Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

「ゲバ」リズム 追悼、若松孝二

2012-10-20 00:15:00 | コラム
若松孝二の追悼文の半分を仕上げて煙草を吸っているところで、シルビア・クリステルの訃報が入ってきた。

訃報というのは不思議と続くものだが、無関係といえば無関係、しかし、べつの畑の住人ともいえず、ハダカを通して世の中を見つめようとした点で同胞ともいえるふたりの死者・・・なんだか感慨深くなったので、前半の構成を切り崩す形で、まずはクリステルについて語りたい。


何百人という数のAV女優にインタビューしてきたが、この仕事を始めた当初はオリジナルな問いなど用意出来ず、最初はきまって「この世界に入るきっかけは?」と聞いていたものだった。

そのなかでいちばん面白いというかエッジの効いた返しだと思ったのが、
現役女子大生の「合コンとかに参加するたび、男の子から“AVに出ていそうな顔だよね”と冷やかされ、うまく返すことが出来なかった。だから“うん、その通り。ほんとうに出ているの♪”といって驚かしてやりたくて、出ることに決めた」というもの。

嘘か誠かはあまり関係がない、その時点で聞き手が「面白い子だ」と思うのだから。

現在は、敢えてそういう問いは投げかけない。
何遍も聞かれうんざりしているだろうし、そんな問いでは彼女たちの「奥の奥」に辿り着けないだろうと思って。
その代わりに、まず自分の嗜好―基本は「ぶっかけ」、一心不乱なフェラが好きだからカメラ目線は不要、出来ればソックスは脱がないでほしい―を告白し、そういう変態的なユーザーに対して「どう思う?」と聞くようにしている。

「やっぱりファンタジーの世界だから、そういうひとが居ていいし、それに応えられるように頑張りたい」
「優等生だねぇ。優等生過ぎる、といっていいくらい。それ本心?」
「嘘はついてないですよ」
「こういうのに出たいとか、そういう希望はない?」
「ありますよ、そりゃ。いまのAVって、やっぱり男性ユーザーがメインでしょ」
「うん」
「彼氏に付き合わされて観る女子も居るけど、なにがいいのか、よく分からない子って多いと思うんです」
「そうかもね」
「でも横を観たら、彼がギンギンになっていたりして」
「(笑う)」
「昔より女性監督が増えたり女性ユーザー向けが出てきたりしていると思うんですけど、まだぜんぜん。だから、あたしは、100%“女のための”AVを創ってみたい」

そう思ってかどうかは分からないが、シルビア・クリステルは、そんな女子の性的欲望の象徴としてスクリーンに裸体を晒すことになる。
74年、自分の生まれた年のことだった。

『エマニュエル夫人』は世界中でスマッシュヒットを記録したが、支持した大半は女性だったという。

自分の性事情を告白すれば、『エマニュエル夫人』を観て勃起はしなかった。もっといえば、シモの世話になったこともない。
それは日本のピンク女優にもいえることで、美保純や宮下順子でナニをナニしたことはないのだった。

だが男というのは不思議なイキモノで、スクリーンやブラウン管ごしではあるものの、ハダカを見たというだけで、その女に対し寛容になる。
寛容というのはちがうかもしれない、知り合いでもないのに情が芽生えるというか、馬鹿みたいな表現でいえば「ハダカを見せてくれてありがとう」みたいな、そんな感情があるから、好き嫌いを超えて一目置くようになる。
ネット上では否定的意見が絶えなくても、やまぐちりこや飯島愛のDVDが本棚にあったりするのは、そういうことなんじゃないか。
「俺、あいつの乳首、知ってるんだぜ」みたいな。みんな、知っているというのに。

そんなわけだから、
たとえ顔や身体が好みでなく、物語そのものに感情移入出来なかったとしても、なんだかんだいってクリスタルの主演作に注目してしまう自分が居た。
さっきフィルモグラフィを調べてみたら、日本で触れられるすべての作品を観ていることに気づき、ハッとしたところなのである。

