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中原能兼 中原範経 中原範政(坂上範政)中原範貞 

2018-12-08 | 中原氏バラバラ情報

富木常忍が「日本の中世の身分と社会」(九.鎌倉幕府御家人制研究の一視点)(著者 丹生谷哲一)の中に登場する。
そして、註には重要なことが書かれていた。
【ここで想像をたくましくすれば、この伊賀国御家人中原能兼という人物は中山法華経寺の開創者富木常忍その人と密接な関係を持つ、むしろ同族ともいうべき人物だったのではないだろうか。富木氏が因幡国府にちかい富木郷の出身で富木中太蓮忍の時代に関東に移住して下総国守護千葉介に仕え、常忍が千葉氏の執事的な存在であったことはすでによく知られているが、

千葉氏と富木の関係について最近石井氏は「武芸で奉仕するのではなく、もっぱら一種の書記役或いは裁判官役、というような、いわば中世的な役人の一人として千葉に仕えていた。本国の因幡国で、国府に隣接した富木郷を本拠地にしていた所からみると、国府の役人である在庁官人であった可能性が高い」と述べている(石井進 『中世を読み解く 古文書入門』東京大学出版会)

…先の伊賀国御家人中原能兼についても同族関係が想定されてくるので、千葉氏が伊賀国守護に補任されて「十「一ヵ所御領」(守護領)を管理するにあたり、その「公文」として執事家富木常忍の同族者がその沙汰に従った可能性は少なくなかろう。】

嬉しい限り! 

で、中原能兼を調べていくと、同じ時代に競うように名前が出てくる「中原範経」に出会い、同じ「範」のつく「中原範政」に行き着いた。

この範政は「坂上氏」の出身で、有名な人である。息が坂上明兼。で、「法曹至要抄」を中原範政から継承した家学に基づいて坂上明兼による原本が執筆され、その後孫の明基によって加筆・校訂が行われて現行本が成立したと考えられている。

坂上浄野 さかのうえのきよの 坂上田村麻呂の三男 生没年:延暦11年(791年) - 嘉祥3年(850年)
     右兵衛督。正四位上。陸奥国安達郡に住す。子の当宗、孫の良宗はいずれも鎮守府将軍となり武威
坂上内野 坂上浄野の子
坂上顕麿 坂上内野の子
坂上当道 さかのうえのまさみち 坂上浄野の子 生没年:弘仁4年(813年) - 貞観9年(867年) 没歳:55歳
坂上好蔭 坂上当道の子
坂上是則 さかのうえのこれのり 坂上好蔭の子 三十六歌仙の一人 生没年:生年不詳 - 延長8年(930年)
坂上望城 さかのうえのもちき 坂上是則の子 梨壺の五人の一人
坂上厚範 坂上望城の子
坂上範親 坂上厚範の子
坂上定成 坂上範親の子
坂上範政 坂上定成の子
坂上明兼 坂上範政の子
坂上兼成 さかのうえのかねしげ 坂上明兼の子 生没年:永久2年(1114年) - 応保2年5月9日(1162年6月23日)
坂上明基 坂上兼成の子 生没年:保延4年(1138年) - 承元4年(1210年5月7日)
坂上貞時 坂上明基の子 10世紀末の検非違使
坂上時通 坂上貞時の子 11世紀初め頃の検非違使。坂上貞時の子。「行親記」に左衛門府生・検非違使として記載がある。


坂上浄野の子孫。(wikipedia)

摂津守に任じられた清和源氏の源満仲が多田盆地に入部、所領として開拓すると共に、多くの郎党を養い武士団を形成し、武士団の中心として坂上党の棟梁坂上頼次を摂津介に任じ、山本荘司に要請して西政所、南政所、東政所を統括して多田院の警衛にあたらせた。34代坂上頼泰が足利義輝に仕えたものの、同じ多田御家人の一人であった塩川国満に侵攻され山本坂上氏は衰微する。その後一時豊臣秀吉の親衛を務めるが、後に退隠して町人となり、山本膳太夫と号して山本で庄屋や酒造、銀鉱採掘、両替業などを営み、園芸をして余生を過ごした。

紀伊国の在地領主小島氏は坂上望城の末裔という。大坂の役で豊臣方につき本家は滅亡したが、庶流が後に大庄屋と成った。

紀伊の山口氏は田村麻呂の5世の孫である坂上五郎の末裔の武士。紀伊山口西に坂上田村麻呂の墓である「将軍塚」や山口西は坂上村とも呼ばれて、紀伊坂上氏の本貫地であった(『角川地名辞典』『和歌山県神社誌』)山口喜内が大阪夏の陣にて活躍。

 田村氏は、陸奥国田村郡に起こり坂上浄野の曾孫の田村古哲にはじまるという。奥州屈指の大豪族で、伊達政宗の正室を出し、江戸時代も名望大名家として続いた。

氏族:山本氏、町口氏、小島氏、山口氏、田村氏、田母神氏など

坂上明法家

坂上範親 - 厚範の子。
坂上定成 - 範親の子。
坂上範政 - 定成の子。
坂上明兼 - 範政の子。
勢多範光 - 範政の子。勢多氏祖
坂上兼成 - 明兼の子。
坂上明基 - 兼成の子。

広雄系

坂上広雄の子孫。
紀伊国加太庄地頭職杉原氏盛は坂上姓で、生地氏の祖生地尹澄の孫杉原友澄を祖とする杉原氏という。

氏族:生地氏、杉原氏

末裔とされる氏に、谷氏 - 近江の谷氏。近江谷氏の本貫は美濃国席田郡伊地良村。
この谷氏は、水戸光圀公の時に出てきた「谷氏」!!

世の中は、やはり繋がっている。




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1 コメント

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法華経寺 (りひと)
2018-12-08 22:06:29
行った気もするんですが、真間の手古奈の方だけだったかな?いっときそっちの方へ行ってさまよった記憶あります。太田さんも関係しそうですし、清正堂もありますね。個人的にも気になる所です。日蓮さんだからそうなるんでしょうけど。

そうそれと田村麻呂の子孫はとても気になって調べた事あります。今一番気になるのが春子さんで尼寺関係なんですよね。融通念仏宗とか大阪和歌山奈良とその関係でも坂上氏はとても気になっています。5121
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