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「ノヴァーリスの引用」 奥泉光 集英社文庫

2015-04-17 | 読書

恩師の葬儀に集まった、かつて同じ大学で経済史の研究会に属していた4人が、10年ぶりの再会を機に思い出話をサカナに飲み始める。そのうち研究会に短期間属してはいたが異端の雰囲気を撒き散らし、なおかつ図書館の張り出し屋根から投身自殺をした、石塚の話になる。
恩師の死に続いて、石塚(それは異文化の洗礼を受けた帰国子女だった)の死について話が深まっていく。彼の死に意味づけをし、彼の死を結論付けて、他の死者と同じく終わりにしてしまおうという意味合いがあった。
ミステリ好みの松田が殺害説を出す。推理小説からの薀蓄を披露し、彼なりの根拠を話す。石塚は仲間の神経を逆撫でような行動をとった。学問に対する真摯な誠意と熱意を感じながらも、皆に理解されず時には殺意さえ抱かせるほどだった。少しずつ思い出されるのは石塚の卑屈と傲慢の間を揺れる心の裂け目だった。

死は彼を永久に隔離し閉じ込めたが、残った仲間は彼が10数年経った回想の中で、大きな疑問とともに甦った。

改めて約していた再会の場に集まって、少し肌寒い夜桜の下で飲み、場所を変えて学んだ校舎の研究室に移してから、石塚の論文のコピーを確認しながら話は続いた。
彼の唐突な死は卒業論文に現れていたのではないか。
石塚の論文は書き直すように教授から指導を受けていた、その型破りなアフォリズムで埋まった文字を読み返す。それはノヴァーリスの詩文からの引用だった。そして、その中から当時は認める努力もしなかった、真摯な思考を感じることが出来た。
ノヴァーリスが亡くした恋人の墓の前で体験した神秘を、石塚もまた辿ってのではないか。議論は続き、私は悪酔いをして、静まった校舎のトイレで子供じみた恐怖を感じる。

私はそこで窓に座った石塚が仲間から非難され追い詰められていく幻を見る。

幻想だったのだろうか、覚醒した目で見渡せば仲間は碁盤の前で大戦を続けている。

外からはシューマンの曲が聞こえ、「松田の仕業だな」などといい、「グールドが弾いているやつさ」
「まぁこれが石塚へのレクイエムです、殺人事件だなどと随分遊んじゃいましたからね」ミステリ好みの松田が言った。

死は一つの自己克服である。ノヴァーリスの言葉が浮かんで出た。

シューマンのレクイエム聴きながらそれぞれの時間は幕を閉じる。


当時彼らが研究会で話題にした、学説や論文は十分に理解は難しかったけれど、奥泉さんの硬質で語彙の豊富な作品は、いつも読書の豊かさを感じさせる。前に読んだ「瀧」の青年期に差し掛かる前の少年たちの重い出来事や、この「ノヴァーリス」の名を借りた、葬儀に参加した現実から、石塚の死をめぐる軽いミステリ、幻想体験など様々な要素が一つになって流れていく時間が、不思議な死生観とともに印象的だった。


*ノヴァーリスについて覚書
ルートヴィヒ・ティーク、アウグストとフリードリヒのシュレーゲル兄弟らと親交をもつ。詩文芸の無限な可能性を理論と実践において追求した。雑誌『アテネーウム』に参加し、評論などを書いた。
ノヴァーリスの作品の特徴は、ゾフィーの死、いわゆる「ゾフィー体験」を中核にする神秘主義的傾向、とりわけ無限なものへの志向と、中世の共同体志向にある。

  
コメント
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