゛まるかん人゛プラトーク

元気とキレイを追求すると、人生は楽しく過ごすことと・・・!?

ひと2008 堀尾 嘉幸さん

2008-11-05 17:30:00 | 人物100選

長寿遺伝子を研究する札医大教授

100_1002 脳の神経幹細胞が神経細胞に分化する仕組                               みの一部をマウスを使って同僚らと解明し、世                               界的な学術雑誌「米科学アカデミ-紀要」に10                            月、研究論文を発表した。「長かった」と振り返                             る。寿命を延ばすという長寿遺伝子がつくる酵                              素の働きを6年前から研究。今回、この酵素が                              分化の過程で働いていることを突き止めた。国                              からの研究費は最初の2年間のみ。「道の研究                             費に支えられた。でも厳しかった」と言うだけに、                             喜びはひとしおだ。1999年、大阪大助教授から                            札医大医学部薬理学講座の教授に就任し、北海道へ。以来9年間、                  長寿遺伝子の研究に一貫して取り組んでいる。「当時、最も解明さ                   れていなかったのが老化の分子メカニズム。札医大か゛自由な雰囲                             気で新しいテ-マにも取り組めた」自身のこれまでの研究で、長寿                             遺伝子の酵素の働きを促進する薬を遺伝性心不全のハムスタ-に                              投与すると、寿命が延びることが分かってきた。「長寿遺伝子は、い                              ろいろな病気にかかわっているようだ。解明していくことで、ヒトの病                             気の治療や予防に役立ちたい」と、目標を見据える。日々の研究の                              気分転換は、水泳や読書、それに料理作り。「たいていの家庭料理                              ならできます」。生まれは大阪府豊中市で「根っからの大阪人です」と                            も。妻と2人の息子と札幌市で暮らす。53歳。

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時代の肖像<岡田 唯男さん(38)>

2008-10-04 16:01:00 | 人物100選

◎ 「指導医」の養成に取り組んでいますね                                           亀田ファミリ-クリニック館山院長 “家庭医の層を広く厚く”

100_0914 「指導医」とは文字通り、医師を指導・養成する                              医師のことだ。指導医の質が上がれば、医療現                             場全体の質が向上する。「医療の中身を患者の                              思いをくみとる医師が求められています」指導医                             を育てる研修を個人で始めて4年目になる。ほぼ                            無報酬。指導の基本は米国で学んだ。米国は1                              970年代、どんな病気でも幅広く診られる「家庭医」を増やす政策を                   とり、教師役の指導医の要請に予算を割いた。欧米で、家庭医は専                             門分野の一つだ。

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「研修を通じて、指導医を育て、それによって家庭医を増やしていきた                             い」と考える。医療の高度化に伴ってもてはやされる「臓器別」の専門                            医とは対極の立場だ。日本では、内科をはじめ学会ごとに指導医を認                            定してきた。厚生労働省は、指導医とは「研修医を指導するため原則                            7年以上の臨床経験を有する医師」と位置づける。指導医となる医師に、                          厚労省は必要な研修の受講を促す。研修は国の基準に従って、個人                            による研修は皆無に近く、人気を集める。名づけて「HANDS-FDF」。                           年に四回、計9日間で修了する。神戸大学医学部を卒業後、家庭医を                           目指す。だが、日本では家庭医養成の仕組みが整っていなかった。                             3年目で米国へ。ピッツバ-グ大学関係の市中病院で家庭医療学を                             学び、指導医研修を受けた。5年を要した。「こんな苦労するのは自分                            で終わりにしたい」と思い、帰国後、いまの指導法を確立させる。受講                            するのは、医師免許を取って5年以降の中堅だ。本年度の初回は7月、                           十勝管内更別村であった。2泊3日の合宿形式で、家庭医や小児科医                            ら14人が参加した。研修を進めるうえで、鍵を握るのは「いかに、うまく                               褒めるか」だ。参加者が指導医役を務める模擬授業がある。指導医役                            の意図が生徒である研修医にきちんと伝わっていなくても、「狙いは悪                            くない」といったふうに、改善すべき点を含めて褒める。全員で評価し合                           い、目的地に着けるよう軌道修正する。「フィ-ドバック」と呼ぶ手法が                            研修では効果を挙げている。

参加者は研修修了後、学んだことを実践する。研修医を指導する様                             子をビデオに撮り、次回、持ち寄って意見を仰ぐ。本来、1週間程度                             の中身の研修を4回に分けるのは「アウェ-(研修)とホ-ム(現場)                             を行き来することで教育効果を高める」ためだ。過去3年間で、全国                              30数人が研修を終えた。目標は「フィ-ドバックを必要とせず、自ら                             の成長や資質を管理できる医師を育てること」だ。

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日本の医学教育では、「背中を見て覚えろ」式の職人気質が残る。                               医学知識を教わることはあっても、医学教育の方法を教わることはま                            ずない。患者とよく意志疎通できず、安心感を与えるために検査を多                             用する医師がいるとの指摘もある。千葉県内の亀田ファミリ-クリニ                             ック館山で、成人、小児の診療はもちろん、傷の縫合から妊娠検診ま                            でこなす。「家庭医とは究極の個別化医療、つまり『あなたの専門医』                            なんです。患者一人一人の背景や価値観、志向を詳しく知っておく必                             要があります」研修を「誰が生徒か先生か分からない」めだかの学校                            に例える。実際、若い医師に教えられ、成長していると感じる。研修で                            は医療そのものは教えない。「指導医の育成を通じ、彼らが預かる多                             くの研修医に影響を与えたい」と願う。その先にあるのは患者本位の                             医療の実現だ。

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ひと2008 中島 量 さん

2008-08-18 15:00:00 | 人物100選

石狩産食材を使った名物開発に取り組む

100_0910 藤女子大の学生たちと、石狩産食材にこだわっ                           た名物を開発しながら、まつおこしに取り組む「仕                           掛け人」だ。「石狩は鍋料理た゜けじゃないところ                           を、多くの人に知ってほしいんです」石狩市で約                            60年続く測量会社の三代目。それまで、興味が                           なかったマチおこしに取り組み始めたのか゛3年                           前のことだ。知人から地ビ-ル会社設立にさそわ                           れたことがきっかけだった。「ほかにないものを造                           りたい」と、藤女子大生と共同で開発したのが、石                          狩産米を使ったピンク色の発泡酒「カナスト-リ-」。2006年12月に               発売し、1年で10万本を売るヒット作に。今では東京・六本木ヒルズで              も飲めるようになった。昨年12月に発売したご当地ハンバ-ガ-「いし                         かりバ-ガ-」の売れ行きも上々だ。27歳でがんを患い、長期療養を                          余儀なくされたが、現在は石狩青年会議所のメンバ-としても精力的                          に活動する。「石狩は札幌から30分で行ける、大いなる田舎」と言う。                         「海や山があって、豊かな食材もある。資源がたくさんあるからこそ、新                         たな名物でその素晴らしさに地元の人たちも気付いてほしい」今も石狩                         産食材を使ったお茶漬けを開発中で、今秋の完成を目指す。「目標は                          学校給食で食べてもらうこと」と笑う。石狩市内で妻と二歳の長男と暮                          らす。36歳。

