
名前だけは知ってるという人も多いだろう。そういう私は、そこそこのボクシング通と思ってたが、リストンの事を”リスモン”と勘違いしていた。どうりで検索に引っかからない筈だ(悲)。
カシアス・クレイ(モハメド・アリ、1942-2016)が世界王者に、ヒーローになった時の相手でもある。
しかし、クレイの派手なガッツポーズばかりがクローズアップされ、マットに沈んだリストンの事は殆ど印象にない。
そのリストンにも多くの黒人ボクサーと同様に、いやそれ以上に暗く虚しく悲しい真実があった。
ボクシングはその国を時代を写す鏡と言われる。リングの中で勝つ唯一の要因が身体能力と物腰であるならば、ソニー・リストン(1932?−1970)こそが無敵だったろうとされる。
ヘビー級最強と謳われたフォアマンもタイソンも、同じ様な事を口にしている。
”俺はアリみたいにはなりたくなかった。しかし、リストンみたいに強くなりたかった”
ソニー・リストンという男
185cmのリストンはヘビー級としてそれほど背が高い方ではなかった。
97kgの筋肉の塊だったリストンは、破格の拳と214cm(身長比=1.16)という信じ難い程のリーチがあった。ハンマーの様なロングスパンの衝撃打は、”リングの怪物”や”殺人兵器”に例えられた。
因みに、191cmのクレイのリーチは201cm(身長比=1.05)、198cmのWクリチコですら208cm(同1.05)だから、リストンのリーチが異常なまでに長い事がわかる。
以下、Surfaceさんの「ソニー・リストン考」を参考に主観を絡めます。
リストンをよく知る識者によれば、クレイ戦時のリストンは既にピークを過ぎ、スピードもなくなり、ヘビー級としては素早いクレイを捕まえ切れなかったとされる。因みに、当時クレイは22歳でリストンは32歳(又は34歳?)。
事実、リストンvsクレイの試合を観る限り、リストンの等身大の凄みはわかりにくい。
リストンは、鈍重なハードヒッターというイメージが強い。それでも前王者のFパターソンを2度とも僅か1Rで打ちのめした試合には凄みを感じたが、相手が弱すぎた感が歪めない。丁度、タイソンとスピンクスの試合を見てるようでもある。
しかし、50年代後半の20代がピークとされるリストンは全く違った。当時の動画を見れば判るが、ディフェンスもジャブも一級品で、よく伸びる上にとても強くて実に巧みだ。
全盛期のリストンならクレイにはまず負けなかったという声も今では多いが・・・
生年月日は1932年5月とされるが、極貧の環境で育った為に、親も正確な誕生日は覚えてないという(実際は1930年7月との噂も)。
アーカンソー州の小作農で12人兄弟の11番目として生まれた。親は出生届を出さず、まともな教育も受けず、父親に虐待され続けた。
逃げた母を追いかけ続けた絶望だけの未来。貧困と虐待の中で育った”黒い凶器”は、武装強盗や警官襲撃などで19回逮捕され、刑務所内でボクシングと出会う。
出所後、犯罪歴だけが目立つリストンは、いくら強くてもプロモートしてくれる連中は皆無で、手を差し伸べたのは、NYの殺し屋だった。
勝っても勝っても誰も祝福してはくれなかった。待ってるのは、暗い生立ちとの犯罪まみれの半生とマフィアのコネだけで、王者になった後もマフィアの手先として仕事をこなした。
世界王者に待っていたのは
1962年9月、フロイド・パターソンを僅か左フック1発で打ちのめし(1RKO勝利)、世界ヘビー級タイトルを獲得。防衛戦でも再びパターソンを1回KOで葬り去った。
フィラデルフィア初の新王者を待っていたのは、パーティーや紙吹雪舞う祝賀ではなく、シュレッダーにかけた無数の逮捕状であった。
黒人からも敬遠され続けたリストンは、自分が悪役で嫌われ者である事を受け入れ、運命に身を任せた。
1964年に22歳のカシアス・クレイ(後モハマド・アリ)と戦い、6回終了棄権でリストンは王座を陥落。15か月後の再戦では初回KOで衝撃の敗北を喫すも、このKOパンチは”ぶどうを潰す事すらできないパンチ”だったという。
リストンに何が起きたのかは、関係者にもわからない。本人は八百長を認めてるが、これも定かではない。
その後のリストンは、ずっと勝ち続けるもののタイトルとは縁がなく、1970年6月、53戦目のウェップナー戦(9R棄権)での勝利が最後の試合となった。
1971年1月、ラスベガスの自宅で不可解な突然死は、ヘロインの過剰摂取の為とされた(享年38歳)。しかし、死の真相も今となっては定かではない。
因みに、クレイと戦う前は36戦35勝1敗25KOで、クレイ後は16戦15勝1敗14KOと如何に無敵を誇ったかが判る。つまり、運命に身を任せたのはクレイ戦だけだった事になる。
通算50勝39KO4敗。アリ以外には殆ど負けてはいない。そして、突然の不可解な死・・・
母を追い続けた挙げ句に出会ったボクシングとマフィア。これだけが男の生きる礎だった。
男は常に規格外の怪物だった。そして本物のヘビー級王者は、このリストンだけだったのかもしれない。
リストンvsクレイ(1964)
全盛期のリストンならクレイ(アリ)にはまず負けなかったとあるが、本当にそうだろうか?
