先日、NHK杯フィギュアスケート2019で優勝したロシアの女子選手の顔が、アップで映し出されていた。
ロシアには美形が多いが、この若干16才の娘は少し異様に映った。
パックリ見開いた大きめの両眼は、ド派手なメイクも手伝ってか、少しグロテスクに見えた。
寄せられたコメントにもあった様に、大きく目を見開いたトカゲの様に見えなくもない。
しかし彼女のジャンプは、同じく2位になった、ジャンプでは絶対の自信を持つ17才の日本選手が舌を巻く程の、異次元のジャンプだった。基礎点が高いせいか、一度のジャンプミスでも、2位以下を全く寄せ付けなかった。
若年層化する女子フィギュア界
冬季オリンピックの目玉種目の一つである、女子フィギュアスケートがどれ程人気のあるスポーツなのか?は、私には判らない。
偶にTVで見るが、哀しいかな観客がまばらなケースが多い。これが採点競技の哀しい逝く末なのかとも思うが、少なくとも日本では魅惑のスポーツに見えなくもない。
そういう私は、フィギュアスケート(特に女子)をいやらしい”親父視点”で見る悪い?癖がある。 難度の高いジャンプなんてどうでもいい。どうせ、素人の私めにはそんなのは理解できっこない。トリプル•サルコウとアクセルの違いを言える親父なんて殆どいない筈だ。
ループにツゥーループ、フリップとルッツなんて、頭が混乱するだけだ。
いつから専門用語がイタズラに並ぶ色気のない無機質なスポーツになったんだろう。
因みに、伊藤みどりを有名にしたトリプルアクセル(3回転半)は、当時も今も最高難度とされ、女子では過去11人が成功してるだけ。その中に日本人が5人も。つまり、小さく華奢な小娘ほど有利って事だ。
こうなったら、採点項目にも技術点や芸術点の他に、大人の”エロ指数”というのも設けて欲しいもんだ。
つまり、スポーツも娯楽も所詮、見た目が全てである。
割り箸人形みたいな華奢な少女が4回転を跳んだ所で、そこに感動や躍動やファンタジーはない。
哀しいかな、フィギュアスケートは大人の女がセクシー優雅に滑る時代から、無邪気な子供が無機質に跳ぶ時代に変わり果てた。
事実、女子シングルフィギュアの平均年齢は年々若年層化してる。10代前半の若いジュニア世代が、シニアでも出来ない難度の高いジャンプを跳んで会場を翻弄する。
因みに、平昌五輪(2018)では、金のサギトワが15歳、銀のメドベージェワの18歳、銅のオズモンドの22歳。
今や若年層の無機質な技術が、熟成した豊穣で有機質な芸術を圧倒する時代。それでも人は彼女たちに大きな喝采と拍手を送る。
エロくて悪いか?
札幌五輪(1972)のジャネット•リン(米)は”可憐”という理由で銅メダル?だった。それを悪く言う奴は一人もいない。”銀盤の妖精”と謳われた彼女の笑顔は、金メダルよりも輝いてた。
事実、札幌五輪の金がベアトリクス•シューバあった事は、誰も覚えていない。
”美しい”や”エロい”という理由だけで、金メダルを与えても誰も文句は言えない筈だ。
事実、有力な審判員に肉体を預ければ、採点に有利になるという噂もチラホラ聞く。
だったら、先程の”エロ指数”も堂々と採点の基準にすべきじゃないか。露出が多ければ多いほど基礎点が高い。そうすれば、我らオヤジも肩身の狭い思いをする事なく胸を張って見れる。イヤそうでもないか(笑)。
ずっと昔、ロシアのベテランのコーチがシングルとペアの違いを説明していた。
”美人だったらペア、ブスだったらシングル。タダそれだけよ”
私は笑った、ひたすら笑った。流石フィギア王国ロシアの単純明快なゴツい論理だ。
それ以来、フィギュアはペアしか見なくなった。ただただ、イヤらしい視点でスケートを眺めた。しかしすぐに飽きた。
セクシーと言えば、スピードスケートの女子選手の方がずっとエロいからだ。動物的に異常なまでに盛り上がったお尻の筋肉は、悦楽とファンタジーの究極にある。
それに比べ、ジャンプに特化したフィギュア女子選手の脚は、角材みたいに武骨化し、見てて気持ち悪くなる。
高校時代の安藤美姫の生足が汚かったのを覚えてる。スケベで鳴らすモロゾフ(露)コーチもさぞ引いただろうな(笑)。
”大根レッグ”と揶揄された伊藤みどりも、その脚はゴツいレールみたいだった。
”アゴバウアー”の荒川静香も、女としてみれば??だ。フィギュアをしてなかったら、今頃何をしてたろうか。オカマバーがいいとこか?
天性のジャンプを持つ浅田真央のコケシみたいな無機質の顔は、見てて少しウンザリだった。紀平選手のスッピンを見たら、親父は引くか?イヤそうでもないか?
