象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

たかがブログ”その15”〜”イイね”を押すのがイヤになった

2020年12月09日 03時20分11秒 | ブログ考

 どうも私は日本古来の”お返し”の文化には水が合わないようだ。
 ”たかがブログ、その14”でも書いたが、やはり、義理で”イイね”を押すのは苦痛以外の何ものでもないし、ストレスが貯まる。最悪、ブログを書くのが厭になる。
 それでも投稿する度に、”イイね”を押してくれるフォロワーには頭が下がるし、多少の励みにはなる。できるだけフォロワーの”イイね”に応えたいとも思うが、人間だから限界もある。
 それにコメントとは違い、一々ログインする必要がある。これがやけに面倒臭すぎる。ログインしなくても、”イイね”が押せればどれだけ楽だろうか?”イイね自動お返し”ボタンがあれば、もっと有り難い(笑)。


いいね!をもらう為に

 ただ最近思うのだが、”イイね”を沢山もらってる人気ブロガーの記事よりも、殆ど”イイね”をもらってない記事の方が充実してて、質が高いケースが多々見られる気がする。
 私がブログを始めた頃は、そこまで極端ではなく、”イイね”の多い記事はそれなりの理由があった様に思う。しかしSNSが空洞化し、陳腐化してきた今、それなりの理由すら見当たらない。

 勿論、”イイね”やアクセ数が少ないが故の僻みや偏見かもだが、私の記事のTOP10を見れば、如何にアホ臭な記事が多く読まれてるのかは、明らかである。
 特に、TOP5の「アグネスチョウ」「牛の解体」「小和田雅子」「陸の三馬鹿」「ハッキングスキャンダル」は、ここ1年間殆ど変わらない(悲)。その上、これらの記事を非表示にしても、ゾンビの様にしつこくアクセスしてくる。
 これからも解るように、如何に人はいい加減な生き物で、いい加減な記事を如何に好むかだ。アホ臭な記事ほど大衆は群れたがるし、群れる事で自己満足に浸る。

 しかし、どんな記事がより多く読まれてるのかは、その仕組みが全くのペテンだとしても、私だって生身の人間だから気にはなる。”イイね”ボタンを開示してるのも、Gooブロガーの好みが気になるからだ。
 そんな私の過疎ブログにも、一応60人のフォロワーがいる。しかしこれも、単に私が媚を売ってる結果だ。本音を言えば、フォロワーが邪魔に思う時すらある。事実、黙って通告もなくフォローリストから外した事も何度かある。
 そう、私は実はとても嫌な人間なのだ。


自己満足に浸るために

 いくら充実した記事でも読んでくれなければ、生ゴミと同じである。どんな下らない記事でも沢山の大衆が群がれば、自己満足に浸るくらいの充足感はある。
 日本人は義理と人情と礼儀を大切にする生き物だ。しかし、それも度が過ぎると、ウンザリやストレスを通り越し、アホ臭となる。

 それでも、ブログを始めた頃は、極端な反論でもいいからコメントが欲しかった。本音をぶつけ合い、ド派手に火花が散るのが楽しかった。でも今は、極端な反論はすぐに消すようになった。単に”ウザい”だけだと切り捨てるようになった。
 記事を全て読んで、私の意図を理解した上での反論なら大歓迎だが、極端な反論の多くは、GoogleRobotみたいに単語に敏感に反応し、条件反射的いや脊椎反射的に反論してるだけのケースが多い。

 そういう私も最近は、フォロワーの記事も含め、素人のブログをあまり読まなくなった。”イイね”も1日平均5、6個ほどしか押さなくなった。それも正直に言えば、”義理”に近い。それでも、1日平均30前後の”イイね”が返ってくるのは、フォロワー以外の義理以外のものが含まれるのだろうか?
 そう、やはり私は厭な人間なのだ。

