の斜面に腰郭なのかの段郭状に平坦地があり、城道のようになってます。折り返す箇所には(虎口形状)土塁のような高まりもあります。畑地の跡か?

城山の北には堅田から京 左京区 古知平野に達する伊香立越えの旧道が通っている。

お城の歴史

生津城は1723年に膳所藩が編さんした地誌『近江輿地志略』に「生津村の城山」と記され、城主は延暦寺に属した「林宗林坊(はやしそうりんぼう)」と伝わる。県教委が1980年代に行った分布調査で堀切跡などが見つかったため遺跡として認知されたが、築城時期や城郭構造は不明のままだった。

 戦国時代、この地域は戦略的に重要な地点だったといい、県教委文化財保護課の木戸雅寿参事は「延暦寺攻めなど織田信長の湖西攻略の攻防の中で役割を果たした可能性がある」としている。

未発掘部

  

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 土塁・堀切(南西部)

発掘調査現地説明会

櫓台(北東部の最高所)の石垣東側の切岸

建物礎石と側溝・・蔵跡?(物入廓)

 

参考資料:長谷川博美氏の踏査図及び俯瞰図・生津城遺跡発掘調査現地説明会資料、  

       今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました。



生津(なまづ)城 発掘調査現地説明会 近江国(伊香立)

2016年11月06日 | 丘陵城

現地説明会に長谷川博美氏(城郭研究家)も!

長谷川博美氏の踏査図を現地で拝見(Blog公開許可済)=滋賀県中世城郭分布調査9に掲載

長谷川博美氏の生津城俯瞰図

城郭探訪仲間の岩◆氏も

出土品品

説明会資料

現地説明会

 

 

戦国期の櫓台跡発見 大津の生津城遺跡

 野面積みの石垣が伴う櫓台の遺構(大津市伊香立生津町・生津城遺跡)

 滋賀県文化財保護協会は3日、大津市伊香立生津町の生津(なまづ)城遺跡から石垣を伴う櫓(やぐら)台や倉庫とみられる建物の礎石など戦国時代の城郭の遺構が見つかった、と発表した。櫓は大津市堅田と京都市左京区大原を結ぶ旧道「伊香立越え」を監視し、戦に特化した山城だったと見られ、同協会は「伊香立地域の中世城郭の一端を知る重要な成果」としている。

 生津城は1723年に膳所藩が編さんした地誌「近江輿地志略(よちしりゃく)」に「生津村の城山」と記され、城主は延暦寺に属した「林宗林坊(はやしそうりんぼう)」と伝わる。県教委が1980年代に行った分布調査で堀切跡などが見つかったため遺跡として認知されたが、築城時期や城郭構造は不明のままだった。伊香立浜大津線補助道路整備工事に伴い、7月から1500平方メートルを調査している。

 櫓台の遺構は曲輪(くるわ)北隅の最も高い場所で見つかり、斜面部2カ所には石垣が残っていた。石垣は直径50センチの築石の間に小さな石が詰め込まれた野面積みで、同地域が延暦寺の荘園だったことからも寺院に用いられた高い技術が城郭にも導入されたと見られる。土塁や深さ4・5メートルの堀切のほか、16世紀の土器片なども出土した。

 戦国時代、この地域は戦略的に重要な地点だったといい、県教委文化財保護課の木戸雅寿参事は「延暦寺攻めなど織田信長の湖西攻略の攻防の中で役割を果たした可能性がある」としている。

 6日午後1時半から現地説明会。近隣に駐車場はない。問い合わせは同協会TEL077(548)9780。

京都新聞【 2016年11月04日 11時44分 】