象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

権力そのものは映画では描けない〜「権力に告ぐ」(2018)が中途で平凡に終わった、その訳

2025年01月29日 15時43分15秒 | 映画&ドラマ

 タイトルはシリアス感たっぷりだし、女優のイ・ハニさん目当てで見てしまった。
 結果から言えば、ある程度は想定内だったが、権力を描くのは無理だと悟った。
 勿論、”韓国最大の金融スキャンダルとされる実在の事件を元に巨大な利権に立ち向かう熱血検事の奮闘を描いた”チョン・ジヨン監督の勇気と覚悟には頭が下がるが、それ以外には全てが平均的すぎて、権力の何かを明確に感じる事もなかった。
 2003年にアメリカ系ファンドのローンスターが韓国外換銀行(KEB)を安値で買収した後、売却で多額の利益を得た事で大論争を巻き起こした事件がモチーフとなっている。但し、映画ではKEBは大韓銀行に変更され、実際の買収金額も多少異なってはいるが、そこそこ忠実に再現されてはいたようだ。
 個人的には、イ・ハニの他に「警官の血」で迫真の演技を披露してくれたチョ・ジヌンの地方検事役に期待したが、コミカルな部分が目立ちすぎて、最初から最後まで彼の奮闘ぶりが心の琴線に触れる事はなかった。


韓国最大の金融スキャンダル

 大まかな展開としては、ソウル地検のヤン検事(チョ・ジヌン)は、当て逃げ事件で聴取をした女性がヤンに”セクハラされた”と遺書を残して自殺した事で停職を言い渡される。身に覚えのない彼は汚名返上の為に独自に調査を開始するが、大韓銀行の職員だった彼女が自殺する前に大検察庁の捜査部からも聴取を受けてた事が判明する。
 というのも、大韓銀行が破綻寸前という虚偽の報告により安値で米ファンドに売却されたが、その報告書を金融監督院にFAXで送ったのが彼女だったのだ・・・
 つまり、数字を下げて”破綻寸前”と嘘の報告書を流したのが彼女であり、その報告を受けた金融監督院の役人である彼女の恋人も交通事故で亡くなっていた。だがヤンは、大韓銀行の捜査が打ち切られ、報告書に関与した2人がほぼ同時に亡くなった事に疑問を抱き、検事部長に訴えるも、呆気なく却下される。

 ヤンは何とか真相を暴こうとするが、その度に(大韓銀行売却による昇進の見返りを企む)部長からの猛反発を食らう。
 一方で、投資会社をバックアップする敏腕女弁護士キム(イ・ハニ)と水面下で交流を続け、彼女の父親の友人でもあるイ元首相を筆頭とする政済界の大物が絡んでいた事を突き止める。
 盗聴までやって掴んだ証拠で大物たちを逮捕できる寸前まで来たが、立件が難しいと悟った検事部長は総長の地位と引き換えに訴追を取りやめた。
 更に、一旦はイ元総理の不正疑惑に反旗を翻したキム弁護士だが、金融委員として”懲罰的売却に導く”との正義を期待させた彼女も”(買収や売却において)違法行為の事実はなかったし、米ファンドは5兆ウォンの損害賠償を(承認を渋る)韓国政府に求める”とメディアの前で言い放ち、自分の将来の為にヤンを裏切ってしまう。
 事実、懲罰的売却を命じれば、外国人投資家は撤退し、経済は悪化して再び通過危機に陥る。一方、売却承認が下りれば、(父がイ元総理に投資した)2000億ウォンが手に入り、自らの法律事務所を開設できる。

 これに対してヤンは、検察側の封鎖網を必死で突破し、決起集会で集まった銀行組合が大抗議する中で”不正の証拠を持っている”と声を張り上げるのだが・・
 幕引きでは、彼が”(憲法には)犯罪があると思科する者は何人も告発できる”として、検察バッジを投げ捨て、”韓国民と共に隠蔽を企む検察らを告発する”と言い放ち、キム弁護士から密かに受け取ってた証拠となる資料をバラまくのだ。

