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今回、ルーツ探しを始めてから初の取材旅行に出かけることができた。
あまりに突然行くことにしたため、どこに行けばよいのか…と慌てていたが、近江八幡の案内ボランティアさんをご紹介いただき、素晴らしい充実と感動の旅にすることができた。Iさん、本当に感謝です!ありがとうございました。
今回の収穫は、距離感と水との関連・荘園と日牟礼神社との関係、これからの課題としては、牧・岡山城付近のことをこれから眼中に入れるべし…ということだろうか。
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発掘調査で、何かしら出てきて、九里氏と関係があるのではないだろうか~という場所。↓
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九里城(久里城・本郷城)・九里氏館跡も広く、周囲には8メートルものお堀があったそうで、私が想像していたよりも随分と広い範囲が九里の領地であったようである。
本郷城があったのではないかと思われる本郷神社付近 神武天皇の名前の入った碑も置かれていた。
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また、六角佐々木が小脇にいた当時から、九里はすでに近江八幡に居住していたのではないか~という見方があることもわかった。
若宮神社と湧水
若宮神社の近くの湧水地の水は、実は愛智川からであり、愛智と言えば、中原が領主であった場所である。
愛智の水、九里(中原)は、やはり水の設計者であった「井口氏」とともに、紀州より開拓のために移り住んできたのではないだろうか。
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日牟礼神社 ↓
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驚いたのは日牟礼神社と津田庄・舟木庄が近いことである。
津田庄・舟木庄の場所でも、水の支配権を牛耳っていたのかもしれない。
そして、そのことで井狩衆・江頭衆のような湖水の運送業(戦時には戦闘員になったと思われる)とのつながりもできていたのではないだろうか。
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さらに、推古時代の薬師如来像を九里氏が持っていて、戦いで負けた後に【東照寺】がその像を安置して守ってくださっている事、その寺の表札には日牟礼山 天台宗と書かれていたことを見て、このあたりにもかつては九里がいたこと、日牟礼山とのつながりもあり、辿って行けば太陽信仰につながり、水龍ともつながり…と【古代の神々】との関連が見えてくるのである。
このことが、前日に行った【下賀茂神社】水祭祀につながり、舟木庄が【上賀茂神社】の領地であることもまた、偶然とは思えないのである。
今回は東照寺さんが、ご不在であったことが残念であったが、次回訪れる際には、何等かコンタクトを取ってから!にしたい。
最後に水茎岡山城の碑である。
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地元近江八幡の皆様、九里氏の碑や祠等のお花や清掃、管理を本当に丁寧になさってくださっていらして、私も感激と頭が下がる思いでした。
本当に、昔からずっとこのように続けていただいていると思うと胸がいっぱいです。
『ありがとうございます!!』
旅行記とまではいかないけれど、忘れないうちに、メモですが書き留めました。
あまりに突然行くことにしたため、どこに行けばよいのか…と慌てていたが、近江八幡の案内ボランティアさんをご紹介いただき、素晴らしい充実と感動の旅にすることができた。Iさん、本当に感謝です!ありがとうございました。
今回の収穫は、距離感と水との関連・荘園と日牟礼神社との関係、これからの課題としては、牧・岡山城付近のことをこれから眼中に入れるべし…ということだろうか。
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発掘調査で、何かしら出てきて、九里氏と関係があるのではないだろうか~という場所。↓
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九里城(久里城・本郷城)・九里氏館跡も広く、周囲には8メートルものお堀があったそうで、私が想像していたよりも随分と広い範囲が九里の領地であったようである。
本郷城があったのではないかと思われる本郷神社付近 神武天皇の名前の入った碑も置かれていた。
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また、六角佐々木が小脇にいた当時から、九里はすでに近江八幡に居住していたのではないか~という見方があることもわかった。
若宮神社と湧水
若宮神社の近くの湧水地の水は、実は愛智川からであり、愛智と言えば、中原が領主であった場所である。
愛智の水、九里(中原)は、やはり水の設計者であった「井口氏」とともに、紀州より開拓のために移り住んできたのではないだろうか。
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日牟礼神社 ↓
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驚いたのは日牟礼神社と津田庄・舟木庄が近いことである。
津田庄・舟木庄の場所でも、水の支配権を牛耳っていたのかもしれない。
そして、そのことで井狩衆・江頭衆のような湖水の運送業(戦時には戦闘員になったと思われる)とのつながりもできていたのではないだろうか。
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さらに、推古時代の薬師如来像を九里氏が持っていて、戦いで負けた後に【東照寺】がその像を安置して守ってくださっている事、その寺の表札には日牟礼山 天台宗と書かれていたことを見て、このあたりにもかつては九里がいたこと、日牟礼山とのつながりもあり、辿って行けば太陽信仰につながり、水龍ともつながり…と【古代の神々】との関連が見えてくるのである。
このことが、前日に行った【下賀茂神社】水祭祀につながり、舟木庄が【上賀茂神社】の領地であることもまた、偶然とは思えないのである。
今回は東照寺さんが、ご不在であったことが残念であったが、次回訪れる際には、何等かコンタクトを取ってから!にしたい。
最後に水茎岡山城の碑である。
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地元近江八幡の皆様、九里氏の碑や祠等のお花や清掃、管理を本当に丁寧になさってくださっていらして、私も感激と頭が下がる思いでした。
本当に、昔からずっとこのように続けていただいていると思うと胸がいっぱいです。
『ありがとうございます!!』
旅行記とまではいかないけれど、忘れないうちに、メモですが書き留めました。