確かに、ソ連のコーチが言ってた事は嘘ではなかったのだ。
ジャンプには大怪我がつきもの
”これまで殆どの女子が跳べなかった基礎点の高い4回転や4回転半を決め、表現力の差を埋め、余りあるスコアを稼ぐ。
技術と芸術の総合で争う競技だけにルールと現実のバランスが難しいが、ある程度の年齢になると演技に個性が出て、美しい表現が可能になる。年齢が来て、ジャンプが跳べなくなったらハイ終わり、というスポーツには?”と、ISU(国際スケート連盟)で技術委員を務める岡部由起子さんは語る。
それ以上に、難度の高いジャンプには大怪我がつきものだ。
”もの凄い勢いで転ぶので、ダメージは相当なもの。それくらい思い切り跳んでいかないと回り切って降りてこられない。あれで体が重くなったら大怪我に直結する”と、前述の岡部さんは語る。
事実、”若い選手は体が成長するまでは、ジャンプなどより難しい演技ができる。そういう若い選手に勝てないと感じ、辞めていくシニアの選手は多い。お陰で女子はどんどん入れ替わり、サイクルが早い。あの選手もういなくなっちゃった、という時代に入ってしまった。そういうスポーツってどうなの?”という話も出ている。
ザギトワがもたらしたもの
若干15歳で優勝したアリーナ•ザギトワは、長野のタラ•リピンスキー以来の若い五輪王者だ。
最近は10代の金メダリストが続く中、近年では06年トリノの荒川静香(24歳)、その前は92年アルベールビル五輪のクリスティ•ヤマグチ(20歳)くらいしか、20代のチャンピオンは生まれていない。
以下、”女子シングルの抱える闇(gendai is media)”から長々と抜粋です。
勿論、ザギトワも若さと勢いだけで勝った訳ではない。強さと笑顔と余裕、その全てが平昌の彼女にはあった。
その身体が美しく動く事を知り尽くした自信、正確無比な音の取り方、年齢からは考えられない艶やかさ、見る者を恍惚とさせるパフォーマンス・・・。
オリンピックで初めて彼女を見た人も、”さすがチャンピオンは違う”と思わせる力があった。
一方、2015−16シーズンから無敵を誇り、最も五輪王者に相応しい選手だったエフゲニア•メドベージェワも、複雑な心情を複雑なステップで表現し、魅入ってしまうほど演劇的なプログラムを滑りきった。
しかし、プログラム構成点や各要素への出来栄えや加点でザギトワを上回りながらも、ジャンプの難度や構成で後輩の後塵を拝してしまう。つまり、勝負に勝って採点に負けたのだ。
その彼女でさえまだ18歳。この若さで、技術では一番に立てなくなったメドベージェワの姿は、女子シングルの残酷さの象徴そのものだ。
哀れな若き幼い妖精たち
ロシア女子のこの世代には、恐ろしい程の実力を持ちながら、五輪に届かなかった選手が山の様にいる。
2015年世界王者のタクタミシェワ(21歳)、2015年世界選手権3位のラジオノワ(19歳)、2016年同3位のポゴリラヤ(19歳)ら。ジュニアで頭角を現した頃は、絶対に将来の五輪メダリスト候補と言われた選手たちばかりだ。
しかし彼女達の中から、誰一人として平昌五輪に出場できないなど、誰も想像できなかった。次々にケガをし、続々と出てくる若い選手たちに追い抜かれ、この場に立てなかった沢山のロシアの美しき哀れな妖精たち・・・。
ザギトワやメドベージェワのケースは、ピークが丁度オリンピックと重なり、実力を如何なく発揮し、栄光を掴む事ができた。
しかし、メダリストとなった今後、モチベーションを保っていけるのか?あるいは全力を尽くしたとしても、自分たちと同じ様に急激に伸びてくる若い選手たちと戦えるのか?
事実、2019年NHK杯で3位に甘んじたサギトワはまだ17歳にも関らず、既に劣化してる様に思えた。
そんな中、平昌五輪の出場選手中最年長、31歳のカロリーナ•コストナー(伊、写真)の5位入賞は素晴らしい。因みに、彼女の次の年長者は24歳の長洲未来で、25歳以上の選手はコストナーただ一人だったのだ。
初出場のトリノ五輪(2006)から今回の平昌と4大会連続出場の彼女も、好不調の波が激しかった為、常に表彰台争いとはいかなかった。しかし、10年以上世界のトップで戦い続け、31歳で五輪の最終グループを滑った。
彼女と共に世界選手権の表彰台に立った選手は、05年のサーシャ•コーエンやイリーナ•スルツカヤは勿論、14年の浅田真央やユリア•リプニツカヤまで、全員が引退してしまった。
ジャンプだけが全てか?