 映画では、米ファンドが先ず1兆ウォンを借入れ、更に、海外のダミー会社を通じて株式を買った韓国人から6000千億ウォンを引き出させ、合計1兆7600億ウォンで資産価値70兆ウォンの大韓銀行を買収する。つまり米ファンドは、実質僅か1600億ウォンの投資だけで買収を成立させたのだ。
 が実際の事件では、ローンスターは2003年にKEBの株51%を1兆3800億ウォンで買収し、07年に香港上海銀行へ約6兆ウォンで売却しようとしたが、韓国政府の承認が下されず、08年に放棄を宣言。結局、12年にハナ金融へ約4兆億ウォンで売却した。
 その後、ローンスターは韓国政府に対し、”承認の遅れでKEBの売却が遅れ、大きな損失を被った”として、約5兆ウォン規模の賠償訴訟を提起。(クレジットのテロップで流れる様に)仮に、韓国政府が敗訴した場合、賠償金は税金から支払われるが、この事件で逮捕されたものは1人もいない。

 
権力というよりもイカサマ

 ヤンの最後の決死の叫びも私の心には響かず、結果として中途な形で幕を閉じた。
 というのも、”権力に告ぐ”というよりは、米ファンドが企んだ”イカサマへの怒り”に思えたからだ。
 そんな中でヤンの正義感が際立ってはいたが、逆に空回りしてもいた。一方で、正義に傾くかに思えた女弁護士のキムが巨悪と自らの将来を天秤にかけるシーンとのコントラストで見ればだが、ヤンの正義感の演出もそこまで悪くはないとも言える。
 だが、前半のヤンのコミカルな演技がシリアルな作品に水を差した格好となり、正義の本質と切実さが時間が経つ程に曇ってしまう。前半と後半の属性とトーンが合致しないと言えばそれまでだが、権力を等身大に描くには、こうしたコミカルな演出は一切排除すべきである事も教えられた気がする。
 勿論、映画とてフィクションであり、娯楽でもある。韓国人の嗜好に合わせたが故に、コミカルな演出により折角の素材をドブに捨てた典型の様な気がしないでもない。

 少しキツい言い方をすれば、売却や買収に対峙する時の汚い?お金の流れを、もっとゆっくりと精密且つ詳細に描いてほしかった。
 権力も所詮は数字である。もっと言えば、権力は数字の大きさで一般化出来る。が故に、そうした動かせる数字(資金)の大きさで権力に潜む巨悪の規模を推し量る事が可能となる。だったら、もっと数字に拘った映画作りをしてもよかった。
 更に、(感動とは無縁の)数字の大きさが齎す権力の不愉快さと不都合を徹底して描いてもよかったと思う。が実際には、曖昧な描写で終始してた様に思う。
 私自身、何度も巻き戻して確認したが、合計1兆7600億ウォンの買収金のイカサマの仕組みと流れが上手く掴めなかった。

 つまり、世論では細かな不正は糾弾できても大きな権力は倒せない。政権がどう変わろうと経済を動かせるのは権力だけなのだ。そんな場面では、大衆の怒りや正義は跡形もなく消え去ってしまう。
 権力に対峙する姿は美しくもあるが、脆くもある。逆に、権力や巨悪になびく人間の弱さも哀れではある。そういう意味では、権力と正義の間で揺れ動く女弁護士のイ・ハニの演技は流石にブレなかった。一方、コミカル路線にブレてしまったチョ・ジヌンとは、大きな格の違いである。
 言い換えれば、権力を描くのは監督が思う程に簡単じゃないという事だ。つまり、過去に起きた巨額な不正事件を題材にし、権力を拡張して一般化し、フィクションとして脚色する必要があった。その為には、(数学的思考ではないが)数字に徹底して拘る必要があったと思う。
 言い換えれば、従来の権力にはない架空の権力をフィクションとして作り上げる必要があった。例えば、「死の家の記録」のドストエフスキーの様に、実体験を元に”現実にはありえない”権力を描くべきだったが、そんな権力に押し潰された体験のないチョン監督に出来る筈もない。


補足〜「ミッシング〜彼らがいた」(2020)

