人康親王のことではないか?という人物を「山科の禅師の親王」という話に登場させているのが伊勢物語で、親王にプレゼントする石の話なのだが、送り主の「おもてなし」の気持ちがどんどんエスカレートしふくらんでいくあたりが面白い滑稽話のような雰囲気の話である。
人康親王のことに詳しいブログを見つけたので、興味のある方には是非訪れてみていただきたい!
そしてそのブログのひとつ前に蝉丸のことも書かれている。
http://rekikenkiroku.blog.fc2.com/blog-entry-99.html
京都歴史研究會 様
★親王は琵琶の名手で、貞観元年(859)5月7日、病気を理由に28歳で出家している。 法名を法性。
幼い頃から病弱で、皇統からも外れどんどん弱くなる視力におびえ、世を儚み逃げ場として、
詩歌、管弦の道、琵琶の調べへと心を寄せ、慰めを求めたらしい。出家の頃は、ほとんど失明状態であった。
★出家しても、広大な領地があった為、親王は、たくさんの目の不自由な人々に保護の手をさしのべた。
そして琵琶で弾き語りをすることを教えていった。
年月が経ち、貞寛14年、人康親王が流感で亡くなる時は、続々と各地に散った琵琶法師が駆け付け、
5月5日の深夜、月と星が出る中、琵琶を弾き語った。
人康親王作の曲♪と調べの中で、親王は静かに亡くなったという。」
http://rekikenkiroku.blog.fc2.com/blog-entry-98.html
蝉丸、意外にも近江国と関係があった!