そのアリとの第1戦を、私なりに振り返ってみる。
試合前には、アリが得意の大ボラでリストンを精神的に追い詰めれば、リストンも”俺から逃げる事は出来ない。やつは殺されるだけだ”と、逆に脅しを掛ける。
事実、アリは尋常ではなかった。試合前のドクターチェックでは心拍数が180、血圧が200に跳ね上がり、試合直前のチェックで何とかクリアできた程だ。
アリも死を予感してたのかもしれないし、リストンも運命を受け入れる覚悟をしてたのかもしれない。
1R
アリは華麗にリングを舞いながら、リストンの重戦車級の豪打を躱し、左右のコンビネーションをヒットさせる(アリ10−9リストン)。
2R
リングを舞いながら巧みに強打を躱すアリに対し、リストンは前のめりにロングパンチ浴びせるが、逆にアリのカウンターをまともに食らい、左目下をカット。それでもリストンは前へ突進し続ける(9−10)。
3R
アリは序盤に勝負をかけ、左右の素早いコンビネーションでリストンを追い詰めるが、逆にリストンの巧みなロングプレスを浴び、ラウンドの殆どを支配される(9−10)。
4R
3R同様、アリが下がり、リストンが距離を詰めてプレスを掛ける展開に終止し、なかなかアリは活路を見いだせない(9−10)。
(噂によると)リストンのグローブ?に塗った止血剤がアリの右目に入ったらしく、インターバル中に”試合を中止しろ”とアリが叫ぶ。
しかし、トレーナーのアンジェロ・ダンディーは”これはお前の為の試合だ、止める訳にはいかない”とアリを励ます。
5R
右目の視界を失ったアリは防戦一方になり、それでもリングを舞いながらリストンの豪打に耐え凌ぐあたりは、神業に近い精神力でした(8−10)。
6R
何とか視界が回復したアリは、注意深くリングを舞いながら、リストンが痛めた左目に素早い左右の連打を集中する。
左目を気にし始めたリストンの動きが明らかに鈍り始める。セコンドは試合前は1、2Rで簡単に倒せる相手と踏んでたが、予想以上にタフでスピーディーなアリに困惑気味でもあった(10−9)。
7R
ゴングが鳴っても、リストンは立ち上がろうとはしない。カットした左目に加え、右目も大きく腫れ上がり、リストンはセコンドの声にも耳を貸さず、戦意をなくしてしまった。
最後に〜リストンよ永遠に
試合後アリは、”予言どおり8Rで仕留めたかったんだが、俺を悪く見せる為に、レフェリーが勝手に7Rで止めやがった。本当は奴を、天国(ヘブン)に行かせてやりたがったが、7R(セブン)になってしまった”とポエムを披露した。
この試合は今となっては八百長と噂されてますが、6R終了時の私の採点では3Pほどリストンが勝ってたから、勝機は十分にあったと言える。
しかし、アリの華麗なフットワークと躍動、それに異次元の耐久力と不動心には、ピークを過ぎたリストンには想定外だったかもしれない。確かに、リストンのグローブに止血剤を塗り、戦況を打開しようとしたセコンドの焦りはそれを物語っている。
結果的には、リストンの7R試合放棄となったが、目を狙われたアリが逆にリストンの目を狙い撃ちにした結果とも言える。
ここら辺は百戦錬磨のセコンド、アンジェロ・ダンディーの采配の最大の見せ所でもあった。
”やつはクレイジーだ。それにイスラムとは関わりたくない。だから自らリングを降りたんだ”と、後にリストンが漏らしている。
しかし、満更外れてるとは思えない。
事実、”リストンが勝てばイスラム教徒に殺害される”という脅迫があったとされる。
結局、死を予感していたアリは、運命を受け入れたリストンに勝利したとも言える。
確かにアリは、”この試合に負けたら俺はアメリカを去る”とまで言って、この試合に臨んでいたのだ。
最後に、リストンの心優しい言葉で締めくくる。
”ボクシングには善人と悪人がいる。(俺みたいな)悪人が殴られるのを観る為に、人々はお金を払う。いつか誰かが(俺みたいな)悪人の為にブルースを書いてくれる筈さ。