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時代の肖像<杉山 清 さん(48)>

2008-08-12 16:30:00 | 人物100選

○商店経営って何でしょう杉山フル-ツ店主                                             損得よりも「心の交換」

100_0908 ←魂を込めて生ゼリ-を作る。出張販売のこと                               を「ライブツア-」と称しているが、7月上旬に東                             京・銀座のデパ-トで行ったライブでは連日、完                             売が続いた

杉山さんは婿養子だ。栃木県二宮町生まれ。父親を早くに亡くし、                   親類の元で育つなどの苦労を重ねた。県立真岡高校を卒業後、東                              京都内のホテルに就職し、フレンチのコックを目指した。同じホテル                             のフロントに、妻となる郁美さんがいた。郁美さんの実家が1950年                             創業の「杉山フル-ツ」。結婚後、「女房の実家を継ぐ」とホテルを辞                             め、82年、静岡県の吉原に移った。

       ○ ○ ○

当時は「黙っていても客が来た」。商店街にあったス-パ-が、どん                             どん客を引き込んでいたのだ。「個人商店も、おこぼれにあずかって                              いた。コバンザメというか、共存共栄というか」しかし、時代は郊外型                             大型店舗に確実にシフトしていった。ス-パ-は98年に撤退。夫婦                             と義理の両親が経営する典型的な「パパ・ママストア」は改革を迫ら                             れた。ギフト商品への特化に生き残りを懸けた。夫婦で全日本ギフト                             協会公認のラッピングコ-ディネ-タ-の資格を取得。包装ををアピ                             -ルする一方、「故郷で独り暮らしをする母親へ」「心に響く、結婚式                             の引き出物を」などの個別の注文にも、誠実に対応していった。「本                             当に、お客さんのために戦っているか、と自問しているんです」と杉山                             さん例えばお歳暮ようのミカンは仕入れてから、箱から出し、一個一                             個チェックする。「ひとつでも傷んだ物があったら、こちらの信用がなく                             なるのでですから、当然のこと」。その信用が積み重なり、今では一                             個1万円近いギフト用の高級メロンを年間、約9千個も売る。「杉山さ                              んなら大丈夫」。客からこの言葉が聞かれるようになったことを喜ぶ。                             改革前には8千万円前後だった年商は倍以上になった。ホ-ムペ-                            ジ(HP)を通じて、顧客は道内を含む全国に及んでいる。杉山さんは、                           果物のエキスパ-トを養成する日本ベジタブル&フル-ツマイスタ-                            協認定のソムリエ第一期生でもある。その肩書きと経験、知識を生か                            し、生フル-ツゼリ-を開発、この3年間で40万個を売った。植物性                             素材を使った透明なゼリ-にカットフル-ツが浮かぶ。そのみずみずし                             さは人気を呼び、インタ-ネットでも話題に。平日に3百個、週末に7                              百個を作るものの、午前中には完売してしまう。予約を受け付けてい                             るが、今では4ヵ月待ちだ。杉山さんはゼリ-を「作品」と呼ぶ。「商品                            ではありません。魂で勝負した、入魂のゼ゛リ-です。求めている人の                             顔を思い描きなか゛ら作っています」。大手ス-パ-やメ-カ-などが                            ライセンス生産を持ちかけるが「品質が維持できない」と断っている。                            「損得より善悪を考えなければなりません。売り上げという数字に追い                            かけられるなら『物々交換』。私は心と心を交換したいんです」

       ○ ○ ○

かっては東海道の宿場町としてにぎわった吉原の商店街も、全国                              の商店街同様、シャッタ-を閉めたままの店舗が目立つ。全盛期                              には120店が営業していたが、現在は70店程度という。「しかし」と                             杉山さん。「立地条件は関係ない。田舎でも、都会でも、店に魅力さ                             えあれば、お客は呼べる。『駐車場がない』『行政がなにもやってく                              れない』そんなことばかり言っていてもダメ。ダメになる要因は内部                              にある」と厳しい。「楽しくなければ仕事じゃない。店のシャッタ-か゛                             開くときは、舞台の幕が上がるのと同じ。そこから、お客さんと店員                              によるステ-ジが始まる。真剣なステ-ジを繰り広げれば、お客さん                             にも熱意が伝わるはず」小さくても、きらりと光る店。杉山さんのステ                             -ジはまだまだ続く。

