17年ぶりの津波警報
南米チリで2月27日午前(日本時間同日午後)に発生した大地震の影響で、東北地方の三陸沿岸に高さ3メートルの津波が押し寄せる恐れがあるとして、気象庁は2月28日午前、17年ぶりに大津波警報を発表した。幸い津波の高さは予想より低く、人的被害の報告もなかったが、沿岸住民らの多くは避難を余儀なくされた。
自宅は湘南でも高台にあるので、あまり不安はなかったが、津波警報はほぼ1日中出ており、いつもと違う日曜日を過ごした。冬季オリンピックもフィギュア女子が終わり、終盤を迎えていたが、テレビは津波情報一色に変わり、これでいっぺんにオリンピック気分はひいていった。
チリ沿岸から日本まで、津波が太平洋を伝わってくる距離は約17000キロで、ほぼ地球を半周する距離。津波到着時刻ははやいところで13:00ごろ、話には聞いていたが本当に津波は来るのだろうか?半信半疑であった。
2月27日チリ大地震
2010年チリ大地震は現地時間2010年2月27日3時34分にチリ中部コンセプシオン近郊で起こったマグニチュード8.8の地震である。1900年以降では、世界で発生した地震で5、6番目の規模、チリ国内では1960年に発生したチリ地震に次ぐ規模の非常に大きな地震であった。
震源は首都のサンティアゴから南に約320kmのコンセプシオン沖。深さは35km、マグニチュード(モーメントマグニチュード Mw)は当初アメリカ地質調査所は8.3と発表していたがその後8.8に修正された。また、気象庁も当初は(気象庁マグニチュード Mj)8.5と発表されていたが、その後8.6に修正した。
東京大学地震研究所は遠地実体波から、震源断層の長さは450~500km、すべり量は最大8m、Mw8.6と算出した。史上最大の1960年のチリ地震は断層長600~1000km程度とされており、今回はその約半分だった。
この地域ではペルー・チリ海溝において太平洋側のナスカプレートが大陸側の南アメリカプレートの下に沈み込んでおり(両プレートの接近速度は80mm/年、USGS)、これまでもM8を超えるような海溝型地震が繰り返し発生してきた。今回の地震も同様の機構で起きた海溝型地震であると考えられている。また、震源メカニズムは津波の発生しやすい逆断層型である。
プレート境界
今回のチリ大地震は、海のプレート(板状の巨大な岩盤)が、南米大陸のプレートの下に沈み込むプレート境界で発生した。
観測史上最大の地震とされる1960年5月のチリ地震(M9.5)と同じ「海溝型」の地震で震源も近い。
1960年の地震では、チリ沿岸を高さ8メートル以上の津波が襲った。津波は、地球の反対側の日本にも地震発生約22時間後に到達。約4メートルの津波に見舞われた岩手県の三陸沿岸などで多くの犠牲者を出し、全国で142人の死者、行方不明者が出た。
当時被害が拡大したのは、津波情報が国際間で十分に共有されなかったためだ。これを教訓に、米国や日本など太平洋沿岸諸国は、米ハワイにあった太平洋津波警報センターに、津波を監視し情報を共有するシステムを構築した。
現在、気象庁は同センターの情報を基に、中国やインドネシアなど北西太平洋地域の11か国に、津波情報を提供している。
2007年8月にペルー沖で発生したM8の地震の際、気象庁は太平洋沿岸に津波注意報を発表した。実際、北海道根室市、青森県八戸市、沖縄県石垣島などで15センチの津波が観測された。
今回のチリ地震では、地震発生の約1時間後、同センターは、チリとペルーの沿岸部に津波警報を発表した。同センターによると震源に近い都市タルカワノで、地震発生の90分後に約2.3メートルを観測した。 (2010年2月28日 読売新聞)
今回のように17000km離れた日本でも、津波警報が発令されたのは、こうした過去の教訓があったからである。1960年のチリ大地震とはどんなものだったのであろうか?
1960年チリ地震とは?
1960年チリ地震とは、1960年5月22日15時11分20秒(現地時間。日本時間では5月23日4時11分20秒)、チリのバルディビア近海を震源として発生した地震である。日本を含め、環太平洋全域に津波が襲来した。
表面波マグニチュード(Ms)8.5、モーメントマグニチュード(Mw)9.5と有史以来観測された中で世界最大規模の地震である。最大震度は気象庁震度階級では震度6相当とされている。
まず前震がM7.5で始まりM7クラスの地震が5〜6回続いた後、本震がMs8クラスで発生した。また余震もM7クラスであったために首都のサンティアゴ始め、全土が壊滅状態になった。地震による直接的な犠牲者は1743名。負傷者は667名。
この地震によりアタカマ海溝が盛り上がり、海岸沿いの山脈が2.7m沈み込むという大規模な地殻変動も確認された。また有感地震が半径約1000キロメートルという広範囲にわたって観測された。史上初の地球自由振動の観測に成功し、アメリカでの観測で発生した地震波は地球を3周した事が確認された。
予想外の大津波
尚、本震発生から15分後に約18メートルの津波がチリ沿岸部を襲い約15時間後にはハワイ諸島を襲った。ハワイ島のヒロ湾では10.5メートルの津波を観測し、61名が死亡した。
日本では地震による津波の被害が大きかった。地震発生から約22時間半後の5月24日未明に最大で6メートルの津波が三陸海岸沿岸を中心に襲来し、142名が死亡した。
津波による被害が大きかった岩手県大船渡市では53名、宮城県志津川町(現・南三陸町)では41名、北海道浜中町霧多布では11名が死亡。この浜中町では8年前の1952年の十勝沖地震でも津波被害を受けており、2度目の市街地壊滅。街の中心でもある霧多布村がこのチリ地震津波により土砂が流出し北海道本島より切り離され島と化す(現在は陸継きだった所に2つ橋が架けられており、北海道本島と行き来が出来る。1つは耐震橋、もう1つは予備橋で橋が津波で流出する恐れがあるためと避難経路を2路確保するため)。
また、同じく度重なる津波被害を受けた田老町(現・宮古市)では高さ10メートルの巨大防潮堤が功を奏して人的被害は皆無であった。この田老町の防災の取り組みを取り入れ浜中町に防潮堤が建設される。北海道の防潮堤については後の北海道南西沖地震でも津波による人的被害の甚大な奥尻島などでも建設された。
地球の反対側から突然やってきた津波(遠隔地津波)に対する認識が甘かった事が指摘され以後、気象庁は日本国外で発生した海洋型巨大地震に対してもたとえばハワイの太平洋津波警報センターと連携を取るなどして津波警報・注意報を出すようになった。(出典:Wikipedia)
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