海山の創作ノート

工房T 海山の書、印、絵、版画、工作、etc.日々の暮らしの中で出来た作品を紹介します。 さて、今日は何を作るかな。

No.336 旅行記  「山頭火を求めて」 日奈久温泉その二

2009-02-03 | その他



●思わず、心の中で「いいぞ!」と叫んだ。
 日奈久温泉駅のホームには、いきなり山頭火の句が目の前にでてきた。30センチ程の丸太の輪切りの板に書いた素朴なもので、「いつも一人で赤とんぼ」や「この旅果ても旅のつくつくぼうし」など。跨線橋を渡って、改札口では、ちょっと変だが、山頭火の格好をしたマネキンが出迎えてくれた。改札を出ると、今度はお土産や特産品のワゴンが並ぶ。JRの駅とは違う雰囲気にちょっと戸惑う。まあ、特徴があっていいか。駅員さんたちもみんな女性で、柔らかい感じもする。まず、改札で地図と名物のニッケ飴をゲットして歩き始めた。
 相変わらず小雪がちらついてはいるが傘をさすほどではない。左手に地図、右手にデジカメ、背中にはいつものリュックだ。地図は手書き絵のきれいなもので、とてもわかりやすい。駅の左手に向かって10分も歩けば日奈久温泉街だ。国道には車は走っている。なんといってもこれでも国道3号線だ。交通量は多い。しかし、一歩脇道に入ると道も狭くなり、人通りもなくなる。既にこの閑散とした、なんとも昔風のたたずまい、町の雰囲気、ムードがちょっと歩いただけで伝わってくる。子供のころに逆戻りしたような風景。いい感じだ。旅に出たということを実感する。もしかすると、タイムスリップしたのかもしれないぞ。そんな感じだ。軽快に足が進む。
 熊本県八代地域振興局発行の「日奈久物語」というパンフレットには、「日奈久は路地で迷うのが面白い」とある。確かに、狭い路地、そして味噌屋、白壁など、そこここに、「歴史の町」や「古いたたずまい」を感じさせる建物が並ぶ。旧薩摩街道を通っているらしい。民家の壁に例の山頭火の句。それに混じって子供の句も書いてある。どうやら俳句作りが盛んなようだ。酒屋の入口にはたくさん並べてあってほほえましい。高田焼の上野窯でガラス越しにちょっと見学、路地に入ったら、足手荒神という小さな神社…。
寄り道ばかりではなかなか進まないので、まずは温泉神社を目指した。立派な土蔵や温泉旅館、ちくわ屋、お土産やなどを横目に、10分程歩いて、鳥居をくぐって階段を上ると相撲の土俵、それを囲うように石でできた桟敷席、奉納相撲をやるらしい。この桟敷は安政年間のもので、ローマのコロシアムに匹敵する歴史遺産という。
 さて、日奈久温泉は、1409年、神のお告げによって発見されたというから、とても歴史ある温泉で、今年でちょうど600年ということになる。熊本と薩摩を結ぶ薩摩街道が日奈久の真中を通っているので、参勤交代で島津の殿様も通ったし、西郷隆盛も大久保利通もシーボルトも、きっと通った道。当然人通りが多いから、温泉も藩の直営の温泉場として江戸、明治、大正、昭和と隆盛を極めたらしい。
温泉神社はまさにその神をまつってある。ここは見晴らしもよく、日奈久の町並みが海の方へ広がり、不知火海もよく見える。晴れていれば天草の島が見えるらしいが、まだ小雪がちらついているので見ることができず、ちょっと残念。
 階段を下って温泉街まで戻った。懐かしい感じのお土産屋さんをのぞいてみた。いかにもお似合いのおばあちゃんが店番をしていて、つい竹の箸を買ってしまう。名物のちくわの焼けるにおい、そろそろお腹もへったので、目抜き通り?のラーメン屋で体を中から温めた。
 さて、いよいよ温泉だ。ラーメン屋の主人に単刀直入「どこの湯がいいですか?」と訪ねてみた。なんといっても地元の人に聴くのが一番なのだ。夫婦そろって三湯程の名前が出てきた。というわけで、その三湯を探しながら、いよいよ本格的に「路地に迷う」とするか!