この小堀氏と九里氏は鎌倉時代の兄弟から分かれている系と思っていたが、
小堀遠州の父方の祖父がwikipediaでは、【垣見正房】という。???
正次は1540年生―1304年歿
政一 1579年生―1647年歿
確かに、垣見氏と小堀氏の屋敷はすぐ近くにあると「テクノクラート 小堀遠州」の地図よりわかる。
1437年永享九年平四郎右衛門から土地を購入している小堀新殿がいることがわかっている。
1447年文安四年には小堀池下入道善光からその土地が手放され総持寺へ寄進することとなったため、総持寺文書に収められているそうだ。
この新殿と善光は、同一人物のようである。
さて、ここに小堀家の系図があるが、垣見氏については書かれていない。
九里政道の娘は浅井尹政(後に復姓の小堀氏カ?)の妻となっている。(柏原織田家臣系譜)
和歌山県の系図 鎌倉時代 (小堀氏と九里氏に分かれる箇所)
全く時代は違うが、たまたま今見つけた情報(memo)この4月に公開になった情報もある。
旧ソ連邦抑留中死亡者の中にも九里がいた。九里小左衛門 滋賀県出身 ハバロフスク
https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/50onjun/h03/html/ku.html
今日、柳瀬川をアップしました。
kunorikunori様にとって第二の故郷と思ったので、ふるさとの和歌としました。
柳瀬川の土手が閉鎖されていましたので、kunorikunori様の思い出の場所とは分かりにくいですね😵面影だけを味わって頂ければ幸いです😉
素敵な歌とともに、アップしていただき、ありがとうございました!
確かに確かに!
この桜並木の下に広めの河原があり、ゆるりと散歩ができました。
「おもかげさらぬ春の空」
ありがとうございました!