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宗教評論家 ひろ さちや さん

2008-08-11 17:52:00 | 人物100選

“狂った”現代社会批判                                                         仏教を例に生き方指南

100_0907 世の中は狂っている-。ギリシャ語で「愛」を意                            味する「フィロ」と、サンスクリット語で「真理」を意                           味する「サティヤ」を合わせた「ひろさちや」。この                           ペンネ-ムで書いてきた数々の自著で、長年こ                            う訴え続けてきた。昨年出版した「『狂い』のすす                           めでは、「狂った世の中の常識、物差しにとらわ                           れず、自分らしく自由に生きよう」などと説き、本                           は16万部を超えるヒット作りになった。「何でも                            カネカネカネで、もうければいい、経済発展のためなら何をやっても                いい、会社の都合のためには少々消費者をだましてもいい、という                 今の社会のおかしさに気づき、私の考えに共感してくれる人が増え                           ているのでしょう」これまでに出版した本は、翻訳なども含めて500                           冊以上。多くが一般の人たちに分かりやすく仏教を紹介する入門書、                          解説書だ。ただ、東大大学院博士課程を修了するまで専攻していた                           のはインド哲学。気象大学校で哲学を教えていた35歳の時に、仏教                          書の執筆を依頼され、「やむを得ず」仏教の勉強を始めたのが、物書                           きとなるきっかけだった。「私の子供のころ、天皇制の『いい国』と教                           えられてきた日本が、敗戦とともに『おかしい国』とされた。一夜にし                           て常識が変わる。国というのは信じられない、ということが肌身にしみ                           付いて育ちましたから、仏教を勉強しながら、世の中のおかしさを批                           判するのが宗教の役割だと、ひしひしと感じたのです」48歳で20年                            勤めた大学を辞め、文筆業に専念して24年。本の執筆のほか、多い                          ときは1年に250回も講演会などで全国を飛び回るような忙しい生活                          を続けてきた。「忙しい?私は忙しくはありません。スケジュ-ルが                           過密なだけです。『忙』という字は『心をなくす』と書く。『お忙しいです                          ね』というのは、『心を失っているぞ』と言っているんです」「世の中に                           役に立つ人間にならなくてもよい」「道徳は、ばかにした方がよい」                           「人生は無意味」。仏教を中心とした宗教の教えを例に取った生き方                           指南は、世間にどっふむり漬かった私たちには、ある意味過激だ。                           「最近は小学生をはじめ、若い人からも『僕も愛読者です』と手紙をも                           らう。世の中全体が生きる羅針盤を求めているんですね」。社会の“狂                        い”に気づいた読者の後押しを受け、執筆活動にも、ますます力が入                          る。大阪府出身で大の阪神ファン。なんと以前には、「勝つか負けるか                         は、ご縁の関係」と、阪神ファンの心理を仏教の教えで解説した本も                           書いた。「阪神ファンは勝ち負けを度外視して楽しめることが、人生論                          にも通じるんです。巨人ファンとは違いますよ」。チ-ムの好調さと相ま                          って、一段と高い笑い声が響いた。

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ひと2008 石橋 栄紀さん

2008-06-17 17:00:00 | 人物100選

「放牧推進」の浜中町農協組合長 いしばし・しげのりさん

100_0798_2 低コストで環境に優しいと注目される「放牧酪                           農」。その推進を本年度、浜中町農協(釧路管                            内浜中町、198戸)が全国の農協で初めて事                            業計画に明記した。「環境と経済の調和は今世                           紀最大の課題。放牧は、地球上で酪農家が生きていくための取り                組みだ」ふん尿を自然に土壌還元して高栄養の牧草を育て、放牧                            した牛に存分に食べさせて良質の牛乳を-。約10年前から同農協                           の姿だ。その実現へ、放牧技術の研究と普及、牧道整備などをさら                           に進める。千葉工大で管理工学を専攻した異色の酪農家三代目。                            旺盛な好奇心で配合飼料の大量給餌など新しい飼い方に挑んでき                           たが、オイルショック時の飼料高騰も経験。行き着いた結論は「牧草                           という地域資源の活用こそ経営安定への道だ」。組合長在任18年。                          地域の酪農の未来を語る言葉は明快だ。「浜中の牛乳を求める消                            費者がいる限り、浜中の酪農は生き残れる。酪農家が『浜中の牛乳                           は100%と安心』と言えることが大事」デ-タ分析に基づく乳質向上                           に先駆的に取り組んだ同農協だが、近年は牧草地の森林再生など                           環境保全に力を注ぐ。「生乳も産地間競争の時代が来る。環境は重                           要な『差別化』のポイント」と。5月で任期七期目に。妻、息子一家と                           6人暮らし。搾乳牛110頭は夏場、放牧する。68歳。

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時代の肖像「酒井 聖義さん(80)」

2008-06-05 16:00:00 | 人物100選

水源の里連絡協議会会長                                                   ○ 「限界集落」 住民の力で再生可能か

100_0537 下流域と交流 元気生む

「上流は下流を思い下流は上流に感謝する、の                            理念に基づき流域連携を」住民の半数以上、過                           疎と高齢化で集落の維持が困難な限界集落を                            抱える自治体が集まり、昨年11月末に東京で結                           成された「全国水源の里連絡協議会」。京都府綾部市の住民組織・                           水源の里連絡協議会の酒井聖義会長(80)は住民を代表して宣言し                         た。

       ○ ○ ○

自ら暮らす同市老冨地区の大唐内は府北部を流れる由良川水系・                           上林川の最上流部。谷沿いに水田が点在しヒノキやトチの混合林が                           がる典型的な過疎集落だ。住民は19世帯、30人と、この40年間に                           三分の一に現象した。隣接する市芽野は6世帯12人の住民がすべ                           て65歳以上。「冠婚葬祭や祭りができんようになってます。全国各                           地の水源地区の集落の明日の姿や」。全国協会長に選ばれた四方                           八洲男市町とともに集落再生を行政や政治家に訴えてきた。老冨の                          自治会長だった一昨年春、住民代表として「水源の里を考える会」に                          参加、「高齢者が元気になれるには」との発想から提言を上げた。そ                           れが形になったのが「水源の里条例」である。昨年4月に執行され、                           全国初の限界集落条例として大きな反響を呼んだ。市外から25㌔                           以上離れた戸数20世帯以下の5集落を指定。住宅改修や空き家の                          活用による定住の促進、農林業体験を通じた都市との交流、特産物                          の開発・販売を掲げた。一方で「生活基盤の整備こそ定住の必須条                          件」と、水洗化や通信網整備を盛り込ませた。ただし5年の期限も付                           いた。「今は住民も元気だが、結果を出さなければ、集落は消えてし                           まう。スピ-ド感が必要だ」と、危機感をバネに、成果を期す。地元の                          老冨では、6年ぶりに婦人部が復活、特産品として、モチ米にトチの                           実を交ぜたトチもちづくりに取り組んだ。秋には自らトチの実を拾い集                           める。独特の風味が当たり、昨年は30臼を作って完売の人気ぶりだ。                          3月には30年後を見据え、大手陶器メ-カ-の環境基金の支援を                           得て苗木20本を植える。「生まれ育った村が消えても仕方ないとあ                           きらめていた住民も、何とかしたいと思い始めた」と変化を喜ぶ。

       ○ ○ ○

上流からの発信に下流の住民も反応し始めている。京阪神地区の                            大学生がトチの皮むきを手伝ったり、シカの進入防止柵づくりにボラ                           ンテァが協力するようになった。流域との交流が動き出したのだ。                             「収入ではなく、地元が元気になることが大きい」と語る。「5年間で                            Uタ-ン、Iタ-ンがしやすい山村づくりを進めたい」。具体的な目標                            を据えたことが住民の結束を引き出してるようだ。「集落の一人一人                           が見違えるように元気づいた」と手応えを感じている。市内の「NPO                           里山ねつと・あやべ」も住民の動きをサポ-ト。住民が住まなくなっ                            た空き家を登録、インタ-ネットを通じて移住希望者らに紹介してい                           る。同市加治屋町小畑地区の住民は、合理化で農協の購買部が                            撤退した後、高齢者らのために生活物資や産地直売品を扱う、住民                           出資による共同店舗を経営するなど、今や綾部は限界集落再生の                            モデルになっている。国土交通省によると、全国で2641の限界集                           落(道内は208集落)は10年以内に消滅する可能性があるとされる。                         全国協議会が発足したことで「森林の管理など緑の公共事業に新し                           い国の支援を求めたい。それに充てるために環境税や水源税があっ                           ていい」と酒井さんは話す。本家・水源の里からの発言は説得力が                           ある。