 霊魂が住む村に彼らがいたら・・遺体を見つけてもらえない死者たちの住む不思議な村で殺人事件の謎を追うという、死者たちの村を舞台に繰り広げられるミステリーファンタジーだ。
 これはこれで、不運にも殺人事件に巻き込まれた死者たちの世界を成仏できない亡霊たちのユートピアとして、優雅に且つ美しく描いている。だが、ユートピアと日常(現実)の世界を行き来できるのは、1人娘を失踪事件で失ったパンソク(ホ・ジュノ)と、小さい頃に母親を殺され孤児院で育ったウク(コ・ス)の2人だけだ。
 つまり、ドゥオン村という(未解決事件の為に死体の在り処が判らず)成仏できない亡霊達が棲みつくユートピアでは、生きた人間ではこの2人以外では、その村の実在も亡霊たちも見る事は出来ない。
 やがて、パンソクの家に居候する様になったウクはユートピアの住人(亡霊)たちの魂を救う為にパンソクと協力する事を決意する。そんな中ウクは、以前ヨナ(ソ・ウンス)が拉致された所を偶然目撃し、その女をドゥオン村で見かける。一方、ヨナの行方を捜す、彼女の婚約者で刑事のジュノ(ハジュン)も加わり、未解決事件を解明する為に、3人は力を合わせるのだが・・・

 展開としては非常にシンプルで、ユートピアの舞台となるドゥオン村がとても美しく描かれ、思わず見入ってしまう。
 ただキャスト陣をケチってるせいか、迫真の演技群とは言えないし、ヨナ役のソ・ウンスも表現は浅薄だが淡麗な美人で、私は思わず一目惚れしてしまった。結局は、その流れで一気に12話を見終えた訳だが、権力を描くよりも死者たちのユートピアを描く方がずっと簡単で夢がある事も理解できる。
 言い換えれば、権力よりもユートピアの方がフィクションにし易いのだろう。

 ダラレバだが、ドラマでは軽っぽい演技で物足りなくも映った主役のコ・スだが、「権力に告ぐ」で正義に燃える地方検事役をシリアスに演じたら、権力を打破するユートピアの世界がひょっとしたらだが、巧く描けたかもしれない。
 一方「警官の血」では、コミカルな部分を一切排除し、巨悪と対峙する為に敢えて自ら悪に染まる、際どい警官役を演じたチョ・ジヌンだが、今作でも同様に(追い詰められたが故の)悪に染まる検事を演じるべきだったろう。
 つまり、正義と権力に揺れる女弁護士と、正義と悪に揺れ動く地方検事のコントラストを描いてもよかった。

 そういう意味では、最初にセクハラ疑惑で停職になるシーンを持ってくるでなく、いきなり不正買収疑惑の場面から始めるべきだったし、そうする事で余計でコミカルな展開は難なく排除できた筈だ。
 つまり、これだけでも権力に近いものは描けただろうか。個人的には権力を超えたものをフィクションとして描いて欲しかったが、それは贅沢というものだろう。

 結局は映画とて俳優とて、その作品の重厚さや演技の深遠さや濃密さではなく、展開上の単純な見た目で決まるのだろうと思ってしまった、2つの作品である。

 


2 コメント

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Unknown (hitman)
2025-01-30 11:16:22
入りが・・ね

前半がとても中途半端で
見てて判りづらかった
構成もバラついてて外国のファンド会社と崑国の投資家の繋がりもよく見えない
監督も苦心しただろうけど
視点がブレるとは
こういうのを言うんでしょう 
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hitmanさん (象が転んだ)
2025-01-30 20:28:25
確かに
最後まで構成がバラついてましたよね。
故に、見る側の視点が終始ブレ続ける。
権力というものに正確に焦点が合っていない。
ファンド側が韓国の政財界のトップらと裏で手を組み、韓国人投資家に働きかけ、大韓銀行を買収するとの流れでしょうが
そこら辺がよく見えなかったし、最後まで曖昧なままで終わってしまった。

キャストやスタッフ側も終始迷いながら製作が進行していった気がします。
ま、最初からバラついてたので、一旦は見るのを止めたんですが、3.5/5との評価は嘘じゃなかったですね。
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