この後は、せっかくなのでジローラモ・デ・アンジェリスの周囲を掘り下げていこうと思う。
キリシタン宣教師と蝦夷国との接点としては、簡素に蝦夷の事情をヨーロッパに伝えたのが、1548年(天文十七年)ニコロ・ランチロット(Nicolao Lancilloto)の手紙となる。
その時は蝦夷国に足を延ばしたのではなく、話として出た‥‥程度であったのか?
初めて蝦夷国に一歩を踏み出したのはデ・アンジェリとなっているのだが、報告書がないだけで、実は他にもいたのかもしれないし、宣教師ではない人物もいたのかもしれない。
その辺りも含め、調べてみたい。
ニコロ・ランチロット(Nicolao Lancilloto)や、アンジェリスと前後して蝦夷に渡ったディオゴ・カルヴォリオ(Diogo Carvalho)に関しても少しココに書いておきたいと思う。
なんせ、デ・アンジェリスはシチリア島ですでに蝦夷地が島である地図を見た事があった‥‥と言及していたので、宣教師ではなくとも、その存在はもうヨーロッパに知られていたようなのである。
1543年に種子島に鉄砲が到来したのだが、その五年後にはもう蝦夷が話題になっているという速さ。
この時代、ヨーロッパから日本まで来て帰るだけでも何年と掛かるはずである。不思議だなぁ。
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