あとがき 綾部は、集落再生を実践する酒井さんだけでなく、田舎暮                           らしの勧め「半農反X」を提唱する作家塩見直紀氏ら地方活性化の達                          人が元気だ。限界集落というと、お荷物と受け取られがちだが、環境                          に恵まれた「水源の里」と位置づけた着眼は卓見。感謝をどう表すか。                          下流が問われる番だ。

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時代の肖像「地雷除去に全力を傾けていますね」

2008-05-16 17:09:41 | 人物100選

山梨日立建機社長 雨宮 清さん(61)                                            子どもに笑顔が戻れば

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昨年11月、会社の階段から落ち、右大腿骨を折                           った。「疲れすぎなのかな。落ちた瞬間を覚えとら                          んのよ」それほど、忙しい。3月下旬から約2週間、                          カンボジアで技術指導してきた。現在は講演で全                          国を飛び回る。社長業は土日にこなしている。

       ○ ○ ○

地雷とのかかわりは1994年に始まる。カンボジアに行った。内戦終                           結後の国を見てみたいという好奇心からだった。驚いた。手足のない                           人が非常に多いのだ。そして、足を失った少女から言葉をかけられた。                         「日本の人ですか?私の国を助けてください」地雷原はジャングルなど                         になっていることが多いため、やぶや低木の切り開くカッタ-が必要に                          なる。現地の除去機はカッタ-の耐久性が低かった。「使えない。自分                         で開発しないと」。帰国後、社員にプロジェクト開始を宣言した。油圧式                          ショベルの生誕に高速回転するカッタ-を取り付けることに。爆発ネエル                         ギ-をいかに逃がし、爆発時の高温にどうやって耐えるのか。手探り                          の研究が続いた。既成部品は地雷除去を想定していないから、自社                          開発せざるを得なかった。陸上自衛隊の演習場やカンボジアで実験を                          重ね、一号機が完成したのは98年。ブッシュを切り開き、地雷処理後                         は土地を耕すこともできる。「業績が傾くぐらい、金をかけたよ。技術者                          の意地があるからね」。現在は6ヵ国で56台が稼動。「社員や現地ス                          タッフ、関係者の協力のおかげ」と振り返る。現地では必ず、自ら操作し、                        性能を確かめる。「先頭に立たないと現地の人が信用してくれない」。カ                          ンボジアでの実験中、右耳の鼓膜が破れた。爆発時に飛び散った鉄球                         が操縦席にめり込んだこともある。「死んだら死んだで仕方ない。子ども                         たちに笑顔が戻ればね」と笑い飛ばす。地雷原は、農地や学校用地に                         生まれ変わる。究極の目的は生活の安定と自立だから「美しい畑にな                          っていたりすると、本当にうれしい」。

          ○ ○ ○

山梨県山梨市の農家の出身だ。中学を卒業後、東京の建設機械                             メ-カ-に就職。「ケンカばかりしとったガキ大将。畑仕事もようした                           な。だからほとんど字も知らんほどだった」。勤務後、必死で学んだ。                           23歳で帰郷し、独立。80年に日立建機と資本提携した。なぜ、地                            雷除去にこだわるのか。思い出すのは、亡母・ふき子さんが言い続                           けた「陰日なたのない人間になれ。人のためになれ」という言葉だ。                           「カンボジアで少女と出会い、天命を与えられたのです。人生、どう                            変わるかわからない」5年前から、全国の小中学校で講演。昨年は                            64回、今年もすでに56回の予定が入っている。6月2日から6日に                           かけては、札幌・山の手南小学校など8校でスライドを上映しながら、                          カンボジアの様子を話す。社会貢献の一環だから、旅費も講演料も                           一切、受け取らない。講演後、学校から感想を記した手紙が届く。                            「『いじめを見て見ぬふりをしていた自分が恥ずかしい』といった反応                           もある」。だから可能な限り、講演を続けたいと願う。「それでも」と雨                           宮さん。「カンボジアやアンゴラの子どもたちの方が、『こころの先進                           国』にいると実感するよ。先生になりたいとか、医者になりたいといっ                           た夢を、瞳を輝かせて話すんだ。日本の子どもたちにも、もっともっと、                          夢を語ってもらいたい。地雷除去にも、すごく大きな夢が託されている                          しね」地雷を除去し、未来を耕す社長。子どもたちの笑顔が、活動の                           糧だ。

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ワサビのハウス栽培に成功した「佐々木 敏男さん(58)」

2008-04-29 17:00:00 | 人物100選

模索重ねて本場の辛み

100_0657 冬に雪が積もり、水温が下がる北海道で、ワサ                            ビ栽培は不向きとされる。佐々木さんは、胆振                            管内豊浦町で、父定吉さん(93が試みたワサビ                           田のハウス栽培に改良を加え、4年前から通年                            で本州産に劣らぬ品質のワサビを年産約200                            ㌔出荷することに成功した。模索を続けた父親                            の代から約20年がたっていた。定吉さんは、コ                            ンクリ-トで四角に囲ったワサビ田に近くの湧水                           を引き、ハウスを作った。しかし、苗を道内で調                             達し自前で採種し続けた結果、苗が劣化し、育ったワサビはふぞろ                 いのうえ、味にも苦味と青臭さが残った。多くはワサビ茶漬けの原                料程度にしかならなかったという。10年前、病気で倒れた定吉さん                           からワサビ田を引き継ぎ、つてを頼って静岡のワサビ苗の移植に踏                           み切った。ワサビ田管理の問題点も見つかった。湧水は地熱によっ                           て1年を通じて水温12度に保たれていたが、砂礫の清掃が不十分                           で、低層にたまる泥がワサビの生育を阻んでいた。佐々木さんは、                           出荷を終えた後のワサビ田に小型耕運機を導入、清流か゛表面から                           低層までまんべんなく通るよう清掃する。ワサビ苗は、厄介な軟腐                            病を防ぐため、苗植え直後に徹底的に点検している。農薬は使わな                           い。警戒するのは、葉が損傷する冬の「しばれ」と春先の日差し。ハ                           ウスの通風と日光の遮蔽に気を配っている。静岡産の苗で栽培した                           ワサビは4年前、しっかり育った。渡島管内森町のそば店「北の玄                           庵」の東隆一さん(59)は「辛味、粘りとも遜色ない」と感心ている。                            しかし、ハウス六棟を使い回し、毎年新しく苗を入れ、1年3ヵ月育成                           する作業は、大きな利潤を生む仕事ではない。「まったく損得勘定の                           ない人だから」と妻雪江さん(55)は気をもむが、本業の林業あって                            のことである。植樹、下刈り、間伐の仕事が途切れる冬が、栽培の                           作業期となる。何十年も先を手入れする佐々木さんは、植物も人間                           に応える心があると思っている。「良い苗も手をかけなければ駄目に                           なり、逆に悪い苗が良く成育したりする」と実感する。町から豊浦特                           産にと、推奨を打診されたが、「無理すると良質なワサビが育たない」                          と応じなかった。山仕事の合間に山登り、冬はスキ-を楽しむ。19                            91年、仲間と近くの昆布岳(1、045㍍)に登山道を開削した。忙し                            く働き続けながら「足るを知る」「ゆとり」の人である。

