させぼ moonlight serenade

自身の取扱説明書です
きっと

肩ごしの世界

2009-11-09 00:32:56 | 日々のこと

お気に入りのブーツも上着も

役目を果たせない程 ムワッとする 気候の休日でした

もうすぐ秋が サアーッと引き潮のように 終わってしまうと

なぜか 確信に 近いものを感じ

洋梨や柿 はたまた イチジクのジャム入り紅茶まで

秋の痕跡を ビッチリ 身体に 

浸み込ませるように 味わいつくしました

もう二度と逢えないであろう 今年の秋を 想って 

そんな秋のフィナーレに ふさわしいイベントに行ってきました

街の中心の美術館にて 二年に一度行われる

オランダの花やさんの 作品展

3フロアーを 埋め尽くす アーティスト達の

壮大なスケールの作品の数々

テーマが 「旅立ち」と云うこともあって

「見送る」という立場の

傍観者である 私には

どれもこれも 切ない情景でした 

たくさんの 色彩に 溢れているというのに

なぜか 静とか モノクロという 表現が似合う空間

油断したら 泣いてしまいそうな ココロモチ

まるで巡礼のようで 神聖な時間でした

今まで 自身が経験した 旅立ち

見届けてきた 旅立ち

そして これから 実感するであろう 旅立ち

それらを 思い巡らせ 辿り着いた 最終フロアーでは

ちょうど 以前から 気になっていたけれど

タイミングが 合わず 聴きそびれていた

重松 壮一郎さんの ピアノライブが 行われるところでした

初めて お目にかかる 重松さんは

私の愛読書 「ハチミツとクローバー」に出てきそうな 

繊細さと 強い意志を 不思議なバランスで

保ってらっしゃるような方でした

独特の空気感に 会場が包まれ

彼が ピアノに 寄り添うかのようにして

演奏が 始まると そこは深い森のようでした

ちょうど私が 座っていた 場所からは

作品の一部である蔓が 彼に絡みついているように

見えたので なおさら 樹海をさまよう光景と

シンクロしてしまいました

エリック・サティを 初めて聴いた時

この世の 哀しみに 音が あるならば

きっと こんなふうだろうなと 思いました

でも なぜか決して 辛くはない 救われる音

今日も あの頃と 似ている感覚でした

不安や 動揺 迷いや                                                                                                                                                      

絶望に 音があるなら・・

でも その先には 希望とか 向上が

きっと 待っていてくれると

ハッピーエンドを 期待させる 音の世界観

演奏後に 主宰の 吉村舞さんと

重松さんが ともに 口にされた言葉

「ものを 生み出すということは 向き合うことであり

対話の中で 自然と 見えてくるものを

カタチにして 送り出すこと

また 不安や 考えなければいけないことが

多すぎて グルグル溢れそうな時は

できるだけ 頭や 心の中を カラッポにしてみる

そうすることで 目の前だけではなく

その向こうの 背景にまで 目を向けることができるから」

私なりの解釈だけれど

目先の状況や変化に すぐ動揺してしまう自分自身に

送られたエールのようで 救われました

ずっと その空間で 感じていた 切なさは

自分の心に 入り込んでしまったかのような

心にある 暗闇を 作品達に そして 音楽に

見透かされてしまった 動揺があったのかもしれません

これからも 心を映すモノたちに 支えられ

もっと 広く もっと 向こうの

肩ごしの世界まで 眼差しを向けていこう

まだ見ぬ きっと素晴らしい 無限の世界へ

 

 

 

 

 

 

 

 

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