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「石の来歴」 奥泉光 文春文庫

2021-06-08 | 読書

 

第110回芥川賞受賞作。これは外せない奥泉作品。
昭和19年師走半ば、日本兵は、フィリピンレイテ島でアメリカ軍に追い詰められジャングルに逃げ込んだ。そこに穿たれた洞窟で、瀕死の男は傍らの石を掴んで長い話をした。すでに生きながら死の中に埋もれ始めていた男は真名瀬に語り続けていた。
河原の石にも宇宙の全過程が刻印されている。何気なく手に取る一個の石は、およそ50億年前、のちの太陽系と呼ばれるようになった場所で、虚空に浮遊するガスが凝固してこの惑星が生まれた時から始まったドラマの一断面であり、物質の運動を刹那の形態に閉じ込めた、いわば宇宙の歴史の凝縮物なのだ。

夢なのか現なのか男の言葉はすでに正気をなくしていたはずの真名瀬の耳に不思議に残っていた。

捕虜収容所から復員し、父の本屋を再建し、秩父の市街地に出店した。店が軌道に乗り生活も安定してきた。結婚して二人の男の子もでき、あの男の言葉を思い出したのは随分時が過ぎたころだった。酸鼻を極めた洞窟の中で男が差し出した石は緑チャートだと言った。言葉は真名瀬に根付いていた。次第に岩石収集にのめり込んでいった。
化石発見もあり真名瀬の名前が少しは知られるようになった。

長男は石に興味を持ち真名瀬について崖から石を集めて標本を作り始めた。秩父の深い谷や崖には古代の石が埋まっていた。真名瀬は嬉しかった。
だが偶然見つけた洞窟に入って行方不明になった息子が無惨に殺されて発見された。

それ以後無関心な世界に引きこもった真名瀬に、狂った妻の怒声や暴力まで加わってきた、実家に帰して離婚し一時は何も手につかなかった。あの戦争の幻が夢うつつに蘇り、抜身の軍刀を磨く大尉の焚火に浮かび上がる赤い姿までが重なっていた。独り言を言うようになりそれも気にならず懐かしいような気さえした。

時がたちまた石に向かう気力がわいてきたころ。
次男はサッカーで将来を嘱望され名門校に入った。しかし試合中に骨折、審判を殴り出場停止処分を受けた。未来の夢は坂道を転がり落ち始め、彼の憎悪の深さにさじを投げた監督には背を向けた。
試合を見た真名瀬は次男はいないがごとく目をかけなかった罰に気がついた。

それでも息子は大学に入り、サッカー部を避けて同好会を作ったがチームを纏めきれず、余力を当時膨れ上がった学生運動に向け、闘争現場で彼は荒れ狂った。
ふらっと立ち寄った真名瀬の仕事場で 長男が死んだ日の話をした。洞窟で人の声がしたと言って兄は奥に入っていって殺されたんだ。
挨拶もなく去った息子は札幌で警官を襲い拳銃を盗ろうとして射殺された。

洞窟に入っていった真名瀬はそこで赤く燃える焚火を見た。死に瀕した上等兵が石について話し続けていた。大尉がうるさい、この刀でお前が殺れという。真名瀬は上等兵を担いで逃げた。
上等兵は朝靄の中で、手の中の石を真名瀬に見せ二人の子供がくれたのだと言って死んでいった。

戦争の恐怖と悲哀とが幻想のように男の心をつかんで離れず、石に憑りつかれ悲運に見舞われ、それにのみ込まれた運命が恐ろしくて苦しい話だった。
一方石についての薀蓄は面白く、幼い頃の石遊びを思いだした。
重厚な文体で言葉の氾濫をしっかりと組み込んだ奥泉流の作品の、ホラーとミステリと学術的な語りの混淆をワクワクしながら楽しんだ。一気読み。


二編目の「三つ目の鯰」も奥泉色があふれルーツがしのばれる名編だった。どちらが好きとも言えないが、感想は表題に譲った。
 

 


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