12日火曜日に、日帰りで東京の米谷会本部へ尺八の名取り試験を受けに行ってきました。
朝4時半に自宅を出発、リハビリからほぼ復活した師匠と師匠の奥さんを乗せて3人で東京を目指しました。
東海北陸道、中部縦貫道で高山を経由し安房を越えて松本へ、そこからは長野道・中央道で東京下高井戸にある米谷会本部を目指します。
道中満開の桜をあちこちで見ることが出来ました。今年の春は次々と行事があって花見どころではなかったのですが、車窓から眺める桜でちょっとだけ花見気分になることが出来ました。
さて、私の試験は午後1時20分からということでしたが、ちょっと早めに着いたので控え室で1時間ほど練習をすることが出来ました。
午後1時から始まる試験の最初は九州から来られた方の師範試験、私は2番目でした。
師匠と一緒に2階の試験会場へ入ってびっくり、テレビでしか見たことがない大先生方がずらりと並んでいらっしゃいます。
中央に会主である小杉真貴子(米谷真貴子)先生、後列には米谷智先生、米谷幸太先生、米谷和修先生、米谷威正先生、そして藤みちこ(米谷みち子)先生の5人が並んでおられます。
左手には三味線の先生がお二人、そして稲庭淳さんがいらっしゃいます。
これだけの面々を前にしていくら何でも平常心で尺八を吹けと言うのはちょっと無理でしょう。控え室では、出された水を一杯飲んでから落ち着いて吹け、と言われていたので、水は飲んでみましたがこの時点で既にコップを持つ手が震えてました。
1曲目は「尾鷲節」、2題演奏してから道中へ入って終わり、という順番でした。
唄は稲庭淳さんがつけて下さいまして、それがまた感動というよりも一層緊張を増す事になりました。
何とか無我夢中で吹きましたが、やはり緊張していつもは息が続くフレーズが吹けなくて途中でブレスしたりで、平常時の5割ほどの力しか出せませんでした。
2曲目は尺八歌で「津軽木挽唄」です。こちらも稲庭淳さんが唄を付けてくださいました。
1曲目が終わってちょっと緊張がほぐれるかと思ったら逆で、なおさら緊張感が増してしまって、いきなり前奏の出しで音が出なくて焦りました。一度焦るとさらに悪循環になってしまい、こちらもいつもは何とか一息で続くフレーズが全く続かなくて、ボロボロでした。こちらは平常時の1割の力しか出せなかったと思います。
演奏後の講評では、尾鷲節はそこそこ良い評価を言っていただきましたが、津軽木挽はブレスの仕方とか、表情の付け方とかかなり注文を付けられました。
試験会場へ入ってから講評が終わるまで約20分、生涯これだけの緊張をしたことはなかったような気がします。いくら津軽三味線の全国大会でもいいとこ3分ですから、それと比べると緊張持続時間が長い分大変でした。
講評が終わって一階の控え室に降りてきたときもまだ手が震えていました。
師匠の話では緊張のあまり全く音のでない人も結構いるそうです。それに比べればまだマシだったのかもしれません。
東京滞在3時間弱で、また一路富山へ向けて帰りますが、途中から雨模様になり富山に入る頃には土砂降りになっていました。
所要時間は行きも帰りも約6時間、計12時間運転していたことになります。走行距離は約800キロ、平均時速67km/h、私には平気なのですが、おそらく普通の人から見ると「異常」なのでしょうね。
さて一夜明けて、13日の午前中に師匠から電話があり、「米谷会本部から合格の通知があった」と言うことでした。やったー!
後は名取り式にもう一度東京へ行かなくてはなりませんが、今度は異常な緊張の試験とは違ってリラックスして行けそうです。
これで今年の春のドタバタもようやく一段落、GWの津軽三味線全国大会に向けて集中出来そうです。