1427年~1500年代初頭は、伊庭代官として活躍していた九里氏です。日吉神社文書・東寺百合文書等のなかにその名前が出てきます。
九里次郎左衛門・九里三郎左衛門・九里員秀という名前が見えます。
三村庄・得珍保(とくちんのほ)などの商人や農民の管轄役人として、問題解決他を行っていたのでしょうか。
近江菅浦などとも関係があったようです。
菅浦~~行ってみたいです。
その湖の先に竹生島があり、三百余りの文書が残っております。「ちくぶじま」と発音するらしいです。
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=263776
そして、九里に関する史料の一番古いものは、
応永34年12月11日(1427年) 源員定書状案 日吉神社文書
この源員定=九里員定 となっておりました。(東京大学データベース+近江愛知郡志)
これより以前の「九里」は探せておらず、皆様、何か情報がございましたら、ご一報くださいませ!!
1367年に賀茂員定という人物が丹後守をしております。
別人か、同一人物か、悩めるところです。