経範から義通に至る系図にも、いろいろな系図があるのでとりあえず「タイトル」にあげたように仮定してみようと思う。
webを調べてみると、義通は存在しないのでは、という説もあり、エエッである。
でも下記の系図にも顔を出しているので、いたという事にして進めようと思う。
下記のようなweb情報もある。
【首藤氏に山内と出てくるのは、『尊卑分脈』において、首藤資通の孫の首藤義通に、山内刑部丞と傍注されているのが最初である。】
公行の没年が1033年5月1日
公光は1047年まで働いている記録があり、1057年に歿している。
経範は、1063年没である。
遠義は1082年生-1155年
義通は1107年生‐1167年没
義通妹が1110年~1120年頃生ーと思われる。(義朝の妻)
佐藤の西行は1118年生-1190年没である。
もっと他の系図も必要かもしれない。