閑(ひま)じぃのブログ by 閑斎

趣味の紙紐細工創りとその時々の歌、旅の紹介です。遠方には行かなくなり近くで楽しい仲間との歌を楽しんでいます。

舞坂(今切真景)

2017-09-21 15:59:15 | 歌川広重 東海道五十...
京から25宿目、舞坂宿です。
荒井宿から浜名湖を渡って舞坂宿着です。
手前の莚の帆が立っているあたりが舞坂付近となっています。
初めて富士山が登場しました。どうでしょうか。やっぱりいいですね。
以前にも記載しましたが、浜名湖は汽水湖だったのが、明応の大地震
(1498年)で砂州が決壊して海水と混じりあった淡水湖になったそうです。
湖面には沢山の舟が鰻の漁をしているとのことです。
湖面の沢山の杭は、遠州灘よりの荒波を静める、今で言うテロラポットの役目を
していました。

原画を見て、やっかいだったのが、近景の様子が全く判らないことで、勝手に想像
して制作しました。
絵は庄内半島を描いているらしいのですが、こんな険しい山はありません。

別角度からです。


原画はこちらです。

今回は山造りが大仕事でした。
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荒井(渡舟ノ図)

2017-09-07 12:38:21 | 歌川広重 東海道五十...
京から24宿目、荒井宿です、
現在では、新居と表記しています。荒井宿には関所があり、厳しい取り締まり
があったそうです。それで対岸に関所らしい建物と柵を造りました。
ここに描かれているのは浜名湖で、今は汽水湖ですが室町時代には淡水湖だった
そうです。
この絵は、湖面を大名行列を乗せた船が荒井宿に向かっているところとされています。
作品は、勘違いで手前に進むように制作してしまいました(失敗、失敗!)。
真中の舟は、幔幕を張った藩主の乗った御座船で、手前の舟には、中間たちが
乗っていて、暇そうな様子です。
遠景から手前の舟までの遠近を表現するのがおもしろかったですね。

別角度からです。


原画はこちらです。

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白須賀(汐見阪図)

2017-08-24 12:48:19 | 歌川広重 東海道五十...
京から23宿目、白須賀宿です、
絵は、潮見坂を江戸に向かう大名行列と絶景の遠州灘を描いています。
絵では行列の人物の様子が全く判らず、想像に任せて制作しましたが、
単調な人物創りには残り少ない根気が消耗してしまいました。
でも、松の木はだんだん上手になってきましたね。

別角度からです。

原画はこちらです。

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二川(猿ケ馬場)

2017-08-03 12:29:52 | 歌川広重 東海道五十...

京から22宿目、二川宿は、三河の国で最も東の宿場です。
現在の豊川市二川町あたりです。
副題の猿ケ馬場はさらに東側の次の白川宿に近いところにあったそうです。
二川宿周辺には奇観の立岩や岩屋観音といった絵になるところがあるのですが、
広重がここを二川と勘違いしたことによるらしいです。
この絵は、小松の生い茂る原山のゆるやかな起伏を瞽女(ごぜ)が3人寄り添っ
て歩いている風景です。瞽女という言葉も久しぶりに見ました。頼りげない彼女
たちの姿と周囲のひなびた風景がマッチしているそうです。
今回は、広大な背景を省いて人物を大きく制作しました。
その先には、名物の柏餅を売る茶店があり、一人の旅人が立ち寄っています。
立木の制作は本当に根気作業でした。
別角度です。

原画はこちらです。
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吉田(豊川橋)

2017-07-20 09:49:40 | 歌川広重 東海道五十...
京から数えて21宿目、吉田宿です。
右側の櫓は吉田城で、修理中で足場を組んでいます。上の方で職人が手をかざして
豊川橋を眺めていますが、紙紐の限界でそれらしくするのに精一杯でした。
絵の中央に広がっているのが三河湾に注ぐ豊川です。当時は海運が盛んで船の往来が
あります。
吉田宿は、城下町、湊町、宿場町として栄えました。
楽しく制作できましたね。

