空白の長い時間の間には思い出したように話題の映画がはさまれていたが、殆どは紹介を読んだだけで見ることの出来なかった、心残りなものが山のように溜まっていった。
以前はテレビ局が流す映画をその時間に合わせて見なくてはいけなかった。当時の生活の中では楽しみは与えられるもので見たいものを見たい時に見ることは出来ないものだと思っていた。
時間を自分のものにするために、20数年前にビデオデッキを買った。いつか見ることが出来るだろう。コマーシャルも吹き替えも我慢して撮っては、どんどん増えるビデオを眺めて楽しみに待っていた。ところが、今度はDVDというものが出来た。早速レコーダーも買った。レンタルというものが出来た。店に入ってまさに狂喜乱舞、は大袈裟でも顔が笑み崩れるような思いがした。今崩れかけていると言われたらそのせいかもしれないが。映画館も近くに出来た。シネマ館の中ではたくさんの入り口がサァどうぞと待っていてくれる。ますます崩れてきている。
私の映画の時間が来た
夜になってゆっくり心置きなく見始める。テレビドラマも好きだが、まだ発展途上にある映像やお手軽なお話にはちょっと不満があるし、毎週続けてみる忍耐力もなくなった。その事もまた次に考えるとして。映画を見る。
前に映画の現実逃避について考えたのだが、そんなに逃げたいものもなくなったと楽観している今は、手軽な娯楽の中で一日を終えることが出来るのが無性に嬉しい。
逃げたいものがなくなることはない、ただ逃げても解決しない事柄をうまくかわす術を見につけてきているのかもしれない。その手段に映画を使わなくなったのは、映画の楽しみ方が違ってきたということらしい。
私も映画だけというわけではなくて、日によって、仲間によって楽しむものが変わります。
でも何か心から楽しんだり打ち込めるものがあるってシアワセですよね。
糸電話さんは何でしょうか。たくさんありそうですが(^^)
私の場合は、まだ心底映画を楽しむ時期には、きていないような気がします。
映画をみるために時間を使うのではなく、時間を消化するために映画を見る。
でもその手段もどうしても映画でなくてはならないというわけでもない。
ちゅーとはんぱな域ですね。