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時代の肖像<大工 阿保 昭則さん(51)>

2008-04-24 10:52:00 | 人物100選

 「良い家」とはどのようなものですか                                            天然素材で安全を追求

100_0430 だれしも「良い家」に住みたいと思う。では、「良                           い家」とは、どんな家だろう。1998年、全国の腕                          利き大工でつくる「削ろう会」の大会で、阿保昭則                          さんはカンナの薄削りの日本記録を出した。厚さ                           3ミクロン(1000分の3㍉)。五枚重ねても、新聞                           の文字が見える薄さである。「日本一の大工」を目指して研さんを重ね、              それほどの技術を持つ阿保さんでも、「家づくりは難しい」という。「お                           客さんがどんな家を求めているか、それを見極めることが一番難しい。                          自分が満足しても、お客さんに心から喜んでもらえなければだめなん                          です」

         ○ ○ ○

故郷は、白神山地に近い、青森県の小さな村。子供のころから物づく                          りが大好きで、中学を卒業して地元の大工に弟子入りした。「学ぶこと                          がなくなり」、三年目には親方の元を飛び出して、札幌などの建築現                           場で就業。20歳のときには、一人で親の家を建てた。腕の良い大工                           として、多くの住宅の建築を手がけてきた阿保さんに転機が訪れたの                         は、不惑を迎えようとするころ。現場で化学物質を多量に含む新建材                           を扱ううちに、体調を壊してしまったのだ。「それまでは、あまり疑問も                          なく、きれいだからと新建材を使っていたんですよ。でも、つくっている                          自分の体もだめになる家が、住む人の体に良いわけがない。健康で安                         全に暮らせる家でなければ、つくる意味がないと思ったのです」しかし、                         使われる身では不本意な仕事もしなくてはならない。「自分が納得ので                         きる家だけを建てたい」と、2000年に千葉県の大綱白里町で「耕木社」                         を設立。三人の職人とともに、注文住宅の建築と木の家具づくりを行っ                           ている。

          ○ ○ ○

大工になって35年。木やしっくいなどの天然素材と、在来の木造軸                           組工法に徹底してこだわる阿保さんは、「社会が豊かになるにつれ、                           日本の住宅の質は、どんどん落ちてきた」と憂う。「化学物質を含む                           新建材を使い、工場で加工された部材を現場で組み立てるだけの                            住宅が増えてきた。その方が、住宅メ-カ-も大工も、楽してもうか                            るからです。確かに見た目は良いのですが、それが住む人に良い                            家と言えますか」大工の技術の低下も、気にかかる。「一人前の技                            術を持つた大工は、今や全体の3%もいないでしょう」原因は、部材                           を現場で組み立てるプレハブ建築や、前もって機械で木材を寸法通                           り加工するプレカットが主流になり、職人技が必要とされなくなつたた                          めだ。技術を伝えようと、阿保さんは専門学校などで、大工就業を志                           す若者の指導にも力を入れている。「大工を一生の仕事と考えてが                            んばっている若者も多い。そんな子は、基礎からきちんと育ててやり                           たいから」天然の素材と、大工の技術。阿保さんは、それに加えて、                           「良い家には美しさも必要」という。「これからは、大工もデザインを勉                           強しなくてはいけない。大工の都合で、つくりやすい家にするのでは                           だめ。昔の民家が美しいように、今の住宅にも時代に合った美しさが                          求められていると思います」そして、最後に必要なのは「心」だという。                          住む人の安全と健康を考え、好みを理解して家をつくること。「その心                          がなければ、お客さんに喜んでもらえる家にはなりません」阿保さん                           は今、化学物質過敏症に悩む人からの家づくりの依頼を、優先して                           受けている。「聞くと、みんさん本当に苦労されているんですよ。こん                           なに苦しんでいる人のために、天然素材で安全な家をつくるのは、自                          分の義務だと思うんです」天職という言葉が、とても似合う人である。

あとか゛き=阿保さんは、昨年10月に出した単行本「大工が教える                           ほんとうの家づくり」で、これまでにつくった家の間取りや坪単価を詳                           しく紹介している。技を伝えるため、現在手がけている住宅建築現場                          の見学も、可能な限り受け入れている。                                           問い合わせは、同社℡0475・72・2162(ファックスも)へ。