スローなギターと優しいトランペット、そしてゴングの音で・・・”
掌がとても大きかったとされますが
女性的で細かいことによく気付く繊細な性格だったと思う。
母親を追いかけて・・・という言葉にはジーンときました。
試合を放棄したのもこれ以上悪役に耐えきれなくなったんでしょうね。
私にブルースが弾けたら
リストんさんに精一杯のバラードを捧げたでしょうか。
この人は本当に優しい人なんだと・・・
リストンが独りでブルースを聴いてるシーンを思い出すと、こちらまでその感慨がわきますね。
運命を受け入れるには、ありったけの勇気が必要だったんでしょうね。今更ですが、ご冥福をお祈りします。
しかし逆に左目下をカットし、動揺したセコンドは止血剤をグローブに塗るというフェイクを使い、劣勢をはね返そうとした。
しかし逆にアリサイドの怒りを買い、攻撃をリストンの目に集中し、戦闘意欲を失わせた。
まさに”目には目を”の作戦を実行したアンジェロダンディーは大変な策士なんだよ。
”ドープアロープ”はフォアマン戦ではなく、この時に既に始まってた。
ボクシングってセコンドの力も必要なんだよな。
流石に鋭いですね。
でもリストンの目が弱点だと一瞬の内に見抜いたダンディーも凄いです。
ただアリも目を潰された直後の5Rをよく凌ぎましたよね。あれは神業のレベルでした。
勿論、リストンの全盛期なら、フェイクをしなくてもアリを圧倒してたでしょうが。こればかりは戦ってみたいとわからない。
リストンは後に八百長発言をしてますが、一度リング上に立てば、殺人マシーンと化すリストンが闘争本能をなくすとはとても思えないのですが。
真相は如何に・・・
胸を張って遥か前方を睨みつけるように闘う人ではなくて、自分の足元を黙って見据えて闘う人が。
「象が転んだ」さんのブログを拝読し、共感する記事やご意見を読み、種々参考になりました。
おいおいアーカイブも読ませていただきます。今後ともよろしくお願いします。
ワタシもちょっとしたボクシングファンであります。
失礼を覚悟で好き勝手にコメントしましたが、お気に召さない時は消しても構わないです。
でも、自治会の会長なんて大変な仕事ですよね。私も消防団の会計を1年だけしましたが地獄だったです。ボクシングで殴られてた方がずっとマシです。
そういう私もジムには通った事はないんですが、小さい頃は自宅の小屋にロープを張り、ボクシング紛いの事をやってました。
これからも宜しくです。
とにかく美しかった。昔のボクシングスタイルにはその人の生き様そのものでした。
それに比べ今のボクシングは五輪アスリートと同じで、形だけの幼稚なものですね。
アリも詩人ですが、リストンもとてもきれいな歌を奏でました。
リストンに二度までも、惨敗を喫したパターソンは、二度世界チャンピオンになっており、長らく世界ランカーだったし、決して弱すぎる相手じゃなかったです。リストンが強過ぎたのでしょう。
アリ戦で棄権したのは、パンチを強振し過ぎて、肩を脱臼したという説もあります。
この試合より、八百長の疑いが払拭出来ないのは、再戦の方で、リストンは最初からまともに戦える状態でなかったように見えました。
拳を痛める事はよくありますが、肩の脱臼となると??どうなのかな。
パターソンに関しては、全盛期を過ぎたリストンにとってもやはり弱すぎたと思います。2度とも1RKOですから・・・
再戦に関しては、アリのバックステップを踏みながらのショートの右は芸術的でもあったし、かと言ってリストンも敢えて立ち上がろうとはしませんでした。
ただ私には初戦の5Rですね。なぜリストンが視界を失いつつあったアリを仕留められなかったのか?そっちの方が気になって仕方がないです。
でも昔のボクシングって色んな見方ができて楽しかったですね。コメントどうもです。