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限界の先に<地方再生の道②>

2008-06-07 16:00:00 | 社会・経済

鉄の街の希望                                                           挫折ばねに活路探る

100_0561 東京・本郷の東大キャンバス。社会科学研究                             所教授の玄田有史(43)は、書類の山から一冊                           の報告書を取り出した。表紙に「釜石に希望は                            あるか」とあった。釜石は、あの新日鉄の城下町。                          堅苦しい研究に不釣合いな「希望」の文字は、玄                          田らが唱える「希望学」の調査であることを示して                          いる。報告書には、昨春のシンポジュウムでのや                          りとりが収録されていた。なぜ釜石だったのか?                           玄田は言う。「製鉄所の合理化という挫折を乗り                           越えようとしているから」。そこで「地域の希望」を                          考えたかったという。

誇り刻む

昨年12月。JR釜石駅前広場の一角に、近代製鉄発祥150周年の                           記念碑が建った。「ものづくりの灯を永遠に」。釜石鉱山の磁鉄鉱で                           造った碑に、市民は鉄のまちの誇りを刻み込んだ。新日鉄釜石製鉄                           所ではいま、線材の好調な生産が続く。だが、「ヘルメット姿の作業                           員が闊歩した」(地元商店主)昔の熱気は町中にはない。1960年                            代に約8千人を数えた製鉄所の従業員は、89年の高炉休止を経て                           2百人を切った。市の人口も4万2千人と最盛期の半分以下だ。東                            北新幹線の新花巻駅まで百㌔近い道のり。高速道路も通っていな                            い。そんなまちで、聞き取り調査を続けた玄田ら大学の研究者たちは                          「困難に向き合う人々の気概」と出合うことになる。

連携が鍵

石村真一(54)が経営する石村工業の歩みは、高炉を活力源として                            きたまちの歴史と重なる。もとは構内設備業者。仕事はすべて新日                           鉄関係だった。「信じたくなかった」という高炉休止の後、工業用機器                           の製造下請けで生き残りを図ったが、中国製品との価格競争に苦し                           んだ。活路を開いたのは水産・林業など地場産業と連携したものづく                           りだつた。木くずのペレットを燃やすスト-ブは、北海道にも出荷する。                          電気を使わずに効率良く燃やせるのが特長で「いいものを作って売れ                          ばやっていける」。10人まで減った従業員は今、正社員で20人。近く                          発売するワカメ自動刈取り機も「省力化で漁業の後継者確保につな                           がれば」と期待をかる。市内では進出企業が14社を数え、2100人                           が働く。製造業に従事する市民も増加に転じた。一方で、国際競争の                          荒波に押され、撤退した企業も10社ではきかない。進出企業が採用                          するのは、新卒を除けば派遣や臨時従業員などが大半で、地元には                          「低賃金で使われるのなら、植民地と同じじゃないか」との不満がくす                          ぶり続ける。だが、火の消えた高炉が残した深い穴を埋めるのに、え                           り好みができるはずもない。同市産業政策課長の佐々隆裕(53)は、                          首都圏で企業誘致に靴底をすり減らす。大手企業や研究所、果ては                           産業廃棄物の処理業者まで。足まめな営業マンのように歩き回るの                          で、「公務員だと言うと驚かれる」と佐々は笑った。では、釜石に希望                          はあったのか-。玄田たちは調査の中間報告で、誘致企業と地場の                          連携や豊かな観光資源の活用などの課題を並べ立てた。まちを生き                           返らせようと懸命になつている人たちも、まだ力を合わせ切れていな                          い。だが、玄田は「ある」と確信する。「挫折を経験しなければ、希望                           は生まれてこないから」。苦境からはい出そうとする釜石の気概は、                           一度苦難をなめたからこそ。玄田はその姿の向こうに再生への道筋を                          見る。石炭、造船、漁業・・・。道内経済も基幹産業の衰退で低迷にあ                          えぐ。道は2008年度以降、4年間で10万人の雇用創出を目標に、                          企業誘致や中小企業の育成に力を入れようとしている。  (敬称略)

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