象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

マイケル•サンデルの欺瞞”その1”〜答えを示さない「白熱教室」

2019年10月29日 04時09分08秒 | ブログ系

 政治哲学を専門とし、ハーバード大学教授であるマイケル•サンデル氏。
 大学での一般公開講義には数万人が押し寄せ、その講義の内容を著書とした「これから”正義”の話をしよう」は、世界各国で大ベストセラーとなった。

 進行役を務める”正義”についての討論番組は全世界で放映され、日本ではNHK教育TVの「ハーバード白熱教室」として放送された。
 しかし、答えのでない白熱教室は果たして正義と呼べるのか?


結局、結論の出ない議論?

 この番組はたまに見るが、この人は典型の哲学オタクかなとも思う。勿論、専門が政治哲学や倫理学だから、致し方ない事ではあるが。
 とにかく、一方的に喋り捲り、”押し付け”がましく感じる。「朝まで生TV」の司会者•田原総一朗と同じで、場を仕切り過ぎるのだ。
 田原みたいに人の話を遮る事こそないが、自分の主張を押し通す言動がどうも目立つ。
 Wikiによれば、コミュニタリアニズム(共同体主義)の代表的論者であり、その特徴は”共通善”を強調する点にあると。
 因みに、共同体主義とは、現代の政治思想の見取り図において、自由主義(リベラリズム)に対抗する思想の一つだが、自由主義を否定するものでもなく、全体主義や国家主義を肯定するものでもないと。何だか抽象過ぎて判りません(悲)。
 思想的には一見理想的にも見えるが、海外の評価は分かれてるみたいだ。
 ただ、チームの和を重視する日本の野球に理解を示す、野球好きな一面もある。

 典型の負けず嫌いというか、敗戦国日本の民を言い負かす事に、快感を覚えてる様な気がしないでもない。
 サンデル氏にとって、結論とか答えとかは最初からどうでもいいのだろうか?
 自分の人生観や哲学論を相手に押し付ければそれで満足なのか?
 答えや仕掛けが予め用意され、自分の頭の中での凝り固まった中での議論に、”白熱”は存在するのか?

 つまり、このマイケル•サンデルの「白熱教室」を一言で言えば、”結論の出ない白熱?する議論”という事になる。 


何だか怪しくないか?

 著書の「正義の話をしよう」でも、タイトルにある正義が、単にアメリカの正義では議論にもならない。”共同体主義”信奉のマイケル氏の気持ちも解らなくもないが、タイトル(JUSTICE)を”正義”というより、”公平”さとした方が誤解はなかったか。
 でも日本人は、こういった英国生まれの気難しい人種って大好きなんだろうか。
 特に哲学系は抽象的で延々と議論できるから、平和ボンボンの農耕族にはとても人気がある。
 そういう私も、パッと見でマイケル氏に興味を抱いたし、頭も良さそうだったので、「白熱教室」も何度か見た事がある。
 しかし、この人の講義って「朝まで生テレビ」と同じで、途中で飽きちゃう。何だか最初から貧相な”カラクリ”が用意されてるみたいで。

 議題は興味引くけど、議論自体がつまんない。難しすぎるという意見もあるが中身がない。人の意見を匠に否定するだけで、議論に奥行きがない。
 そこに創造性も建設的議論も深みもないし、一体、何の為の議論かな?って多少勘ぐってしまう。
 事実、「正義の話をしよう」のレヴューでも低い評価のものは、同じ様な批判をしてるみたいだ。

 ま、私みたいな捻くれ者はいないだろうと思いつつ、”マイケル•サンデルは馬〇か?”で検索した所、やはりいましたな。
 地球の裏側に私と同じ考えをする人種が!と言いたい所ですが、実は日本にもいたんですね。
 そこで以下、”答えを示さない「白熱教室」は欺瞞である”から抜粋です。
 オレ流を貫けよ、サンデル!ってとこで、理屈っぽいですがご理解を。 


