閑(ひま)じぃのブログ by 閑斎

趣味の紙紐細工創りとその時々の歌、旅の紹介です。遠方には行かなくなり近くで楽しい仲間との歌を楽しんでいます。

「島原の乱の日」

2024-10-25 05:45:26 | 今日は何の日
今日は「島原の乱の日」でした。内乱の原因は諸説ありますが、いろいろ重合した
ものなんでしょうね。信長の一向一揆でもそうですが、宗教が絡むと大事になり
ます。
ちょっと長いですが解説の動画がありました。よく理解できました。
【島原・天草の乱】あまりに残酷すぎた一揆【地形図で解説】
 
きのうの朝の日の出前の景色です。富士山は雲間から頭だけでした。
      
 
きのうは昼食後しばらくして予約の歯科へ。2ヵ月に一度、歯のお掃除でした。
出たついでに外歩きに。いつもと逆子-スを行き、コンビニで北斎「富嶽三十六景」
作品集を印刷して帰りました。付録に十二支の1年分も入れました。何となく苦労が
報われた感があります。
往復、5,468歩だけでしたね。
 
今朝は20℃、最高も22℃まで、外は小雨です。
 
今日の日の解説す。

1637年(寛永14年)のこの日、過酷な年貢の取立てやキリシタン弾圧に耐えかねた島原の領民が代官・林兵左衛門を殺害し、「島原の乱」が勃発した。

江戸時代初期に起こった日本の歴史上最も大規模な一揆であり、幕末以前では最後の本格的な内戦である。「島原・天草の乱」「島原・天草一揆」とも呼ばれる。一揆軍の総大将はキリシタンの間でカリスマ的な人気を得ていた当時16歳の少年・天草四郎(益田時貞)であった。

従来、信仰的側面は表面上のもので、あくまで厳しい収奪に反発した一揆であるというのが定説であったが、事態の推移から、単なる一揆とする見方では説明がつかず、宗教的な反乱という側面を再評価する説が出ている。鎮圧の1年半後にはポルトガル人が日本から追放され、いわゆる「鎖国」が始まった。

リンクWikipedia

 
コメント (4)
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