閑(ひま)じぃのブログ by 閑斎

趣味の紙紐細工創りとその時々の歌、旅の紹介です。遠方には行かなくなり近くで楽しい仲間との歌を楽しんでいます。

フェルメール「真珠の耳飾りの少女」

2024-10-26 05:45:20 | 西欧画
今日の作品は西欧画の4作目でフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」です。
長時間かかりましたが、出来栄えはやはり???です。絵はやはり難しく、紙紐
細工に不向きなんですね!
カラオケ仲間にフェルメールの好きな方がいますが、きっとこの絵も好きだと
思い作りました。いい機会にプレゼントしたいです。
モナリザと並べて飾ってありっます。
【フェルメール】代表作「真珠の耳飾りの少女」 作品拡大展示で新発見
 
きのうは朝からぐずついたお天気でしたが、幸いに雨はなく、午後いつもの
時刻にいつものコースを行き、往復4,925歩で帰りました。
 
今朝は18℃、最高も22℃と秋らしい気温で晴れ間もあるようです。
 
この絵の解説です。
『真珠の耳飾りの少女』(しんじゅのみみかざりのしょうじょ、Het meisje met de parelGirl with a Pearl Earring)は、オランダの画家 ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer)の絵画であり、彼の代表作の一つ。『青いターバンの少女』・『ターバンを巻いた少女』とも呼ばれ、オランダのデン・ハーグマウリッツハイス美術館が所蔵する。口元にかすかな笑みを湛えるかのようにも見えるところから「北のモナ・リザ」「オランダのモナ・リザ」とも称される。

制作されたのは、1665もしくは1666年と推定されている。フェルメールが33歳から34歳のころで、画家として安定した技量を発揮しつつあった時期であるが、異論がないわけではない。この少女のモデルをフェルメールの娘マーリアであるとして1670年代とする意見もあるが、1670年代の彼の技法はこの絵と明らかに異なっているため、可能性は低い。ただし、本作の構図はきわめて単純で、少女の上半身が描かれているだけで他に年代を推定できるような物品や背景がなく、後で述べるように少女の特徴であるターバンもまったくの異国の風俗で、オランダ社会のファッションの移ろいとは無縁であるなど、時代から隔絶した趣が強く、1665年または1666年という数字もあくまで推測の域を出ない。この絵画には「IVMeer」という署名があるが、日付はない。注文を受けて描かれたのか、そうであれば誰から注文を受けたのかということも不明である。その後、フェルメールは1675年に43歳で破産同然で死去したため、残された作品も競売にかけられるなどして散逸した。『真珠の耳飾りの少女』も、他の絵とともに1696年に競売された目録が残っている。

その後、1881年まで所有者は転々としたが、フェルメールの希少な作品が海外に流れるのを防ごうとしてきたヴィクトール・ド・ステュエール(Victor de Stuers)の説得に応じたデ・トンブ(A.A. des Tombe)は、1881年にハーグのオークションにてわずか2ギルダー30セント(およそ1万円)でこの絵を購入した。当時この絵はきわめて汚れており、そうした低評価もやむを得なかった。デ・トンブには相続人がいなかったため、この絵を他の絵画と一緒にマウリッツハイス美術館に寄贈し、以後ここに所蔵されている。マウリッツハイス美術館に収蔵されて以来、世界各地の展示会で展示されてきたが、2014年にマウリッツハイス美術館はこの作品を美術館の外に一切出さないという決定を下した。美術館による宣伝効果もあり、CNNの調査によれば本作品は世界で有名な絵画の一つとなっている

1882年には補修が行われ、1960年、1994年から96年にも補修されたが、1994年から2年間の修復は入念かつ徹底的に実施され、その結果、絵はフェルメールによって描かれた当時の状況に非常に近いものとなっている。現在取り引きされるなら、その価格は100億円とも150億円とも言われる。

ここに描かれている少女が誰かは興味深い問題で、さまざまな説がある。先述されたマーリアとする意見もあるほか、彼の妻、恋人、あるいは作者のまったくの創作などとも言われるが、フェルメールの家族や知人の肖像画はなく、伝記の類も残っていないため真相は不明である。

コメント (6)
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