現代教育とパターナリズム(父権主義)と

 ”意見の分かれる深刻な問題について、学生に散々意見を述べさせ、最後に教授がエレガントにまとめあげる”
 そうした「白熱教室」スタイルの授業が現在も人気だ。しかし、英国の名門校に留学してきた現役官僚の橘宏樹氏は、こう指摘する。
 ”「白熱教室」はオレの答えを示さない。一方、英国の名門校はそうした欺瞞を許さない”

 その橘氏が、この2つの違いパターナリズム(父権主義)をという言葉で分析する。
 ああ、哲学オンチの私めは何だか期待しますね。 橘宏樹氏はこれまで、東京大学(学部及び大学院)とLSEとオックスフォードで、共に最高峰と言われる高等教育を受けてきた。
 これら3校での体験を元に、”オックスフォードの教育とは何か?”について考える。
 まずその教育の1つが、”ネオ•パターナリズム”だ。これは大学教育論を考える上で大事な視点だという。
 そこで先ずは、聞き慣れない言葉である”パターナリズム”について考えてみる。

 そもそもパターナリズム(父権主義•家父長主義=paternalism)とは?
 語源のパトロン(patron)から判る様に、”強い立場の者が、弱い立場にある者の利益になる様にと、本人の意志に反して行動に介入•干渉する事”と定義される。 
 口悪く言えば”余計なお節介主義”、わかり易く言えば、単なる”押し付け”ですかね。 
 因みに、同じ語源をもつ”ペイトロナイズ”は、”子供扱いをする•見下す•馬鹿にする”となる。一方、パターナリズムの対義語はマターナリズム(母性主義)で、相手の同意を得て寄り添う様に進む道を決定していく事。

 実力や成果主義ではなく、企業への在籍期間で出世や給与が決まる年功序列制度の企業の様に、労働者を子として面倒を見る様な企業運営を”経営パターナリズム””経営家族主義”という。封建主義やタテ社会もパターナリズムの一種ですね。 


古典的パターナリズムと一方通行型教育

 そこで橘氏は、教育におけるパターナリズムのスタイルを、(1)古典的パターナリズム、(2)欺瞞的パターナリズム、(3)ネオ•パターナリズムの3つに分けて考えた。
  まず1つ目は、古典的パターナリズムによる”一方的詰め込み教育”
 これは基本的に、無知な学生たちに知識を伝授する時、とにかく知識を詰め込みたい、という状況から出発する。
 インプット(詰め込み)重視で形式も大教室での講義型。マニュアルや教師の主張をそのまんまインストするというスタイルだ。

 日本の大学入試までのペーパー試験における受験競争の勝ち組は、こうした”押し付け”型教育にて、強さを発揮してきた連中である。
 講義に対し質問はあっても、批判する事は許されず、壇上からの一方的な講義がもたらす師弟関係は、権威主義的になりがちだ。
 最先端の知識を共有したり、大人数の知識量を短期に底上げするに、最も手っ取り早い方式となる。

 これは、オムニバス(ごった煮)形式で、多様な視点を紹介する講義内容であれば、視座の多角性も維持できるし、講師の話の上手さや内容次第で、学生の満足度を高めるも可能だ。
 しかし、”聞くだけだと眠い” ”退屈” ”自分で考える力が養われない” ”アウトプット能力が育たない”などの批判があり、こういうスタイルを取る教師は昨今、あまり人気がない。
 因みに、LSE(ロンドン•スクール•オブ•エコノミクス)は教育機関というより、最先端の研究機関という性質が強い為、効率的にその最先端の識見を吸収する場所という感じで、この古典的パターナリズム(一方的押し付け)の色彩が強かった様に思う。 


欺瞞的パターナリズムとは

 古典的パターナリズムの”一方的押し付け”の持つ限界を克服する為には、教師と学生と学生同士が双方向的な議論をしていくスタイルが必要となる。
 少人数のゼミナール形式で、活発な発言が評価に加味され、多くの発表の機会が与えらる。
 日英の多くの大学の文系学科では、前述の講義形式とこのゼミナール形式を併用する方式が、今日では一般的だ。