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エンレイソウ研究の第一人者<大原 雅>

2008-04-22 16:27:00 | 人物100選

北大大学院地球環境科学研究院教授                                            進化と生態の関係解明

100_0688 十勝管内広尾町の国内最大のオオバナノエン                            レイソウ群落を主なフィ-ルドとし、その生活史                            の解明に取り組んできた北大教授の大原雅さん。                          詳しい生態が明らかになるにつれ、群落周辺の                           環境全体を守る必要性をいっそう感じるようにな                           つたと話す。                                                広尾のオオバナノエンレイソウ群落を初めて目に                           したのは、北大助手時代の1989年。今後の研                           究テ-マを模索しながら道内を旅していた。「弁                            当を食べようと、たまたま海岸に近い林の方に行                           ったら白い花が見えて、遠くからでも群落と分か                           った」。以来、繰り返し現地を訪れ、他の地域とも                            比べた結果、広さ約五万平方㍍で、国内最大の群落という確信を強               めた。北米と東アジアに分布するエンレイソウの仲間は、ユリ科の多               年草で花弁と葉が三枚ずつあるのが特徴。ハルニレやヤチダモの林               に包まれた、やや湿った環境で育つ。道内では9種が確認されてお                          り、白く大きな花のオオバナノエンレイソウは、北海道のほか東北の                           一部、サハリン、アリュ-シャン列島、ロシア沿海地方などに分布す                          る。清楚なたたずまいが好まれ、北大の校章にあしらわれているほ                          か、恵迪寮歌にも登場する。今も北大校内にはオオバナノエンレイソ                           ウが自生しているという。エンレイソウと言えば、北大を中心とする研                           究者が60年代までに、世界に先駆けて進化の過程を遺伝子レベル                           で解明したことで知られる。大原さんはこの成果を踏まえ、自然界で                           の生態の秘密を探ってきた。「日本のエンレイソウが興味深いのは、                           遺伝子的な特徴が異なる倍数体の種類が多いこと」と語る。植物は、                          遺伝情報を伝達する染色体の最小単位を何組持つか(倍数)によっ                           て、異なる種に分類される。エンレイソウは二倍体や六倍体など倍数                           体の種類が多く、ダイナミックに進化してきたことが分かる。そこで「進                          化のプロセスと生活史の関係」の解明が重要な研究課題となってい                          た。生活史とは「植物の“生きた実態”」を意味する。オオバナノエンレ                          イソウの実生(種から発芽したばかりの状態)は、細長い葉が1枚だ                          け。翌年は丸い葉になり、5~6年けて3枚葉になる。花が咲き、種子                          を作れるようになるまでは10数年かかる。寿命は短くとも数10年とさ                         れ、「延齢草」という日本名のイメ-ジにもふさわしい。大原さんの調べ                        で、十勝と日高のオオバナノエンレイソウにだけ見られる性質があるこ                          とも分かった。「おしべの花粉が同じ花のめしべに受粉しても、種子を                          作れない。これを『自家不和合性』と言います」。このため、虫などによ                          る他個体からの花粉媒介が不可欠となり、勢い、大きな群落を作りた                          がる。逆に開発で群落が寸断されて孤立化すると繁殖が難しくなる。                          広尾の群落は、地域の理解と協力で比較的良好な状態を保っている                          が、危険信号がともった群落もある。

100_0204「毎年花が咲き、保全されているように見えても、                           実生が育っていなければ次世代に生命を引き                            継げない。人間社会の少子化のような現象が起                           きている」 エンレイソウの“生きた実態”を解明し、                          群落周辺の生態系全体を保全する必要性を市                            民に伝えるのも使命と考える。「環境保全の運動にかかわることも                            できるが、研究者としては科学の側からできることに取り組みたい」                           と話、調査の傍ら、現地での観察会などを積極的に開いている。

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今春「エゾシカ学」開講<増子 孝義さん>

2008-04-19 17:00:00 | 人物100選

東京農大生物産業学部教授                                                  地域資源の有効活用を

100_0434 個体数の急増が問題視されるエゾジカを有用な                           「地域資源」ととらえ、生態研究から養鹿、加工、                           流通まで総合的に学ぶプログラム「エゾジカ学」                            が今春、網走の東京農大生物産業学部で本格                           的に開講した。主導する増子孝義教授(動物栄                           養学)に、エゾジカ有効活用の意義を聞いた。昨                           年10月下旬、全道でエゾジカ猟が解禁された。                           明治時代に絶滅の危機にひんしたが、大量死に                           結びつく豪雪が減ったことなどで、1980年代後                           半から急増。道内の生息数は約40万頭と推測さ                          れる。農業被害はピ-クだった96年度の50億円                          からは減ったものの、30億円前後で推移。最近は札幌市内の住宅街              にも現れ、騒ぎを起こした。このため90年代後半からは年5~8万頭が             捕獲され、最近はレストランなどでシカ料理が注目されるが、「活用さ              れているのはほんの一部」という。「80年代の後半にもシカ肉ブ-ム                          が起き、飼養が試みられましたが、解体手続きや販売ル-トが従来                           の家畜と異なるため、あまり普及しませんでした」東京農大では89                           年の網走校開校以来、エゾジカの生態や食肉加工などの研究を続                            けてきた。99年から釧路市(旧阿寒町)の前田一歩園財団の所有                           地で、冬季に野生ジカへの給餌を行い、2005年からは大がかりな                          「わな」で生体捕獲している。前冬は約5百頭を捕獲し、研究に活用                           したほか、道東にあるシカ牧場にも提供された。

100_0433 全国初という「エゾジカ学」は、これまでの東京農                          大の取り組みを一歩進め、生態研究から養鹿、食                          肉加工、流通などを体系的に学ぶカリキュラム。本                         年度、文科省の『現代的教育ニ-ズ取り組み支援                          プログラム」(現代GP)に選定され、昨10月から09                         年度末まで2年半に及ぶ教育プログラムがスタ-トした。「エゾジカ学」                         は、文系、理系の分野を横断的に学ぶ「文理融合」もうたい文句。大学                         1、2年次で生態学や食品科学などの基礎と、「エゾジカ学のすすめ」                          として総論を、3年次以降は生態調査などの実習や食肉加工、流通も                          学ぶ。「エゾジカという地域資源の有効活用で、人間との共生を考える                          こと」が「エゾジカ学」の精神という。酪農飼料の栄養学的な研究を専                          門とする増子教授は、89年の網走着任を機に、エゾジカ研究を始めた。                        冬に捕獲した野生ジカを大学構内の施設で翌年秋まで飼養する「一時                         養鹿」に取り組み、ふんを回収して餌の消化率を調べるなどで、飼養の                         好適条件を探る。餌は牛との共通点が多く、牧草やトウモロコシなど粗                         飼料を使ってコストを下げつつ、肉質を維持するのが課題だ。「エゾジカ                         学」は、大学だけでなく、民間事業者や行政との連携が不可欠だ。「道                          の野生生物の窓口は自然保護課だったが、食品加工は農政、流通は                         経済の分野。これらの部署の連携と、シカ牧場、ホテルやデパ-トの関                         係者も交えた有効活用検討委員会の発足で、動きが活発になつた」と                         喜ぶ。増子教授は「エゾジカ学」を機に、地域資源としてのエゾジカがさ                         らに注目されることを願う。