別角度からです。

原画はこちらです。


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御油(旅人留女)

2017-07-06 10:40:26 | 歌川広重 東海道五十...
京から20宿目、御油(旅人留女)着です。

宿場には、留女と呼ばれる女性がいて、旅人を呼び止めて宿泊をさせる仕事を
しているようです。
ここでは、腕や荷物を引っ張って旅人を引きずり込もうとしています。
必死に逃げようとする旅人の傍らをいつものか光景と宿場の女性が通り過ぎて
行きます。
右の旅籠の中は、今、着いた旅人が足を洗おうとしています。水盥がちょっと
大きく作り過ぎたので、運ぶ女性も大変な様子です。
梁から吊り下げた札は、伊勢参りなどの講の名札だそうです。
奥の壁には、「竹之内板」とあり、広重の版元の名前が書いてあります。
登場人物の様子をそれらしくするのに苦労しましたが、まあまあですね。

違う角度からの写真です。

原画はこちらです。
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赤阪(旅舎招婦ノ図)

2017-06-22 12:29:27 | 歌川広重 東海道五十...
野際陽子さんが亡くなりました。彼女は、以前に「70になったら、
やけっぱちに生きる」というようなことをおっしゃっていたそうです。
俳優の西岡徳馬さんが最近CMで、海パンひとつで小島よしおさんと
一緒に「そんなの関係ない」をやっていますが、70歳だそうです。
芸人は、齢に関係なくやけっぱちに生きているんでしょうか。

さて今回の広重は、京から19宿目、赤阪です。
赤阪宿は次の宿との距離が短かく、お客の争奪が大変だったようです。
集客力アップのため、飯盛女を置いていました。
この絵は、旅籠の内部を描いたもので、右の部屋にはお客を待つ飯盛
女が3人描かれていました。化粧に余念がないようです。
奥に布団が見えています。
左の部屋は、寝っ転がってくつろぐお客にお膳が運ばれてきて、按摩
さんがご用伺いをしています。
廊下を湯上りの男が肩に手ぬぐいをかけて部屋に戻るところですが、
この男性の制作にそれらしく見えるよう一番の苦労しました。
でも、建具が真っすぐに立っていないなど、建具師にはとてもなれま
せんでしたね。

苦労した作品ですので、別角度の写真も撮りました。


原画はこちらです。

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藤川(棒鼻ノ図)

2017-06-08 11:06:48 | 歌川広重 東海道五十...
とうとう、京から18宿目になり三分の一の旅程を越えました。

藤川宿というのは、現在の岡崎市藤川町ということです。
街道を挟んで奥に榜示杭、手前に高札場の屋根が描かれていて、藤川宿の
入口のようです。
宿場の入り口に宿場役人らしいのが土下座しているのですが、隣同士でお
しゃべりをいしいます。
広重の絵のユーモアに、端っこ尾に子犬が3匹じゃれている様子が描かれ
ています。紙紐では、なかなか表現が難しいところです。
行列は、幕府が毎年8月に朝廷に献上する八朔の御馬進献と言われています。

五十三次の「次」がどのような意味か解説がありました。
宿駅伝馬制度というのがあって、街道沿いに宿場を設け、公用の旅人や
物資の輸送は無料で次の宿駅まで送り継ぐという制度とあります。
輸送のために必要な人馬は、宿場が提供するというものでした。

原画はこちらです。

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岡崎(矢矧之橋)

2017-05-25 13:09:01 | 歌川広重 東海道五十...
京から17宿目、岡崎着です。
ここはご存じ家康生誕の場所で、譜代の大名の代表本多氏の治めるとこ
ろでした。
副題の矢矧(はぎ)之橋は当時の最長の橋で208間といわれています。
絵は、橋の上を江戸に向かう大名行列を描いています。
前作の失敗を反省して背景を上の方に置いたので、城が少し見えていま
すが、どうでしょうか。

原画はこちらです。

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池鯉鮒(首夏馬市)

