九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

紀田(紀太)孫左衛門 享徳二年 1453年 

2023-06-10 | 雑記

1452年に紀田兵庫莅申と、名前の読み方がわからない人物が登場する。(りしん?)

 
 
 
紀田高影=高景=紀田兵庫
 
 
他にはなかなか出てこない。
 
三村庄嶋郷という場所で、九里と顔も合わせた事のあるはずの紀田=紀多=紀太=記田氏のはずである。
 

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2 コメント

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Unknown (記田)
2023-06-11 22:37:15
こんばんは、ありがとうございます🙏😌
なぜ記田、紀田、紀多、木田、様々な漢字で表すのでしょうね😅
貴田や喜田、来田も同じだったりするのか、なんらかの法則があるのか‥。
記田高枝さん、たかえさんという女性かと思っていました😅高影も、たかえと読めますね。
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「音」が大事だったのではないでしょうか? (kunorikunori)
2023-06-12 07:26:13
記田様

昔は、「音」が大事だったように思います。

私が追っている「九里」も 栗・久里・久利・九里
更に発音が「くのり」の場合は、久ノ里・九之里・九乗・九能離などのバージョンがあります。

筆記者によって漢字が替わっている場合もあります。ただのカタカナの時もあります。

当ブログでは漢字が違っていても、いずれもご先祖様に関係しているかもしれないと思いつつ進めていこう…を目指しています。

久徳氏(キュウトク氏)も、鎌倉時代には「クノリ」であったのではないか?など歴史学者から見るとありえないのかもしれませんが‥‥私はクノリに入れて考えています。
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