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はなし(抄)児童心理司<山崎由貴子さん>

2008-03-22 12:30:00 | 人物100選

陰湿で巧妙化するいじめ。被害者の保護を最優先で                                   「教室の悪魔」著者

教室の悪魔 見えない「いじめ」を解決するために 教室の悪魔 見えない「いじめ」を解決するために
価格:¥ 924(税込)
発売日:2006-12-21

「教室の悪魔」を書くことになったきっかけからお話をしたいと思います。                         一昨年、いじめの報道がたくさんありました。自殺者が相次いで、その                         かなりの報道が間違っていると思ったのです。例えば、最悪なのか゛                           「いじめられる側に問題がある」とか、いじめられている子に対しするメ                          ッセ-ジとして「負けないで」とか「立ち向かって」という報道。これじゃ                          あ、いじめられている子がどんどん死にたくなる。マスコミはやっぱり犯                         人捜しです。先生が悪い、校長が悪い、教育委員会が悪いと。悪い人                          捜しばかりしていて、具体的に解決に向けた話し合いがなされていな                          いように思えたのです。

    ◇ ◇ ◇

いじめをやめるにはどうするのか。大人がいじめを許さないのは、子ども                         はとっくに知っている。だから隠している。今のいじめの実態を知らなきゃ                        いけない。陰湿になっているし、巧妙になっている。携帯電話とインタ-                         ネットを使えるようになったことで、子どもたちは匿名性を手に入れました。                       匿名でいじめができるようになった。今のいじめの構造は、被害者一人                         で、残り全員が加害者です。例えば、メ-ルやインタ-ネットを使った援                         助交際のうわさを流す。ホテル街で見たとか、財布に何十万円入ってい                         たとか。家族に対してもひぼう中傷する。借金を抱えている、お母さんが                         売春している、と。全く事実無根です。ひぼう中傷の巧妙なところは、い                         じめの理由が後からつくられること。「しょうがないじゃん。あの子、援助                         交際してて汚いんだもん」という話になるのです。いじめが正当化され、                         理由が先にあったからいじめられてきたんだ、となっていく。これに先生                         も巻き込まれちゃうわけです。最近、いじめは子どもたちの権力争いだと                        思うようになりました。今の子どもの友人関係はすごく不安定です。ころ                         ころ友達関係が変わっていく。嫌われちゃうとか、KY(空気が読めない)                         とか思われることに、おびえています。ある女の子は言いました。「親友                         にだけは本音が言えない。嫌われちゃうから」。すごくおかしいでしょう。                         心と心のつなか゛りが信じられなくなっている中で、この子たちは何によ                         って関係性をつくったかというと、権力争いだと思うんです。自分が被害                         者にならない、傷つかない。地位を安定させるために、いじめ社会の中で、                       権力を得ようとするわけです。こんなひどいことが起っていれば、教師は                         気付くだろうという議論があります。気付くわけがない。子どもたちは必                         死に隠していますから。いじめられている子どもたちはなぜ誰にも言えな                        いのか。大人に話せば、いじめが悪化すると思っているからです。お父さ                        んやお母さんを好きかどうかとは全く別に、子どもは、大人はいじめを解決                       できないと思っています。大人への不信です。私は大人がいじめの解決                        に取り組むことは、子どもたちへの信頼回復だと思っています。解決に向                        けて、私が提案するのは二本柱です。「被害者の保護」と「問題の解決」                        です。そして、これを分けましょうという提案です。

     ◇ ◇ ◇

100_0650 被害者の保護。学校を休ませなければだめで                            す。「いじめがなくなるまで学校に行かなくてい                             いんだよ」と話をする。とにかく、子どもの心を休                           ませることが最優先です。学校やいじめのこと                            には触れず、親子で楽しい日々を送ればいい。                            まずは家庭という場所で、毎日が安全で自分が                           被害に遭わないということを確認する。ここからが、                         心を癒すことのスタ-トです。問題の解決に当た                           って、学校に話し合いに行くときは、まず、いじめ                            があったという事実を伝える。怒鳴り込みに行く                             場じゃない。だからこそ、いじめについての責任追及をしないでくた                せさい、と親御さんにお願いしています。責任を取れという話をし始                めたら、敵対し、解決の話し合いはできません。学校の本当の責任                          は、いじめをなくすこと。被害に遭った子は加害者をどうにかしてくれ                           とは言ってない。いじめをなくしてくれと言っているのです。学校にも                           お願いしています。事実の調査をしないこと。学校は、保護者が「う                            ちの子がいじめられていた」と来たら、「調べさせてください」と言わ                            ないでほしい。「分かりました。わが校にいじめがあったんですね」と                           認めてほしい。被害者がいたんだから、いじめはあったのです。潔く                           認める態度が、次からの信頼につながると思います。

やまわきゆきこ=1969年、東京都出身。横浜市立大学卒業後 、都                          児童相談センタ-職員。多くの子どもや家族の相談を受けながら、講                          演などを通じて現場の声を発信している。「教室の悪魔」(ポプラ社)で                          現代のいじめの実態と解決法を示す。最新刊に「モンスタ-ペアレント                          の正体」(中央法規出版)。

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耳あかの遺伝学

2008-03-19 17:00:00 | 人物100選

病気や薬の利き方にも差                                                    北海道医療大個体差健康科学研究所長 新川 詔夫さん

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耳あかのタイプの違いから、薬の利き方や遠い                           過去の民族同士のつながりまで推測できるの                            だという。「人類遺伝学」の第一線で研究を続け                           てきた北海道医療大学の新川詔夫特任教授に、                          耳あかと遺伝子の不思議な関係を語ってもらっ                           た。「あなたの耳あかは湿っていますか。乾いて                           いますか」。こんな問いを何度となく繰り返してき                          た。日常生活ではとるに足らない耳あかが、遺伝                          学では有用な情報をもたらしてくれる。耳あかに                           湿型と乾型の二タイプあり、それが遺伝すること                           は知られていた。タイプの違いがどの遺伝子によ                           って生じるかを、な長崎大在職当時の2006年、同僚の研究者ととも               に明らかにした。タイプを決める遺伝子を調べ始めた契機は、ある遺               伝性疾患に関する研究で「この症状の人は耳あかがベトベトしている」              という患者の家族の言葉を伝え聞いたこと。「耳あかのタイプ決定遺                           伝子が疾患と連鎖している(密接な関係がある)と直感した」。協力                            を得て家系図を調べると、やはり予想通りだった。異なる情報を持つ                           遺伝子が染色体上で近接していると、一緒に子孫に伝わることが多                           い。この特徴をヒントに、耳あかのタイプは、23本あるヒト染色体のう                           ち16番目の染色体上に存在する「ABCC11」と呼ばれる遺伝子が                           決めていることを突き止めた。「人類の祖先の耳あかは湿型で、遺伝                          的には湿型が慢性。ところがこの遺伝子の538番目の塩基(グァニン、                        G)が他の種類(アデニン、A)に偶然変わったことで、乾型の耳あかを                          持つ人が生まれてきた」。両親から受け継いだ遺伝子がGとG、また                           はGとAだと耳あかは湿型に、AとAだと乾型になる。耳あかは汗と同                          様にアポクリン酸が作り出すので、そのタイプは汗や体臭にも影響す                          る。また、分子レベルで見ればABCC11遺伝子自体は細胞に入った                          物質を外に排出する機能を持っており薬の利き方や副作用の個人差                          を生む。この点に注目するのが個体差健康科学という学問だ。

