きのうの歌は「群青」です。こぶし荘のこぶし祭りで「時代」、「おぼろ月夜」、「さようなら」と
一緒に唄いました。課題は、クリァできていて大きな拍手を頂きました。
小田美樹 / 群青
「群青」という題名は、小高中学校の校歌に「群青」という言葉があることのほか、小高中の
野球クラブの「小高群青クラブ」、小高中の文化祭の「群青祭」といった、小高中を象徴する
言葉であることから名づけられた、と紹介されています。<詳しくは下記に>
きのうは雨の一日で、会場まではバスを乗り継いで行き、こぶし祭の後は、横浜の次女のところへ。
新築の家の引き渡しがあり、5歳の孫の面倒見で遊んでいました。元気な娘なので、膝の悪い妻は大変
でしたが何とか頑張っていました。私はくたびれて昼寝もさせて貰いました。
土曜日定番掲載の「チコちゃんに𠮟られる」はお休みしましたね。
帰宅は10時に、くたくたの一日でしたが、満足満足でした。往復、6,838歩でした。
今朝は19℃、今は曇っていますが、予報は雨です。
「群青」(ぐんじょう、英文表記: Azure)は、南相馬市立小高中学校平成24年度卒業生と同校
音楽教諭の小田美樹、作曲・編曲家の信長貴富によって作られた楽曲。2013年8月10日、楽譜
第一刷発行。2014年9月1日、CDリリース。いずれもパナムジカが発行している。
「群青」の誕生まで
南相馬市立小高(おだか)中学校は、福島県浜通り、南相馬市南部の小高区に位置した。東日本
大震災では、津波により街が甚大な被害を受け、生徒から死亡者が出た。
この曲を作った、平成24年度卒業生は震災当時、中学1年生をもうじき修了する頃であった。この
頃の1年生は106名在学していた。
2011年3月11日は、3年生の卒業式が行われ、午前中で学校は放課となった。その数時間後の14時46分、
東日本大震災が発生、津波によって小高の街は甚大な被害を受け、後に小高中の生徒が4人死亡した。
死亡者のうち2人は1年生であった。
また、福島第一原発事故によって、小高区が半径20km圏内の警戒区域に指定されたことから、小高中
学校も小高区外に避難することとなった。その際、津波で犠牲となった2人を除く104人の1年生もその
ほとんど、97人が小高中学校を離れ、北は北海道、南は長崎県まで、全国に散り散りとなった。
4月22日に新学期を迎え、南相馬市北部の鹿島区にある南相馬市立鹿島中学校を間借り(およそ半年後、
同じく鹿島区にある南相馬市立鹿島小学校に仮設校舎が完成し移転)して再開した小高中学校も、
2年生に進級した生徒はわずか6・7人にとどまった。
友だちが全国に散り散りとなり、原発事故で小高に戻れないことなど、様々な不安が生徒たちにのし
かかり、わずか6・7人の2年生も心を痛め、音楽の授業では歌が歌えなくなっていた。音楽の授業を
受け持っていた音楽教諭の小田美樹も歌うことができなかった。皆が歌うことの難しさを感じていた。
ある日、歌が歌えなくなった生徒たちの授業を受け持っていた小田が、小高中を離れた生徒がどこに
いるのか把握するため、大きな日本地図に生徒の顔写真を貼り付けていると、生徒たちが口々に
「遠いね」「どうやったら行けるの」「〇〇さんはどうしているだろう」「〇〇市はどんなところ
なんだろう」「でも、この地図の上の空はつながってるね」など、気持ちを露わにした。そこから、
歌うことができなくなった2年生の生徒たちと小田による詩づくりが始まった。そして、2年生の
生徒たちが3年生に進級する。
小高中学校では毎年、卒業式の時に卒業生が希望や未来を語った歌を合唱することが、毎年の慣例と
なっている。
津波で2人の同級生を亡くしたり、遠い疎開先から今もなお戻ってこない同級生などを思ったりする
3年生が、思いを綴った日記や作文、他愛もないおしゃべりから、3年生の思いを地道に小田は書き
留めていき、それをつなぎあわせて、「群青」の大筋の歌詞が出来上がった。
この詩に小田が作曲して、平成24年度卒業生のための卒業式の歌「群青―平成24年度 小高中学校
卒業生に捧ぐ」が完成した。2013年2月のことであった。「群青」という題名は、小高中学校の
校歌に「群青」という言葉があることのほか、小高中の野球クラブの「小高群青クラブ」、小高中の
文化祭の「群青祭」といった、小高中を象徴する言葉であることから名づけられた。
生徒たち自ら作詞したこの曲を練習するにつれて、長い間歌が歌えなくなっていた3年生の生徒たちも、
徐々に歌声を取り戻し、卒業式ではできるかどうか危惧されていた学年合唱で、「群青」を合唱する
ことに成功した。
それ以降、この曲は小高中学校の在校生たちに代々受け継がれている。
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