京から25宿目、舞坂宿です。
荒井宿から浜名湖を渡って舞坂宿着です。
手前の莚の帆が立っているあたりが舞坂付近となっています。
初めて富士山が登場しました。どうでしょうか。やっぱりいいですね。
以前にも記載しましたが、浜名湖は汽水湖だったのが、明応の大地震
(1498年)で砂州が決壊して海水と混じりあった淡水湖になったそうです。
湖面には沢山の舟が鰻の漁をしているとのことです。
湖面の沢山の杭は、遠州灘よりの荒波を静める、今で言うテロラポットの役目を
していました。
原画を見て、やっかいだったのが、近景の様子が全く判らないことで、勝手に想像
して制作しました。
絵は庄内半島を描いているらしいのですが、こんな険しい山はありません。
別角度からです。
原画はこちらです。
今回は山造りが大仕事でした。
荒井宿から浜名湖を渡って舞坂宿着です。
手前の莚の帆が立っているあたりが舞坂付近となっています。
初めて富士山が登場しました。どうでしょうか。やっぱりいいですね。
以前にも記載しましたが、浜名湖は汽水湖だったのが、明応の大地震
(1498年)で砂州が決壊して海水と混じりあった淡水湖になったそうです。
湖面には沢山の舟が鰻の漁をしているとのことです。
湖面の沢山の杭は、遠州灘よりの荒波を静める、今で言うテロラポットの役目を
していました。
原画を見て、やっかいだったのが、近景の様子が全く判らないことで、勝手に想像
して制作しました。
絵は庄内半島を描いているらしいのですが、こんな険しい山はありません。
別角度からです。
原画はこちらです。
今回は山造りが大仕事でした。