象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

SNSは精神障害を救う救世主に成りうるのか?

2019年05月04日 07時20分29秒 | 健康

 今やスマホは、いやSNSは私達国民の立派なお茶の間の娯楽の王様でもあり、何時でも何処でもアクセスできるコミュニケツールの王道となった。老若男女を問わず、誰もがスマホやPCといちゃつく時代。

 勿論、全てにおいて”やり過ぎ”は弊害をもたらすが、それはSNSにおいても同じだろう。あるコラムに”SNSのやり過ぎは鬱を加速する”とあったが。それはSNSが問題ではなく、”やり過ぎ”という行為自体が精神に悪影響を与えるだけの事だと思う。


他人の”リア充”と鬱の関係と

 ”SNSが私をうつにする!精神衛生をクリーンに保つための5つの方法とは?(Media116)”では、以下の注意点を指摘する。

 先ず、SNS内の他人の”リア充”アピールを沢山見てしまう事で他人と自分を比較し、精神のバランスを乱す。しかし、SNSは今やライフラインや人間関係に深く入り込んでるのでやめるにやめられない。
 まこれは誰にでもある事で、大衆の大半は”自称”熟練したブロガーであり、それぞれに対策を練ってる訳だから、大した問題ではなくなってきてる。

 

フォロワーと真の友人と

 しかし、”フォロワーと友人の比率”論が非常にユニークに映った。人類学者ロビン•ダンバー博士によると、人が友人関係を維持できるのは平均して150人と。Facebookで150人前後の友だちを持つ人を対象に次の様な実験した。
 ”SNSにネガティブな書き込みをしたら、どれくらいの人が手を差し伸べるのか?”
 すると、投稿に対し共感の反応を見せたのが14人程度、実際に何かアクションを起こした人は僅かに4.1人という結果が。14のポチに対し4つのコメントという事か。

 この結果から、SNS上の”友達”が多くとも、困った時に手を差し伸べてくれる人はごく少数に限られているという事。ま現実でも同じなんですがね。
 4/150だから確率にして2.67%。アララ悲しい現実ですな。こっちの方が鬱になりそうだ(笑)。


 因みに私には29人のフォロワーがいるが、この確率からすれば、0.77人だけが自分の事を本気で心配してくれる事になる。
 確かにこのデータは正しい。29人のフォロワーの中に、私のブログ友は僅か1人しかいない(悲)。ケッケッケーだ。

 多分、素数定理の特質(素数が多くなる程その密度は疎らに)と同様に、フォロワーが多い程にこの確率は下がる。アクセスとポチだけで素通りというフォロワーが殆どかもだろうか。
 SNSの弱点としてはこっちの方がより致命的であろうか。フォロワーは多くとも誰も相手にしてくれない。”船頭多くしてブログ進まず”の典型だろうか。

 そういう私も、ブロ友以外の記事は殆ど読まない。たまにコメを残したりポチする事もあるが、無機質で条件反射的なものに過ぎないから、たまにフォロワーを傷つける事がある。反省反省。

 

運動は鬱を改善する?

 最後の指摘で、運動がうつ病予防とされるが。私の場合運動こそがうつ病を引き起こす。運動をしてると嫌な気持ちになる。運動という単純系肉体作業が嫌なのだ。ジョギングやウォーキングしてる人を見るとモルモットに見える。

 運動によりセロトニン(幸福ホルモン)とかエンドルフィン(脳内麻薬)が放出されると言われるが、受け手や運び屋の関連もあり、一概には言えないのです。私めの”サイコパス”ブログも宜しくです。

 結局、人によっては運動が鬱を加速し、ブログを書きまくる事が鬱を改善し、精神バランスを安定させるとも言える。今更SNSを悪者にした所で何の意味もない。

 そういう私はできるだけ数理系ブログを書く様にしてる(最近はご無沙汰ですが)。ブログ自体も数学的思考の視点で書く様にしてる。そうする事で精神のバランスをとるのだ。その方が運動するよりもずっと心地良い。”脳内バランス”とはよく言ったもんで。

 

SNSは広大な庭であり、無限の旅なのだ

 人間は複雑な生き物だ。それぞれに閾値があり、限界の違いがあり、ストレスの感じ方も感情や感覚もそれぞれだ。その人固有の精密なカルテがあれば理想だが。もう少し先の話になるだろう。

 SNSは無限に広がる巨大な情報網&ネットコミュニティである。フォロワーが多かろうが少なかろうが、ネット上に親友がいようがいまいが、自分の意見や愚痴やストレスを世界中に発散できるし、それだけでも鬱が多少は解消できる様にも思えなくもないが。
 嫌味なコメも、もう一人の自分だと思えばいい。要は気持ちの持ち方次第なのだ。イヤそうでもないか。

 昨日の”人はどれくらい馬鹿なのか”は、まさにそれを具現するものだった。勿論、読む人によってはとても失礼にも聞こえるかもだが。人間は残酷である。時には毒を吐き、ストレスを開放し、知と精神のバランスをとって生きてるのだ。


 人は他人の”リア充”よりも、こういった愚痴や毒舌系のブログの方が、コメントは明らかに集まり易い傾向にある。共感や同調にも重さと深さと種類がある。それに精神的ストレスも発散できて、色んなコメも集まるから一石二鳥とも言えなくもない。

 つまり、SNSは私達が都合良く効率よく生きる上での便利ツールであり、思い切りはしゃぎ回る”無限の庭”なのだ。大きな庭で遊びすぎる事がない様に、SNSはもう一人の自分を探す永遠の”愉快な旅路”なのだ。

 いや、そう思う事にしよう。


4 コメント

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つながり (のらニャー)
2019-05-04 08:05:41
おはようございます。

ネットは他人との唯一のつながりかなと思います、出来事や愚痴をかいたりして、外で言う相手はお父さんくらいかなw、
何事もやり過ぎはよくないですね、頭がぼーとしてきてうつうつしてきますもんね。
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のらニャーさんへ (lemonwater2017)
2019-05-04 11:15:34
お久しぶりです。

私の場合はパソコンがスマホに変わって大歓迎です。パソコンの時は目と形が異常なまでに疲れたもんです。

スマホだと画面は小さいし、目は疲れないし、不思議とやり過ぎる事もないので、いい時代ではあると思います。

ホントパソコンの時は頭がぼーっとしてましたもん。
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確かに (びこ)
2019-05-05 03:29:05
鬱勝ちの私は、blogにずいぶん助けられています。もしblogという場がなければ、私は、今も鬱のままかもしれません。

blogには思っていても言えないことも書けます。またblogを書くことは日記のようでいて日記ではないのですね。やはり読者がいるということは大事なことなのだと思います。
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ビコさんへ (lemonwater2017)
2019-05-05 05:45:43
少し早いですが、おはようございます。

子供に遊び場が必要な様に、我々大人にも喋り場が必要なんですね。

体を動かし遊ぶ事で子供は知能を発達させ、健全な大人となってくのかも。大人も同様に、”言葉のお遊び”をする事で健全な高齢者になっていくんですかね。

ブログは日記とは全く別物だと思います。ネット上に無限に錯綜する言葉の羅列と言うか。だからブログは毎日でも飽きずに続くんだと思います。
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