
1 園の小百合 撫子(なでしこ) 垣根の千草
今日は汝(なれ)をながむる 最終(おわり)の日なり
おもえば涙 膝をひたす さらば故郷(ふるさと)
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば
2 つくし摘みし岡辺よ 社(やしろ)の森よ
小鮒(こぶな)釣りし小川よ 柳の土手よ
別るる我を 憐(あわ)れと見よ さらば故郷
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば
3 此処(ここ)に立ちて さらばと 別れを告げん
山の蔭の故郷 静かに眠れ
夕日は落ちて たそがれたり さらば故郷
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば
さらば故郷 さらば故郷 故郷さらば
故郷を離るる歌(ドイツ民謡)~ZENZI

『故郷を離るる歌』は、吉丸一昌がドイツ民謡の長いメロディに詞をつけ、『新作唱歌 第五集』(大正2年〈1913〉7月出版)に発表したもので、今でも広く愛唱されています。
原曲は"Der letzte Abend"(最後の夜)であるとされ、とくに異論がないまま、これが定説となっていました。
しかし、私はドイツ在住の鞍津輪隆さんの投稿を拝見し、いろいろ調べてみた結果、この定説は見直すべきだと考えるようになりました。
《Der letzte Abend》は、若者が故鄕を旅立つ日の前夜のことを思い出しているという設定で、「おっかさんは金持ちの娘と結婚するんだよ、というけど、ぼくは君と別れるぐらいなら、貧乏のままのほうがいい。少しだけお金があれば君と結婚できる。豊かさとは、お金やモノでなく、神が与えてくれる永遠の命だ」といった内容。
いっぽう、吉丸一昌の日本語詞は、思いを致すのは子どものころから慣れ親しんできた風物で、恋人は出てきません。テーマがまったく違います。
明治以降に発表された唱歌のなかには、欧米の曲にオリジナルの日本語詞をつけたものが非常に多く、テーマや内容が異なっているというだけでは、それが原詞ではないとはいえません。まして《Der letzte Abend》 と『故郷を離るる歌』 には、「若者が離郷する日の思い」という共通点が1つはあるわけですから。
しかし、《Der letzte Abend》と同じメロディで、テーマや情趣が『故郷を離るる歌』と高い類縁性をもつドイツ語詞が別にあったとしたらどうでしょう。こちらを原詞とすべきではないでしょうか。
私は知りませんでしたが、そういう歌詞があったのです。《Abschied von der Heimat》がそれで、日本語では『故郷との別れ』となります。
なお、ドイツ民謡については、正題のほか、歌詞の最初の1行を呼び名とする慣行があるようです。
《Der letzte Abend》は《Wenn ich an den letzten Abend gedenk》、《Abschied von der Heimat》は《Thränen hab' ich viele, viele vergossen》が呼び名です。
民謡のアーカイブでも、たいてい呼び名が見出し語になっています。
これは、同名異曲を識別しやすくするためでしょう。たとえば、ドイツ各地やスイス、オーストリアには《Abschied von der Heimat》の同名異曲がいくつかあります。
しかし、呼び名は長いので、本欄では正題で表記します。
『故郷を離るる歌』と《Abschied von der Heimat》との類縁性を指摘したのは、日本大学文理学部ドイツ文学科の教員、横山淳子さん。横山さんは、『日本におけるドイツ歌曲の受容ー歌詞翻訳の若干の実例についての考察(Die Rezeption deutscher Lieder in Japan―Betrachtung einiger Beispiele der Textübertragung 2010年)』という論文で、"Abschied von der Heimat"の歌詞を吉丸一昌の日本語詞と比較対照し、『故郷を離るる歌』の原詞はこちらである可能性が非常に高いとしています(下記注)。
この論文は、フライブルク大学の『歌と大衆文化:ドイツ民謡アーカイブ年鑑(Lied und populäre Kultur/Song and Popular Culture Jahrbuch des Deutschn Volksliedarchivs)』に掲載されています。
《Abschied von der Heimat》の存在は、ドイツではもちろん、日本でも当初から知られていたようです。
『故鄕を離るる歌』の初演は、大正2年(1913)7月5日(土)。場所は東京音楽学校(現・東京芸大音楽学部)の奏楽堂でした。吉丸一昌の歌詞が世に出たのは、このときです。<以下割愛>