マスコミが、偏向報道やある事柄をフィルターに掛けている場合、表現の自由の名の下に国民の知る権利が侵害されると考えられます。
もはや、国民の知る権利は、国家に対するものに加えてマスコミに対するものも含まれるべきのような気がします。
マスコミの意図により、国民の意識を向けたい方向にするために、偏向報道を行うことができるからです。
情報弱者、略して情弱と言われますが、テレビ、新聞しか見ない人は、マスコミの報道のみを信頼せざるを得ません。
ネットでの各個人の意見や知り得た情報を得ることは考え難いからです。
マスコミが偏向報道をしたとしてもそれを把握することもできませんし、止めることもできません。
マスコミの情報は正しいと信じることしかできないのが大半の方々でしょう。
自民党に対してあれほど叩いていたマスコミは、民主党になった途端、ほとんど叩きません。
外国人参政権問題をまともに取り上げているマスコミは皆無です(産経は頑張っているように思います)。
北野誠氏がなぜ謹慎させられたのか、押尾学の報道は少なく、酒井法子がなぜあれほど大量に報道されたのか。
マスコミの労働組合争議はなぜ取り上げないのか、スポンサーの不祥事はなぜ徹底取材しないのか。
なぜ公務員の給与は取り上げるが、マスコミの給与がべらぼうに高いのは報道されないのか。
結局、マスコミも営利企業であり、公平、公正などというものは最終的には規制がなく、そうしなくてもお咎めがないからでしょう。
マスコミは自分らにふりかからないような敵を作り、それを叩くのみが最近の時流じゃないでしょうか。
ここに表現の自由によって保障されるべき、自己統治の価値が薄れている気がしてなりません。