100_0596 多くの民族を調べた結果、こうした異なる遺伝子                           タイプの構成比が民族や集団で異なることも分か                          った。アフリカや欧州はほぼ100%湿型(一般型、                         祖先型遺伝子)だが、日本をはじめ東北アジアの集団は8割以上が               乾型(東アジア型遺伝子)だ。この割合を世界地図に示すと、「バイカ                          ル湖あたりで遺伝子タイプが変わったらしい」ことまで推測できる。並                           行して、理科系教育に力を入れる文科省のス-パ-・サイエンス・ハ                           イスク-ル指定高校の協力を全国的に得て、国内の耳あかタイプ地                           図作りも進めてきた。「日本でも地域によりタイプの比率が異なり、民                          族や集団の動きとの関係をうかがわせる。将来、高校生が作った耳あ                         かタイプの地図が、日本史の教科書に載ったら面白い」と話す。

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時代の肖像「里山で農業はよみがえりますか」

2008-03-10 17:02:00 | 人物100選

自然の宝庫 今こそ必要                                                    雑木林を育て続ける稲作農家 本田 弘さん(65)

100_0403 福岡県出身。北大農学部卒業後、妻の実家を                            継いで26歳で農業に従事、自家精米したコメや                           野菜を直売する。農文協の講師も勤める。 

体のしんが凍えてくるような寒中の雑木林。                             直径三十㌢ほどに育ったミズナラやカツラの枝の張り具合をじっと                            見つめる。稲作農家は普通、1月から3月は農閑期。だが、本田弘                            さん(65)は「山は冬場がとても大事な時期なんです」と、休みなく                            山中を歩き回る。胆振管内厚真町上野で22㌶の水田を耕す。自宅                           周囲の約30㌶の山林は広葉樹自然林とカラマツ植林が半々くらい。                          沢や湿地、沼が点在する。四季を通じてさまざまな生命が集まり、                            水や環境、生活文化をはぐくむ身近な林は、本州では里山として親                           しまれてきた農村の原風景である。1988年に農文協の季刊誌で                            ある「農村文化運動」に「雑木林のある暮らし」を書き、山林付きの                            農業の魅力、豊かさを紹介。里山保存の先駆けとして各地で山作業                           を講演、里山の再生と継承を訴えた。最近は、裏山を学校や都会の                           人に開放する里山学校にも取り組んでいる。「春先は山菜、秋はキ                            ノコが手に入る。ヤマザクラが咲き、夏は緑陰、秋はモミジの紅葉。                           ただ歩くだけでも楽しみは尽きない」と語る。冬は間伐をして炭を焼                           き、小さい木はシイタケ、ナメコなどのほだ木にする。昔は普通にあ                            った農村の生活を今日に生かす。

        ○ ○ ○

「かっては多くの農家が里山を持っていた。木材のほか山菜やたきぎ                          など生活の山だった」が、70年から列島改造ブ-ム、苫東開発を当                           て込んだ買い占めで虫食いにされた。バブル経済期のゴルフ場開発                          で買いあさられ、厚真でも山林を守りながら農業を続けているのは本                          田さんぐらいになってしまった。90年代に旧興銀系の開発会社が隣                           接地を含む山林を買い占めたが、バブル崩壊でゴルフ場が建設でき                           ずに放置。数年前に整理回収機構の中坊社長が農家に返したいと                           格安で農民に売り戻した。「それも、転売などされ、結局山はよみがえ                          らなかった」と悔やむ。「山を歩き木を育てることで労働の楽しさを学ん                         だ。農家が手間のかかる山仕事に目を背け、目先の合理化、効率化                          のみを追求しても、現実には安い輸入農作物に追い詰められるだけで                         はないのか」と、農政と農家への批判は厳しい。山を見ていると頭の                          中に百年後の美林が浮かんでくる。「雑木」と呼ぶ広葉樹をまぜた育                          林方法に沿って、樹齢30年の木も間伐していく。「『百年木』と呼ぶん                          ですよ。理想的な山を造るためには木と木の間を広くとる。農業を継い                          だ40年前に植えた木が育ち、10年したら水田にくみ上げていた沼の                          水が豊かになった」と確信を込めて語る。

        ○ ○ ○

裏山に二千人以上が訪れた。「里山は博物館、美術館であり音楽                             ホ-ルです。多くの人に森と農業に触れてほしい」と熱を込める。仕                           事を手伝うボランティアが近く本田農場のホ-ムペ-ジを立ち上げ                            全国に発信していく運びだ。「山で遊び、学ぶことで、多くの人が私の                          コメを食べてもらえる縁になった。農業と環境について知り、農家の応                          援団になってもらいたい」老境を迎え、里山の行く末に思いをめぐらす。                         農業経営こそ基本と考え株式会社にする考えだ。意欲と資格がある                           人が引き継げるよう足元を固めたいという。同世代は年金生活に入っ                           た。「山で同窓会を開くんだが、みんな私の生活をうらやましがる。年                          金をもらって体が動くなら里山をよみがえらせるボランティアを薦めま                          す。山を歩いていると時間がぜいたくに過ぎてゆく。十年後、二十年                           後に頭に描いた美しい森が育つ。それを見届けたらここに骨をまいて                           もらいたいと思ってるんです」と笑う。

あとがき=役所や系統団体で農業を取材して半収と価格だけがテ-                          マと考えていた。だが本田さんら魅力的な農家は、農作業や山仕事の                         楽しさを語り実践している農的生活の達人だ。少子高齢化を迎え、農                          村と農業のあり方を考えるとき、こうした価値を正しく評価することも重                          要ではないかと思う。

文・編集委員 本村龍生 写真・写真部 西村昌晃

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