いよいよ今日の夕方、IBFミドル級王者ゲンナジー・ゴロフキン(40)とWBA同級王者の村田諒太(36)の試合のゴングが鳴る。
日本国内での試合なのに、地上波すらないというケチケチぶりだが、アマゾンプライムのみの中継という、これまた不可解な現実でもある(但し、海外中継はDAZNだそうで)。
タダで見ようと思えば、見れない事もない。いや、月僅か500円払えば見れるのだが、ボクシングのPVにしては安過ぎる。
多くの人が無料登録(30日)のみで視聴するだろう(と思う)。
それでも私は見ようとも思わないし、見たいとも見るべきとも思わない。というのも、昨今のボクシングには殴り合いの匂いがしないからだ。(少し古臭いが)昭和の時代にあった飢えとか渇きというものが、この試合には感じられそうにもない(予感がする)。
それに、この試合に限っては(最初から)どうでもいい様な試合にも思える。
というのも、ゴロフキンにとっては(9月中旬に予定されてる)カネロとのビッグマッチの前哨戦、いやプロモーション的な序章にすぎないからだ。
更に正直を言えば、ゴロフキンとカネロの3度目の世紀の戦いも、貧相なブートに成り下がる様な予感がする。
令和のビッグマッチ?
つまり、今のボクシングは一昔前のボクシングとは(悪い意味で)異なる。
事実、アイドルが世界王者になる程にレベルは落ち込み、(一時は)K1や総合に人気とシェアを奪われ、キックよりも”弱いボクシング”と皮肉られた。
ハグラーやハーンズやレナードやデュランが闊歩した80年代の”黄金のミドル”に比べるまでもなく、ずっと大人しく明らかに弱くなっている。
「村田諒太は弱いのか?」でも書いたが、この男のファイトには心に響くものがない。
一方で、23試合連続KOと19度の連続防衛を打ち立てた”生きる伝説”を持つゴロフキンも、強い事は確かだろうが、その強さが不思議と心には響かない。
特に、カネロと戦った2019年以降は(激しさが影を潜め)、峠を過ぎた感も手伝い、(そういう意味では)村田にもチャンスがないとも言い切れない。
1週間ほど前のオッズでは、7対3程でゴロフキンが有利だったが、前日には1.18対4.5と、村田が勝つ確率は3割を切る。
大体において(試合が近づくにつれ)オッズは縮まるものだが、殆ど変わらない(いや若干広がってる)所を見ると、(多くの日本人が予想する様に)余程の事がない限り、ゴロフキンの勝ちは揺るがないと見るべきだ。
その村田も”ようやくゴロフキンに追いついた”と胸を張るが、単にゴロフキンが堕ちただけであるのは明白だろうか。
少なくとも、”やるだけ無駄”という試合にはして欲しくない。その為には、ワルらしく激しく殴り合う事が、最低の条件でもある。
但し、ゴロフキンの全盛期なら1%の望みもなかったろうが、今回は激しく戦えば(勿論、激しくやられる可能性もあるが)突破口が開けない事もない。
とにかく、第1Rが全てである。
それだけの勇気と肝っ玉が、この男にあるのか?
それが一番の問題だが、リングに全てを埋める覚悟があるのなら、(たとえ激しく倒れたとしても)村田選手の”最後の晩餐”として見れば、悪くはないのではないか。
黄金のミドル
ミドル級と言えば、力と力がまともにぶつかる世界で一番層の厚い階級である。
そのミドル級の初代世界王者は1886年のジャック・デンプシー(アイルランド)とされる。つまり、135年超の歴史の中で、のべ100人を優に超す王者が誕生した。
そんな中でも80年代は、人気と規模とファイトマネーでもヘビー級を凌駕し、(前に述べた)”黄金のミドル”とも呼ばれ、史上空前の活況を帯びた。
確かに(今のぬるま湯の時代に)、この黄金のミドルを望むのは無謀とさえ思えるが、今回の試合では”ミドル級のリアル”を日本のボクシングファンに魅せ付けて欲しい。
せめて、(田舎の場末の外人パブみたいな)安っぽく薄っぺらなショータイムだけは勘弁して欲しいもんだ。が、そうならないとも限らない。
某専門サイトでは、この試合が”日本のボクシング史上に語り継がれるビッグマッチになるであろう”と声高々に宣伝してはいる。
しかし、”黄金のミドル”を知ってる世代から見れば、リアルブートには程遠い。
あの頃は今とは異なり、ノンタイトルでも凄みと迫力と激しさがあった。昨今では、ビッグブートと派手に騒がれる試合でも、その大半は消化試合レベルに近い。
因みに、ゴロフキンの最近のファイトマネー(DAZN契約)は17億円強とされるが、今の彼の試合は(はっきり言って)それだけの値打ちはない。
それでも、4年半前にカネロを下してれば、その値打ちもあったろうが、激しさを失った、かつては”カザフスタンの猛牛”と恐れられた男は、牙を剥いて襲い掛かる事を忘れたかの様にも思える。
