登山
を
するように
なって
山中
で
仏像
に
出遭い
手
を
合わせ
ココロ
落ち着かせるように
なって
仏門
にも
興味が湧くように
なりました
明治11年
に
大火
の
難
に
遭い
黒髪山大権現
より
佐世保市内
へ
遷された
黒髪山大智院
京都旧嵯峨御所
に
あった
大覚寺宮
との
所縁
も
あり
此方
には
梵鐘(十六弁菊紋入り)
や
弘法大師空海
が
遣唐後
帰国
の
際
爪で刻んだ
と
される
不動明王
の
石板
も
大切
に
保管されている
と
見聞きし
仕事帰り
に
寄ってみました
残念ながら
お堂
の
開放時間
は
過ぎ
石板
は
年に一度
一月
の
最終日曜日
節分大祭
の
折しか
開帳されない
と
云うコト
だったのですが
従事者
の
方
に
お話
を
伺えたり
多々ある
仏像群
を
眺め
御詣りさせて
いただき
とても
ココロ
洗われました
敬愛する
仏像マニア
の
みうらじゅんサン
は
仏像が好きな理由は
ー怪獣のように
見上げる迫力があったからー
だという
ワタシ
に
とって
は
やはり
如来像
は
ーこう在るべき表情
そう在りたいココロヅモリー
そんな
象徴
で
あろう
齢
を
重ね
想い掛けない
出逢い
や
感心
に
驚いたり
慄いたり
するけれど
いつも
光を遮るコト
なく
進むべき道
を
ただ
一歩
また
一歩
噛みしめるように
必然であると
受け止め
踏み出していきたい
そう
想う
ー生きながらにして
ヒトは成仏するコトが出来るー
この世なくして、あの世はないのだ。
この世を逃げて、あの世はないのだ。
この世で生きながら、仏となれ。
幸せを掴み
成仏するのだ。
この世を逃げて、あの世はないのだ。
この世で生きながら、仏となれ。
幸せを掴み
成仏するのだ。
そんな
弘法大師空海
の
御言葉
が
また
明日
の
ワタシ
を
築き上げる
礎
と
なるでしょう
いつも
想う
其処
へ
赴いて
よかった
と
此処
へ
還り着けて
よかった
と