17日死去、享年60歳。
ちと若いが、ヘビースモーカーの宿命か、咽頭癌や肺癌を患い、脳卒中で倒れ、夏から入院していたという。

『エマニュエル夫人』の藤椅子や、いちど聞いたら忘れないテーマ曲は、現在でも沢山のパロディが生まれている―ソフトコアとはいえ、ポルノがこうした市民権を得るのは難しいこと。というか、このシリーズ以外にそれを成し遂げた作品はない。

そういう意味で、どえらいことをやってのけた女優なのだった。

合掌。

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「生命力のあるひとなので、楽観していたけれど・・・。いいお顔をしていました。闘い続けた男の終焉でしょう。喧嘩のしかたや酒の呑みかたまで教えてもらった、面白いオッサンでした」(崔洋一)

クリステルのような女優を沢山集めて映画を撮っていたのが、若松孝二である。

近年はテーマを「政治」に特化したイメージがあるが、その本質は変わらなかった。
寺島しのぶの熱演が光る『キャタピラー』(2010)を、反戦映画ではなくエログロウンゲロミミズの映画と解釈したものも居るのではないか。
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2008)は、長谷川和彦の代わりに撮った映画だと思った。
『キスより簡単』を映画化(89)した際には眩暈がしたが、生き残るためだったのかもしれない。

やさぐれた青春を送っていた若松少年は傷害の罪で警察に捕まったことがあるが、
映画業界に身を置くようになってからも、激高したりひとを殴ったりする「習性」は変わらなかった。
それが原因でクビになったり先輩に嫌われ異動になったりしたが、その終着点が「幸運にも」ピンクだった。

もてあますエネルギーをすべてフィルムに焼きつけたら、とくに若い観客から熱烈な支持を得るようになる。
こうして、戦う映画監督・若松孝二が誕生した。

初期映画は内容よりもタイトルに秀でていて、よほど処女性に価値を見出していたのか、『処女ゲバゲバ』(69)や『ゆけゆけ二度目の処女』(69)など、観客を選ぶ映画を量産する。
そう若松孝二という人物を簡潔に評せよといわれれば、自分は「生涯、観客を選ぶ映画を撮り続けた」と評す。
ベタかもしれないが、これを「ゲバリズム」と命名しよう。

監督作でゲバリズムの究極を挙げるとするなら82年の『水のないプール』、
プロデュース作でゲバリズムの究極を挙げるとするなら、それは『愛のコリーダ』(76…トップ画像)になるだろう。

前者は内田裕也が主演、クロロホルムを撒き散らし女を強姦するというサイテーな内容だが、奇妙でイビツな哀しみと怒りが充満し、なんともいえぬ高揚感に襲われる。

しかし若松孝二の最大の功績は、後者の制作過程にあった―と、個人的には思う。

阿部定と吉蔵の「事件」を「神話」と捉えようとした『愛のコリーダ』は、いろんなものと戦って完成にまで漕ぎつけた労作である。
最大の敵は「表現」で、ハードコアポルノをNGとしている日本への挑戦として、撮影したフィルム(セックス本番撮影)をフランスに直送、つまり外国で現像し編集作業をおこなった。

監督オオシマの凄まじい野心は、映画に触れれば分かる。
しかしその野心を支えたのがプロデューサーの若松であったことは、この制作過程を知らなければ分からない。

監督とプロデューサーの共闘と、その結晶。こうして『愛のコリーダ』は、神話として完成した。

神が降りたとかいうのは、神が乱用される現代ではひどく安っぽい表現かもしれない。
だが『愛のコリーダ』のフィルムに神が宿っているのは、この映画に触れた大半のものが知っている。

若松孝二とは、そういうことを成し遂げたひとなのだ。

17日死去、享年76歳。

合掌。





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明日のコラムは・・・

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コメント (1)
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