激しく殴りあえ
しかし、今回の試合で村田と激しく殴り合えば、40にしてゴロフキンの真の復活もありうるかもしれない。
村田選手には悪いが、ゴロフキンにとって今回の試合は(カネロ戦を控えた)エキジビションみたいな位置づけである。
勿論、40歳のゴロフキンにはそんな余裕はない。本気で村田を潰さないと、逆に自分が潰される。そんな危機感が私には伝わってきた。
が故に、ゴロフキンは最初から本気で(闘牛の様な)牙を剥いてくる筈だ。
正直、ゴロフキンがどれだけ強い選手か?私は知らないし、そこまでの興味もない。
しかし、今回の試合でゴロフキンの全てを知る事が出来たら、いやゴロフキンが全てを出し尽くしてくれたら、それだけでも満足ではある。
ボクシングは勝敗がタイトルが全てではなく、四角いキャンバスで燃え尽きるまで闘う事に、その意義と本質がある。
ボクシングの殆どの物語は、勝利ではなく倒れるのが結末だ。勝利だけが礼賛されすぎた昨今のボクシングは、スポーツではあっても拳闘という殴り合いじゃない。
沢木耕太郎さんの「激しく倒れよ」じゃないが、負けたとしても、激しく倒れれば、その後もそのボクサーの物語は続く。
つまり、ボクサーは激しく戦い、激しく倒れてこそ、ボクサーの背中は僥倖を帯び、その物語は延々と語り尽くされる。
そうやって、ボクシングは語り継がれてきた。ボクシングは他のスポーツとは違い、記録よりも記憶が全てなのだ。
村田選手が、沢木さんの「敗れざる者たち」に載るとすれば、もう少し相手が若くて強ければとも思うが、激しく戦う事で本当の意味での”敗れざる者”になってほしい気もする。
古代ボクシングでは、拳にワイヤを巻きつけて戦った。それに、死ぬか試合を放棄するまで、延々と殴り合った。
それでも人は戦い続けた。
戦う事が全てだとは言わないが、ボクサーにとって戦う事こそが全てである。
村田選手が単なるワルなのか?それとも魂のあるワルなのか?
全ては初回の”激しさ”で決まる様な気がする。
ゴロフキンのファイトマネーは(最高で)15億、村田は5億円です。
国外では殆ど見ないでしょうね。国内も無料視聴だけで、リングサイドの高額チケットも関係者にタダ同然でバラマキでしょうか。
規模としては、東京ドームのタイソン以来とされてますが、20億を払えないフジTVや帝拳も?ですが、日本も昔の様に資金力がないのでしょうか。
ゴロフキンの滞在費(4500万)ばかりが話題になってますが、試合内容自体ではボクシング離れが加速するかもしれませんね。
ボクシングへの熱い気持ち。
今回の投稿を拝読し、
また久しぶりに冒頭の文庫表紙、
「カシアス内藤」の後ろ姿を目にして、
試合が観てみたくなりました。
金沢和良、ジャッカル丸山、コウジ有沢。
時に起こり得るリングの奇跡を期待。
ゴングを待ってみようと思います。
では、また。
3年近くも試合から遠ざかってる村田は、普通ならタイトル剥奪な筈ですが、何らかの権力が働いてんでしょうか。
日本での予想は6対4程で村田に勝って欲しそうな勢いですが、海外では90%以上ゴロフキンですね。
リングサイドもゴロフキンの滞在費も高額ですが、それに見合う激しいファイトを望みたいです。
奇跡が起きるにしても
両者ともに、激しく戦ってほしいですよね。
でも、昨今のビッグブートは期待するほどに裏切られる。
過去、村田よりも強いとされた石田選手でも全盛期のゴロフキンの前では一方的でしたから、今日の試合も期待は出来ないのかな。
因みに、Amazonプライムは一度無料登録してるので無理っぽですが、DAZNのアカウントを持ってるので、海外版なら見れそうです。
でも、見ないかな・・いや見るかも・・・
コメント有り難うです。
村田の右はとても強かったし
ゴロフキンの左はとてもエグかった。
3Rまでフルスロットルで駆け抜けた村田選手でしたが、息が上がってしまってそれ以降はゴロフキンの一方的なペースでした。
でもこれしか村田が勝つ戦法はなかったんですよね。
最後の最後で、村田選手の全てをさらけ出した最高の試合でしたから、絶対に見るべきでしたね。
”最後の晩餐”に500円なんて
全然安いもんです
村田選手のブランクは”3年近く”ではなく、”2年4ヶ月”でしたね(謝々)。
試合直前まで迷ったんですが、運よく無料視聴出来たので、ライブで見ました。
結果は大正解だったです。標準画質でもコマ落ちなく、とても満足いくものでした。
負けはしたけど、黄金のミドルを彷彿させる様な激しいファイトでした。
初回が全てと書いたんですが、思いが通じたのかその通りになりましたね。
3Rが終った時点で”ひょっとしたら”と思ったけど・・・
でも、倒れる間際まで村田選手は激しく戦い続けた。
それだけで満足ですね。