
此の岡田見桃斎の孫が岡田重綱で、信雄に仕えている。
重綱の子孫に政敬がいて、九里八郎右衛門となる。
実父は政敬がまだ幼いころに歿している。養父は佐々氏から九里に入った「修政」である。修政は政敬を八郎右衛門に譲った時に清左衛門となっている。
さて、織田信雄の周辺が「物語藩史 第2期 第5巻」に載っていた。
そこには佐々木高一、永田伝左衛門正広、も登場し、宇陀に移った際の案内役として『福島家牢人に九里・片岡氏』の名が挙がっている。
つまり、織田信雄が宇陀に入る以前から、宇陀にいたということだ。
福島高晴の家臣であったという事は、秀吉の下に居た事となる。
高晴の妻は村井貞勝の娘であり、近江国との接点がある。