 この双方向な授業形式として最も典型的なものが、かの有名なハーバード大学マイケル•サンデル教授の「白熱教室」であると。
 重たく具体的な、如何にも意見が分かれそうな問いを与え、学生に考えさせ、意見を自由に発言させる。そして最後に、教授がエレガントに”まとめあげる(wrap up)”。
 軽妙なやりとりの中で笑いもこぼれ、参加意識も高まり、最後にはキレも深みもある教授の”仕掛け(wrap)”にうっとりする。

 教授に物凄い力量がなければ、不可能な素晴らしい授業です。特に大人数の教室で双方向なやりとりをマネジメントするのは大変な所業だろう。
 どんな突飛な学生の発言にも柔軟に対応する様は、鮮やかでカッコよく、皆が憧れの目で教授を見つめる。
 これなんか、大手予備校にいるペテン系人気講師の典型ですね。

 しかし、これらのインタラクティブな講義やゼミは、確かに自分たちで考えさせる段階を取り入れるが、投げかける設問文(疑問)をコントロールする事で、学生の回答の行方も計算できる。故に学生の回答が、過去の偉大な学者たちの辿った思考の範囲を出る事は殆どない。
 以上、(PRESIDENTOnline)からでした。

 長くなったので、欺瞞的パターナリズムという押し付け主義を語り終えた所で、今日はここまでです。
 次回は、この双方向な議論に潜む”仕掛け(欺瞞)”について書きたいと思います。



6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
喋り(=誤魔化し)がハーバードの本質 (肱雲)
2019-10-29 08:48:41
現代の世界に於いてハーバード大学が知の権威として君臨する。それをバックグラウンドとして、マイケルは上から目線でロールズの正義論を焼き直し、偉そうな物言いになれる。パックス・アメリカーナからパクリす・チャイナに覇権移行すれば、北京大か復旦大の誰かが「中国の性技」を講釈するんだろうね。
返信する
さっすが〜 (象が転んだ)
2019-10-29 09:01:46
ロールズの正義論についてブログ書きたくなりました。
流石、肱雲さんホントいいとこついてくる。政治哲学となると無敵だね。

それにパクスアメリカーナなんて偽善もいいとこですよね。
返信する
インチキ策士 (paulkuroneko)
2019-10-29 13:21:21
自身の1冊目の著書『リベラリズムと正義の限界』で、マイケルサンデルはロールズを厳しく批判する論文を書き、学会の注目を集めました。

彼の鋭い批判精神は元々からあったんです。サンデルはその著書の中で、深い思考へといざなう本への渇望と語ってますが。深い思考というより延々と終りのない疑問(懐疑)といった方が合ってます。

結局、学生たちに難題を吹っかけ、延々と答えの出ない議論をさせ、最後にしゃしゃり出て、纏め上げるだけのインチキ策士のように思えます。勘のいい学生ならすぐに気付く筈ですが、議論好きのステレオタイプなら理想の仕切り屋でしょうね。

サンデルには答えがありません。批判の精神で凝り固まった彼の頭の中にあるのは、懐疑という知の混乱だけではないでしょうか。
返信する
こんにちは (biko)
2019-10-29 13:29:52
「白熱教室」の彼の講義は、引き込まれるように見ました。今となれば、その内容は皆目覚えていないんですが、とにかく格好いいと思いました。

今日、転象さんのこの解説を読ませてもらって、少しその正体が見えてきたような気がします。乞う続編です。
返信する
paulさんへ (象が転んだ)
2019-10-29 15:35:01
正義とか善を語ること自体、偽善ぽい感じがしますが。哲学とは答えの出ない学問なんでしょうか。
無理をして答えを出そうとしたロールズは、かなりきつく非難されましたもんね。でも何とか理屈を使ってでも答えを出そうという試みは、数学では予想に似てますが。そういう意味ではロールズは、数学者に近い哲学者だった様に思います。

サンデルみたいなバカに難グセつけられた時は辛かったでしょうね。お気持ち察します。
返信する
ビコさんへ (象が転んだ)
2019-10-29 15:44:05
マイケルサンデルは典型の哲学者で、答えなき懐疑主義者ですかね。悪い人じゃないんだけど、すぐに怪しいと思った。
上から視線で難題を吹っ掛けられたら何も言えませんもの。

でも「朝まで生テレビ!」よりかはずっと質が高いと思います。
返信する

コメントを投稿