この数年は、前述のコストナーが出るだけで会場の雰囲気が変わってしまう、彼女はそんな選手になっていた。
ジャンプでは若い選手の難度に敵う筈もない。しかし絹の様な極上のスケーティングや音楽を慈しむ身体表現など、”誰よりも美しいものを魅せてくれるのはこの人だ”と観客はみな知っている。
勝負に勝てなくとも、”これがフィギュアスケートだ”と思い出させてくれるもの、一番美しいものを魅せるという最上の役割を担い、コストナーは氷の上にいた。
そんな女子フィギュアも高難度ジャンプをいかに多く跳ぶかで、勝負が決まるスポーツになってしまった。
そんな時代だからこそ、よりフィギュアスケートの大切な部分であるフィギュアを魅せてくれる選手が必要なのだ。
”我らがカロリーナ”とイタリア人だけでなく、世界中のスケートファンがそう感じている筈だ。
一方で、女子シングルという種目の厳しさは、フィギュアスケートの中でも抜きんでてる。まず競技人口が飛びぬけて多い為に、競争率の高さが半端ではない。ある日本の男子選手は”娘が生まれても絶対フィギュアスケートはさせない”とも語る。
”男子なら、多少の力があれば全日本選手権くらいまでは行ける。でも女子の競争率は10倍以上。オリンピックや国際試合はおろか、全日本だって夢のまた夢なんです”
それに加え、殆どの女子選手が成長期の体型変化に苦しむ。背が伸び、少し女性らしい体つきになっただけで、それまで跳べてたジャンプが跳べなくなる。
うまく成長期を乗りきった選手、例えば坂本花織選手は、”私のジャンプは、背が伸びる前の3年くらい前が一番良かった。自分でも驚くほど大きなジャンプを跳んでます”と言うほど。
つまり17歳でも、既に”ピークを過ぎた身体”で戦わなければならないのだ。
そんな超過酷な世界で、10代の若くして頂点に立ったザギトワ。今年のNHK杯を見る限り、燃え尽きてしまった感がある。
残酷だが、身体能力だけを競う昨今の女子フィギュアスケートこそが現実なのだ。
以上、現代ビジネスから、少し調整加えてます。
露出系スポーツの限界
しかし、キム•ヨナ(韓国)やサギトワ(露)らが登場した辺りから、女子シングルも少しずつ脚光を浴びる様になった気がする。
しかし、結局は見た目が全てなのだ。誰が金メダルを獲ろうが優勝しようが、そんな事は誰も覚えてはいない。要は誰が優美で、誰がチャーミングか?セクシーか?だけなのだ。
前述したカロリーナやジャネット•リンじゃないが、可憐で優雅であればそれだけでいい。採点競技とはそういうもんだ。
荒川静香が、”棚からぼた餅”的な金を獲った時も評価は低かった。突き出すアゴがやたら目立ち、見てて少し哀しかった。シニアという年齢制限のあるオリンピックでも、見た目が必要だと痛感した。
しかし今、女子のフィギュアも男子と同じく、”4回転半”の時代に入ろうとしてる。
割り箸みたいな、か細い少女がベーゴマみたいに跳んでは舞う。まるで、バネ仕掛けの安っぽい人形だ。
そこに躍動はあるのか?ファンタジーはあるのか?スポーツという名の娯楽と呼べるのか?
ある黒人女子のスケーターは言うだろう。”禁止技でいいなら、月面宙返りくらいは出来るわ”
スケーティングが飛びワザ全盛になった時、ロシアの少女に代わり、黒人娘がフィギュアをも支配する時代が来るのだろうか?
セクシーなお尻を曝け出す優雅な滑りをエロい視点で眺めるのか?ベーゴマみたいに延々と機械的に繰り出される難度の高いジャンプを無機質な視点で眺めるのか?
どちらにしても、フィギュアスケートというスポーツは、娯楽として既に限界がある様に思えるのだが。
そんなスポーツに未来はあるのか?って事だよな
荒川静香の金メダルには
感動も魅惑も何もなかったですね
日本でもあまり騒がれませんでした。
確かアルペンで4位に入った皆川選手の方がずっと評価されてました。
いい響きです。
ザギトワも北京冬季五輪(2022)は無理っぽみたいですね。という事は19歳で引退?
でもあれだけ盛り上がらなかった大会もなかったですか。その点、キムヨナやザギトワは偉大ですよ。
今どき、フィギュアスケートを見るオヤジなんて私くらいのもんでしょうが(悲)。
私が若い頃、スケーティングがそこそこ流行ってました。某大学ではスケートが体育の授業にあった程で、デートでは必須でしたか。それが今では何だか非常に中途なスポーツになってしまいました。
勿論私は滑れませんので、こうして記事を書いてうさを晴らしてるだけですが。
やはりエロいですかね。反省反省
でもヌードと同じで
見せたら最後よ
同じ響きですが、大きな違いです。