先月、我が家のアイドル「ヒマ」ちゃんがわずか5歳半の短い生涯を閉じました。
私のツイッターのアイコンにもなっている「ヒマ」ちゃんでした。
「ヒマ」という名前、正式には「ひまわり」ちゃんなのですが、ずっと「ヒマ」と呼んでました。
そう、クレヨンしんちゃんの妹の名前です。
5年前に保護団体の「小松猫の輪」さんから譲り受けた「ヒマ」ちゃん。
石川県某地区で飼育崩壊した猫たちをレスキューされた中の一匹でした。
現場からレスキューされた方の話では、多くの猫たちの中で、外へ出してくれと一番訴えていた子だったそうです。
ほぼ糞尿垂れ流しの劣悪な環境で飼育されていたので、我が家に来たときはひどい悪臭でで、3回ほどのシャンプーでようやく耐えうる匂いになりました。
当時の飼育崩壊現場の様子が以下の画像です。
旧小松猫の輪さんのFacebookよりお借りしました。
「ヒマ」ちゃんが我が家に来た当時のブログはこちらです。
去年亡くなった「マナ」ちゃんと。
飼育崩壊現場では、新聞紙が敷いてあるだけのケージに入れられていたようで、新聞紙の上がお気に入りでした。
先住猫たちとも仲良く過ごしていたのですが、2年ほど前に急に体調が悪くなり、獣医さんに通う毎日が続きました。
原因は猫にありがちな腎不全でした。
しかしなかなか体調が良くならないので、獣医さんの機転で検査したところ猫エイズのキャリアーということが判明。
譲り受けたときの検査では陰性だったのですが、獣医さんの話ではそのときたまたま陰性だったのかもということでした。
幸いに猫エイズはまだ発症していなくて、体調も奇跡的に良くなって、これを機に先住猫たちとは隔離して、終日私たちの作業場で過ごすことになりました。
腎臓の調子も良くて、ずっと作業場での生活を楽しんでいたかに見えましたが、先月半ばから急に食事をしなくなり、それから1週間であっという間に他界しました。
猫たちが息を引き取る瞬間は、今までに何度も立ち会っていますが、ヒマちゃんの最後は本当に涙が止まりませんでした。
朝からだんだん呼吸が速くなって呼びかけにも反応しなくなり、夕方になって二度ほど大きく息をして、最後の力を振り絞って上半身を持ち上げて回りをぐるっと見渡して息絶えました。
飼育崩壊現場からレスキューされて遠い我が家に来て、しばらくですが先住猫たちとも楽しい時間を過ごして、きっと良い生涯だったと思います。
ここ2年間は、我が家のどの先住猫よりも私たちと一緒にいる時間が長くて、ほぼ朝から晩まで一緒に過ごしていました。
それだけに私たちの悲しみも大きいです。
我が家の慣例で、四十九日までは食卓のテーブルの上で一緒に過ごします。
最大7匹いた我が家の猫たちは、残り2匹になりました。
私たちはもう高齢者なので、これ以上猫を飼うことは出来ませんが、残った2匹は最後までしっかり面倒見るつもりです。
私のツイッターのアイコンにもなっている「ヒマ」ちゃんでした。
「ヒマ」という名前、正式には「ひまわり」ちゃんなのですが、ずっと「ヒマ」と呼んでました。
そう、クレヨンしんちゃんの妹の名前です。
5年前に保護団体の「小松猫の輪」さんから譲り受けた「ヒマ」ちゃん。
石川県某地区で飼育崩壊した猫たちをレスキューされた中の一匹でした。
現場からレスキューされた方の話では、多くの猫たちの中で、外へ出してくれと一番訴えていた子だったそうです。
ほぼ糞尿垂れ流しの劣悪な環境で飼育されていたので、我が家に来たときはひどい悪臭でで、3回ほどのシャンプーでようやく耐えうる匂いになりました。
当時の飼育崩壊現場の様子が以下の画像です。
旧小松猫の輪さんのFacebookよりお借りしました。
「ヒマ」ちゃんが我が家に来た当時のブログはこちらです。
去年亡くなった「マナ」ちゃんと。
飼育崩壊現場では、新聞紙が敷いてあるだけのケージに入れられていたようで、新聞紙の上がお気に入りでした。
先住猫たちとも仲良く過ごしていたのですが、2年ほど前に急に体調が悪くなり、獣医さんに通う毎日が続きました。
原因は猫にありがちな腎不全でした。
しかしなかなか体調が良くならないので、獣医さんの機転で検査したところ猫エイズのキャリアーということが判明。
譲り受けたときの検査では陰性だったのですが、獣医さんの話ではそのときたまたま陰性だったのかもということでした。
幸いに猫エイズはまだ発症していなくて、体調も奇跡的に良くなって、これを機に先住猫たちとは隔離して、終日私たちの作業場で過ごすことになりました。
腎臓の調子も良くて、ずっと作業場での生活を楽しんでいたかに見えましたが、先月半ばから急に食事をしなくなり、それから1週間であっという間に他界しました。
猫たちが息を引き取る瞬間は、今までに何度も立ち会っていますが、ヒマちゃんの最後は本当に涙が止まりませんでした。
朝からだんだん呼吸が速くなって呼びかけにも反応しなくなり、夕方になって二度ほど大きく息をして、最後の力を振り絞って上半身を持ち上げて回りをぐるっと見渡して息絶えました。
飼育崩壊現場からレスキューされて遠い我が家に来て、しばらくですが先住猫たちとも楽しい時間を過ごして、きっと良い生涯だったと思います。
ここ2年間は、我が家のどの先住猫よりも私たちと一緒にいる時間が長くて、ほぼ朝から晩まで一緒に過ごしていました。
それだけに私たちの悲しみも大きいです。
我が家の慣例で、四十九日までは食卓のテーブルの上で一緒に過ごします。
最大7匹いた我が家の猫たちは、残り2匹になりました。
私たちはもう高齢者なので、これ以上猫を飼うことは出来ませんが、残った2匹は最後までしっかり面倒見るつもりです。