2017-05-11 12:28:52 | 歌川広重 東海道五十...
京から第16宿目、池鯉鮒(ちりゅうう)(首夏馬市)です。
池鯉鮒は何とも難しい読み方ですが、現在は「知立」と表記されています。
「首夏」とは旧暦4月のことらしく、いろいろ勉強しました。
この絵は、池鯉鮒の東方で開かれている馬市の様子を描いたもので、
初夏の爽やかな草原を吹く風の中で、馬たちが草を食む風景です。
原画では20頭以上の馬が描かれているのですが、半分になりました。
馬たちは、もう少し太ったようにできればよかったのですが、技量不足でした。
背景から先に制作していくのですが、今回は全く見えなくなってしまい、
もう少し考えないとダメでした。

原画はこちらです。
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鳴海(名物有松絞)

2017-04-27 08:44:46 | 歌川広重 東海道五十...
京から第15宿目、鳴海(名物有松絞)です。
尾張の国境の鳴海宿に入る手前に有松村があり、絞り染めで全国的に
有名でした。
いろんな色の絞りを家ごとに華やかに吊るして商いをしていました。
旅人も女性が主役となっています。
馬上の女性は原画では後ろ向きですが、正面向きに変えました。

原画はこちらです。

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宮(熱田神宮)

2017-04-13 09:37:46 | 歌川広重 東海道五十...
京から14宿目、宮です。
宮宿は伊勢神宮に次ぐと言われた熱田神宮の門前町で、東海道で有数の
宿場町としてにぎわったようです。
この絵の場面は、尾張・三河で行われていた「馬の塔」と呼ばれる祭事
で、5月5日の端午の節句の奉納神事です。
威儀を正した行列が美しく飾った馬を牽く「本馬」と、荒薦を巻いた裸
馬の綱を人々がつかまって走る「俄(にわか)馬」があるそうです。
右端に熱田神宮の巨大な鳥居の一部が見えています。
制作で一番苦労したのは、後ろの2階建ての宿屋らしきものと、たき火
の煙でした。とにかく人数が多くて大変でした。

原画はこちらです。

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桑名(七里渡口)

2017-03-30 09:19:08 | 歌川広重 東海道五十...
京より13宿目、桑名です。
東海道で唯一の水行が、宮と桑名間です。
長時間の乗船で船内はにぎわったそうです。
桑名の渡し場は桑名城の石垣の脇にあったそうです。
船には大勢の乗客が乗っていますが、小さいので制作していません。
石垣に3日、城に2日、樹木に1日かかったてしまいましたね。
今回は築城と造船技術を習得しました。
船の帆は大きいのを畳んだのですが、それらしくなりました。

原画は、こちらです。

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四日市(三重川)

2017-03-16 12:05:20 | 歌川広重 東海道五十...
京より12宿目、四日市です。
副題の三重川は、鈴鹿山脈の御在所岳を水源とし伊勢湾に注ぐ今の三滝川のことだそうです。
この川を越えると四日市宿に入るのですが、そこに架かっている三十三間もある橋を「すえの
土はし」というそうですが、絵ではみすぼらしい橋になっています。
橋を渡る旅人が風に飛ばされないよう合羽をしっかり押さえています。
土手道では、風に飛ばされた笠を必死で追いかける様子が描かれています。
今回の一番時間のかかったパーツは中央の柳でした。
強風の様が出ていればいいんですが。

原画はこちらです。

次の宿場はあの桑名ですが、やはり2週間かかりそうです。
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石薬師(石薬師寺)

2017-03-02 10:01:05 | 歌川広重 東海道五十...
京から11宿目、石薬師(石薬師寺)です。
石薬師は真言宗の古刹ですが、名前の由来は空海作と伝えられる
自然石に線刻した薬師如来の本尊にあるそうです。
正面に山門と伽藍があり、その前を東海道が通っています。
馬に乗った通行人を造るのが楽しかったですが、この角度では隠れて
見えません。

原画はこちらです。

次は、いよいよ四日市で、2週間先を目標にしています。
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