なぜか魅かれ、重要な部分のような気がするので、memoしておこうと思う。
(岡田氏に戻らなくちゃ大和宇陀藩の始りに!つぎへ進まなくては!!)
【日奉氏と武蔵四牧(石川牧・小川牧・由比牧・立野牧)の成立】を書かれていらっしゃる方がいらして、とても重要と思われる。
https://ameblo.jp/seibeiishitarou1224/entry-11771841754.html
太陽祭祀の一族であるようだ。
さらに、藤原氏とつながる!
しかも藤原隆家の兄の系からという説がある。
その藤原氏の家司だったのが、有道氏である。
有道 惟能
時代 平安時代中期
生誕 不明
死没 不明
別名 有道維能
官位 従六位上、武蔵権介
主君 藤原伊周
氏族 有道宿禰
父母 父:有道惟広、母:平公雅の娘(公雅の娘に平忠常の室もいる)
妻 菅原薫宣の娘
子 惟行?
この有道氏のように何等か理由があって流された主君についてきた家司が他にもいたと思うのだ。
以前有道氏に関するブログを読んだのだが、江州中原氏と非常に周辺事情が近い感じで、宮道氏にも通じていた。
では、岡田氏へ⇒⇒
そして馬だけじゃなく太陽、火、タカムスビ関係してきますね。裏キーワードでは風っぽいですよ。
最近太陽ばっかり写真撮ってます。
牧がどうしてなくなったのか?気になっていたのですけど、荘園化して見えなくなってきたんでしょうね、なるほどです。
男系が藤原で女系が〜のも私のイメージと同じです。
山鹿ともう一個気になったキーワードありましたけど、茅野ってのいい感じです。群馬の古代の甲冑を付けた人物DNAは諏訪方面の人だと研究出たらしいです。
土壌と植生が関係している事は気づきませんでしたけど、その土地ごとに持っているものも違うしそれを見極める事が出来る民族がいたのも現世でも見習いたい所です。自然との接点による経験の蓄積の分析とその情報をありのままに受け入れて更に自分たち人間にうまくいい効果をもたらすように知恵で自然との融合をうまくしながら生活をしていた民族がいたんだとおもいますね。
ただ太陽の復活というのはエスカレートしそうなので個人的には苦手な方々だとは薄々思っています。
時代的な違いもありそうですので、適度な距離感を持ちながらその最初の精神性を評価したいとは思いますね。