後藤氏に関係する系図をweb上で集めてみた。
ずいぶんと前のことで、どこからコピーさせていただいたのかが思い出せず、申し訳ないのだが系図の部分のみここに貼らせていただくこととする。
(もしも、御支障のある方は御一報いただけますと助かります。)
西行の甥基清が後藤氏に入っていることがわかる。
系図の中
系図の中では、「後藤基政の母親が大江能範の娘!である。」が正しい。
大江能範 本朝通鑑 第一巻
そして、昨日家系図学会から届いた小冊子にあった永田氏の系図から
「永田四郎左衛門政国の娘の註に後藤但馬前司妻」とあることがわかった。
更にその小冊子に記載のある近江国に関わる後藤氏の系図の最初に書かれている「基明」。
1354年討ち死にとあるので、1200年代後半に生まれた人物と思われるのだが、
佐々木泰清の五男が後藤氏に入り「後藤基顕」となっているが、この人とは違うのだろうか?
また、もう一人美作後藤氏に「基秋」(基明)がいる。こちらもさらに怪しかったのだが、年代がまだわからないでいる。
いずれにせよ、近江国の永田政国の娘と後藤氏に婚姻関係があった事から、九里氏とも、また遡ると中原氏とも近いことがわかってきた。
三左衛門事件の一条能保の家司であった「後藤基清と中原政経」、そして三善基連が後藤氏からの養子であったことも含めると、九里の周囲には後藤氏が見えている。(三善=太田乗明の姉が富木常忍の妻であった。)
この辺りを探ってみたい。