九里 【九里】を探して三千里

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こぼれ話 勢多判官中原為兼 

2016-03-22 | コラム
中原氏を探していて、面白い話と出会いました。

「勢多判官 中原為兼」です。

この方、京都の祇園町(以前は鴨川の河畔すぐにあったとか・・)仲源寺と関係が深いです。

京都新聞の記事からかいつまんで書いていきます。

【めやみ地蔵】
京の鴨川。
古くは洪水で大きな被害をもたらしていた。

治水対策が不十分であったため、人々はひとたび洪水が起こると、
ひたすら祈って、大雨がやむことを願った。

平安中期 仏師としても名高かった僧定朝が人々の安寧を願い地蔵菩薩を彫った。
人々の信仰を集めていたが、平安末期には幾多の戦いのため、そのお地蔵様も、堂も荒廃してしまっていた。

鎌倉時代になり、1228年秋、鴨川が氾濫した。
朝廷より「防鴨川使」として派遣された【中原為兼】は人々を助けに赴くが、
そこで不思議な光景と出会う。

家ごと流されて、橋も流され、てくるが、不思議と人々は四条河原の茂みに流れ着き、命を救われるのだ。

その茂みの中には、忘れられていた定朝の彫ったお地蔵様があったのだ。

「君主が得を失い、
人が義を忘れて利に走る時は、
天道は怒って災いを下す。

早く地蔵尊を念じ、
人々を救うべし。」

為兼がお告げを聞き入れると、たちまち水は引き、普段の鴨川の姿に戻ったという。

地蔵は、為兼の苗字「中原」の中に「人」を、原に「水」をつけて、「仲源寺」と名付けられた寺に安置された。

そして「雨止地蔵」として再び信仰を集める。

~~~~※~~~

君主~~の話は、今の時代も同じく!ですね。



そして、めやみ・・・の話はまた別にあるのですが、それは京都に行ったときに訪れて見てください。

私も何度も近くを通っているのに、一度も気が付かず、このようなお話も知らずにおりました。

もったいない! 次回はぜひ訪れてみたいです。(小さなところですので、お見逃しなく)




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