九里一族 1400年代のメンバー
☆源員定(左衛門尉源員定=九里員定)磯野員定か?
応永 1334年1427年 今堀日吉神社 書状
應永二四年1417年にも記述有(得珍保の件)
☆伊庭代官九里 応永ごろ 1394~1427年 東寺文書
☆九里次郎左衛門(六角久頼仕える)
文安 1444~1449年 山中氏文書
☆伊庭代官九里治任 享徳二年 1453年 東寺文書
☆九里次郎左衛門 同 東寺文書
☆九のり 寛正四年 1463年 大島奥津島神社文書
☆九のり三郎(貞信) 大島奥津島神社文書
☆九里対馬守(岡山城主始) 八日市市史
☆九里美作守賢秀(高雄の父) 近江名跡案内記・蒲生郡
☆九里三郎左衛門高雄(永源寺殿とも言われていたらしい:近江資料シリーズ)寛正四年 1463年 日吉神社文書
☆九里伊賀守(高雄か?伊賀守刑部少輔) □林胡處集
☆九里三郎貞信 文明八年 1476年 竹生島文書
☆江州九里氏 文明十七年1485年 蔭涼軒日録
☆九里左馬允 延徳四年 1492年 蔭涼軒日録
☆九里伊賀入道 明応二年 1493年 北野社家日記四巻
☆九里次郎(賢秀美作か?)明応五年 1496年(6月15日死去)
大乗院旧記
あらたなメンバー追加です。
☆九里殿 1451年 (教王護国寺文書 東寺三村荘関係らしい)
☆九里宮内左衛門尉種信 (1499年)
☆川端惣代御下司九里善右衛門・九里源右衛門・川端村年寄 九里浅右衛門(下嵯峨野の川端村鉄砲所持改状。天龍寺の関係らしい。)1688年
☆九里三郎貞信 北条時宗の甥頼助(東大寺別当)と同じ文書の中に六角佐々木奉行人として (1476年)
(既に上記にもあるが、時宗の甥である頼助と同じ文書の中に【六角奉行人】の記載有。)
☆源員定(左衛門尉源員定=九里員定)磯野員定か?
応永 1334年1427年 今堀日吉神社 書状
應永二四年1417年にも記述有(得珍保の件)
☆伊庭代官九里 応永ごろ 1394~1427年 東寺文書
☆九里次郎左衛門(六角久頼仕える)
文安 1444~1449年 山中氏文書
☆伊庭代官九里治任 享徳二年 1453年 東寺文書
☆九里次郎左衛門 同 東寺文書
☆九のり 寛正四年 1463年 大島奥津島神社文書
☆九のり三郎(貞信) 大島奥津島神社文書
☆九里対馬守(岡山城主始) 八日市市史
☆九里美作守賢秀(高雄の父) 近江名跡案内記・蒲生郡
☆九里三郎左衛門高雄(永源寺殿とも言われていたらしい:近江資料シリーズ)寛正四年 1463年 日吉神社文書
☆九里伊賀守(高雄か?伊賀守刑部少輔) □林胡處集
☆九里三郎貞信 文明八年 1476年 竹生島文書
☆江州九里氏 文明十七年1485年 蔭涼軒日録
☆九里左馬允 延徳四年 1492年 蔭涼軒日録
☆九里伊賀入道 明応二年 1493年 北野社家日記四巻
☆九里次郎(賢秀美作か?)明応五年 1496年(6月15日死去)
大乗院旧記
あらたなメンバー追加です。
☆九里殿 1451年 (教王護国寺文書 東寺三村荘関係らしい)
☆九里宮内左衛門尉種信 (1499年)
☆川端惣代御下司九里善右衛門・九里源右衛門・川端村年寄 九里浅右衛門(下嵯峨野の川端村鉄砲所持改状。天龍寺の関係らしい。)1688年
☆九里三郎貞信 北条時宗の甥頼助(東大寺別当)と同じ文書の中に六角佐々木奉行人として (1476年)
(既に上記にもあるが、時宗の甥である頼助と同じ文書の中に【六角奉行人】の記載有。)