マンション経営の類の営業に「地震で物件が壊れたらどうなりますか?」と訊いても、まともな答えが返ってきたためしがないんだよなあ。「東北の震災でもワンルームマンションは壊れませんでした」って、そんなことは聞いていない。「壊れたら」の前提で訊いているのだから、まずその質問に答えろよ。
良い記事。「団体戦」であることが生んだ一つのドラマ、なんだなあ。「美学」とも「執念」とも言い切れない何か。>【日刊SPA!】【将棋電王戦第4局】ベテラン棋士「涙の引き分け」までの一部始終 nikkan-spa.jp/424174 @weekly_SPA さんから
これを機にまずケアの必要性を認識して、交通費を国負担にする、などの手当てが必要だろう。しかし法曹関係者はASDやPTSDにならないのかねえ。痛みに無神経になっているのかな。>福島・死刑判決:元裁判員がストレス障害 遺体画像で mainichi.jp/select/news/20…
日本人向けはないのか?やってみたい。>忍者パック:外国人が忍術皆伝目指し「修行」 三重・伊賀 mainichi.jp/select/news/20…
「俺の学生バカばかり」は教育者としての無能アピールだろ。大学の教員にできる事の限界があるのはもちろん理解するが、それをこんなとこでドヤ顔で語るこたあない。
英語そのものではなく、日本語を客観的に、或いは外部から見ることに意義があるのでは?と思う。日本語を「きちんと」使えることが前提だろうが。
人間の存在が対他存在である以上、「そのまま、いてよい」存在の肯定を自己完結的に創出することはできないし、「役割」の媒介が必要。場合によっては「教祖・信徒」とか。
内なる他者を持ち、その他者に対する「対他存在」と自己規定する。しかしその他者の存在を確定させるため、さらなる他者を…と先に進めていっても確定はしない。楼閣は楼閣だが、砂上だろう。一つ風が吹けば全て失われてしまう。
己が生まれる前から存在し、己の死後も残るであろうものへの尊敬・畏怖の念が不足していないか?本来の保守主義・権威主義というのはそういうものでは?
ノロウイルスは細胞表面の糖鎖に結合して吸着するが、この糖鎖は血液型によって異なり(糖鎖の違いが血液型になる)、ノロウイルスの種類によって結合できる糖鎖→血液型が異なる。
特定の個人との関係で成り立つ「個人的役割」と任意・不特定の個人に対して成り立つ「社会的役割」。この観点は興味深いな。例えば「先生」というのは本来特定の生徒や患者などに対する個人的役割であるはずなのに、いつの間にか生徒や患者以外からも呼ばれる社会的役割になっている。
東京と大阪の「演劇改良会」。大阪で中村宗十郎のリアルな芝居を見て演劇をやろうと決心したのが角藤定憲と川上音二郎。
天覧歌舞伎によって社会全体から公認され、近世と訣別して近代演劇の一ジャンルとなることで同時に決定的に古典劇化した。
GDPギャップ。経済の供給力と現実の需要との間の乖離。これが埋まるまではデフレ(ディスインフレ)が収まらない可能性がある。結局投資に回らない。
衰退に向かう安定した均衡状態から、大きなリスクを伴うアベノミクスへ。特に弱者にしわ寄せ・歪みが及ぶことを見ておかなければ。
教員だけで100万人いますから、そりゃ不祥事起こす人もいるでしょう、という前提でシステム設計をするのが適切なアプローチと思いますが、日本社会ではそういう議論を提案する側が潰されるという罠が待っています。
「起こらない」前提がマズいのは、原発事故で分かりそうなものなんだけどなあ。敷衍する能力を言霊信仰が凌駕する(笑)>RT
新型インフルエンザは、元々普通に自然界に存在していたものが、ヒトにも感染する能力を新たに身に付けたもの。「鳥インフルエンザ」も含まれるわな。
A、B、Cの3つの型と、A型インフルエンザのエンベロープに埋め込まれたHA(ヘマグルチニン)とNA(ノイラミニダーゼ)のタイプによる種類。「H1N1型」など。RNAレベルでは同じ?