 そんな私はプロのコラムを読むのが好きだ。高学歴な著者の記事は偉そうな上から視線も目立つが、やはり勉強にはなる。それ以上に、ハズレが少ないし、昨今のSNSに見られる様な空洞化もフェイクも、大げさな虚飾も陳腐な陰謀説もない。写真も少ないし、動画のベタ張りもない。
 そう、私は人を学歴で判断する悪い癖がある。
 そんな私は自己満足の為だけに、自分の為だけにブログを書く。媚を売るような記事もウケを狙うような記事も、全ては陳腐で薄っぺらな自己表現の為である。この悪い癖は今までもそうだったし、これからもそうであろう。
 義理でイイねを押すのもなくなるかもだが、それでフォロワーがゼロになっても、それはそれで構わない。全ては自分次第なのだ。


最後に

 事実、いいね!をなくす運動は、”若者の為にインスタグラムのプレッシャーを少なくする”上で有用だとの専門家の声もある。
 それ以上に、”いいね!機能がない方がユーザーの投稿は増える”とされる。つまり、人の評価を気にせずに、投稿に集中できるので、記事の質も良くなるのかもしれない。
 事実、イイねを気にして記事を書こうとすると、無意識にウケを狙ったり、人気取りに集中力が分散するからだろうか。
 ともかくも空洞化しないSNSを構築するためには、いいね!をなくすというより、いいね!の非表示の方が有効かもしれない。

 逆に極論を言えば、SNSそのものを潰せば、空洞化したネット社会は復活するかもしれない。
 確かに、ネットを始めた時は、SNSとかの洒落たネットコミュニティはある筈もなかったし、サイトを眺めてるだけで楽しかった。P2Pで地球の裏側の人と繫がってるだけで充足感が得られた。
 動画や写真はなくても、文字だけで十分だった。そこに誹謗中傷は殆ど存在しなかった。そう、インターネットは秘密の楽園だったのだ。



8 コメント

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Unknown (kaminaribiko2、)
2020-12-09 06:18:36
よく書いてくれました。今日の記事には「花丸イイね」を進呈します。(笑)
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ホント! (みさ々)
2020-12-09 08:45:10
おはようございます。
まったく同感です。
また人気ランキングも不要!
裏操作がありありです
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ビコさんへ (象が転んだ)
2020-12-09 14:14:55
書くに非常に勇気のいった記事ですが、真意を理解頂いて感謝です。
これからも自分勝手なブログに成り下がりますが、宜しくです。
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みさ々サン (象が転んだ)
2020-12-09 14:19:59
人気ランキングの裏操作は、今や平然と行われてますが、あまりにも露骨にヤラれると、ウンザリなんですね。
みな薄々と気付いてはいるが、表立って言えない。日本人の礼儀正しさが足枷となってんです。
いいね連打もそれに近いもので、薄々気付いてながら、やめられない。
コメント有り難うです。
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勇気あるひと刺し (hitman)
2020-12-09 14:51:00
ですよね〜
読んでもらうブログから
ポチってもらうブログへ
空洞化し廃れるのも当然ですよ

しかし、そういった声が日本から殆ど配信されないのも不思議ですよねぇ
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欧米では (paulkuroneko)
2020-12-09 17:10:48
イイねボタンやランキングシステムが
健康や精神衛生上に有害である事が判明しつつあります。それ以上に、ビジネスとしても有害である事が確認されつつあります。

考えてみれば明らかですが、ポチってもらう為、ランクを上げる為のブログなら、その手のプロに叶うはずがありません。ランクアップの操作も年々狡猾に巧妙になってますし。

でも、hitmanさんが言ってたように、イイねをなくそうという動きが日本で殆ど見られないのも、不可思議な現象ですね。
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hitmanさん (象が転んだ)
2020-12-09 21:34:11
ホントはもっとキツい事を言いたかったんですが。
でも、日本人はいいね!を押し合って、仲良く平和にお利口さんにしてた方がお似合いですかね。
コメント有り難うです。
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paulさん (象が転んだ)
2020-12-09 21:40:26
日本人にとって、冠婚葬祭とSNSのいいね!は、生命線のようなものですから。なくなる事もないし、なくそうとする動きもない。
でもそれが日本人なら、それに従うしかないですかね。
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